第3話

今日も真奈美といつもの昼食。


「お兄ちゃん、小説を書くのを辞めた理由、他にもあるでしょ?」


真奈美は、どこか鋭いところがある。

この際だから、すべて話そう。

本当の俺をわかってほしいから。


「俺は母子家庭なんだ」


「そうなの? 私もだよ」


「俺が高一で受賞してしばらくした頃、オヤジは逮捕された。クスリをやっていたのがバレたんだ」


真奈美は無表情で俺の話を聞いている。


「おまけにカッコ悪いことに、週刊誌に不倫をスクープされた。愛人は元アイドルの久住柚葉くすみゆずは。これが決定打になって俺の両親は離婚した」


売れっ子作家としてテレビに出ていると、そういうスキャンダルを週刊誌から狙われるようになるものだ。

もちろん、不倫もクスリも、全部オヤジが悪い。スクープされたのも、逮捕されたのも、自業自得だ。


真奈美は黙って聞いている。

重すぎる話題かな、とも思ったが、真奈美には何の隠し事もしたくなかった。

すべてを知ってもらい、その上で、これからも俺と関わってほしい。

言いたくないこともすべて、真奈美に話そうと思った。

それで俺のことを嫌いになるのであれば、真奈美との関係もそれまでということだ。



「クスリに不倫。家にはオヤジへの非難や嫌がらせが毎日続いた。郵便受けを覗くのも怖かった。窓ガラスも何度も割られた。週刊誌の記者に絡まれたこともある。それは、俺の母も同じだった」


真奈美の顔はどんどん青ざめていく。

しかし、俺は続けた。


「久住柚葉はアイドルは引退していたが、強烈なファンはまだいた。そいつらの中には悪質なやつもいて、不倫を知って我が家への嫌がらせをエスカレートさせていった。オヤジも愛人も、どっちも悪い。けどな、俺や母がいったい何をしたってんだ! なんで俺たちがひどい目に遭わないといけないんだ!」


真奈美の目から、涙が溢れ出した。


「……すまん。こんなこと、真奈美に言ってもしようがないよな」


「ううん……言いにくいこと、私に話してくれてありがとう……」


「小説が嫌いなんじゃない。オヤジのことが嫌いなんだ。オヤジは書けない苦しみをクスリで晴らそうとした。そのせいで余計に書けなくなる。オヤジが暴れ始めると家の中はめちゃくちゃ。そんなオヤジを見ていると作家という仕事に関わりたくなくなった。だから、俺はもう、小説を書こうなんて思えない」


「……わかった……ごめんなさい……続きを書いて、って何度も言ってしまって……」


「いや、そう言ってくれたのは嬉しかったよ。真奈美はいつも、オヤジのこと抜きで、俺だけを見て話してくれた。真奈美、ありがとう……」


「……今度さ、私の家に遊びにこない? もっといろいろ、話したい」


「うん」


こうして、次の日曜日、俺は真奈美の家に行くこととなった。



* * * * *



迎えに出てきた真奈美は当然、私服だった。

制服姿に見慣れていたので、私服の真奈美には、また違った魅力が宿っていた。


「お邪魔します」


「あのね、お兄ちゃん、今日はね、家に誰もいないの。ゆっくりしていってね!」


え?

女子高生が、誰もいない家に男子を上げるのか……

それって、どうなんだ?


俺は居間に通された。


お茶を飲みながら、小説の話や俺の過去の話をした。

真奈美は熱心に聞いてくれた。


そういえば、真奈美も母子家庭って言っていたっけ。

家の中は片付けられているが、こぢんまりとしていて質素な生活ぶりが感じられた。


俺は、真奈美のことをもっと知りたいと思った。


「あのさ、真奈美。彼氏とかいるのか?」


「ふふ。なにそれ? 気になるの?」


「え? いや、その……」


「ふふふ。私ね、結構モテるよ! 中学でもいろんな子に告白されたし、高校入ってからも……」


まぁ、そうだろうな……

このルックスだ。男子が放っておくはずがない。


オレの心の中に、もやもやした感情が生まれた。


「あ、そうそう。おいしいお菓子があるの。持ってくるね!」


真奈美はそう言って立ち上がると、奥の方へと行った。


俺も立ち上がり、真奈美の後を追った。



真奈美に好意を寄せている男子がいる。

それを考えると、なんだか心が掻き乱された。



真奈美を他の男に取られたくない……



俺は後ろから真奈美に近づいた。

すらりと伸びた脚……引き締まったウエスト……後ろで結んだ黒く美しい髪と白いうなじ……


俺は真奈美を後ろから抱きしめた。



真奈美の動きが止まった。


腕に真奈美の身体の柔らかさ、そして温かさが伝わってきた。


真奈美は俺の手を振りほどくと、こう言った。


「ダメだよ……お兄ちゃんはこういうこと、しないの」


お兄ちゃん?

いつまでそんなこと言っているんだ。

俺の心をもてあそんでいるのか?


俺は真奈美の唇を奪おうと顔を近づけた。


しかし、真奈美は身をかわす。


「やめて、お兄ちゃん……」


「なんだよ! そのお兄ちゃんって! いい加減にしろ!!」


真奈美はうつむいた。

しばらく沈黙が流れる。




涙が一粒、落ちていった。


「すまん……強く言い過ぎた……」


「いつかこうなるかも、って思ってた……」


「真奈美、おまえのことが好きなんだ! 誰にも渡したくない!」



やがて、真奈美は言葉を発した。



「見せたいものがあるの……」


真奈美が示したもの、それは本棚だった。

それを見て、俺は唖然とした。


父の本が、所狭しと並んでいる。

父がこれまでに書いた本や雑誌、そのほとんどがそこにあった。


「これって……」


俺のファンだと言っておきながら、実際は俺の父のファンだったのか……


そうか、それで俺に近づいたのか……



久しぶりに、父の書いた本を見た気がする。

俺は引っ越すときに、父の本はすべて捨てていた。

見るのも嫌だったからだ。


俺は真奈美に好かれているものとばかり、思い込んでいた。

真奈美を自分のものにしたいと思っていた。


しかし、目の前に広がる、圧倒的な数の父の作品。

父は真奈美の心も奪っていた。

俺は父に負けた。


「俺の……オヤジのファンなのか……」


「お父さんのこと、知ってたよ。知ってて、わざと知らないふりをしてたの」


「どうして?」


「……だって……私はお兄ちゃんのファンだから」


真奈美はそう言ってくれるが、やはり、俺は父に負けた気がした。

大嫌いな父に……俺は、負けた……



大好きな真奈美の心を父に取られた。

そんな気がした。


真奈美は言った。


「この写真、見てくれる?」


フォトスタンドに入っている写真は、幼い頃の真奈美なのだろう、おしゃれなよそ行きのワンピースを着て写っている。

そして、真奈美の両脇に立つ人物を見て、俺は驚いた。



父と……久住柚葉……



「これが私の、お父さんとお母さんなの……」



真奈美は、俺の父と愛人である久住柚葉との間に生まれた子供だった。

そんな昔から父は不倫をしていたのか……


あれ?

真奈美の苗字は佐藤だったのでは?

いや……久住柚葉は芸名だ。

だから、俺は気づけなかった。


思えば、違和感はあった。

真奈美は、俺の父と久住柚葉の面影を残している。

真奈美の顔に感じる、漠然とした既視感の正体はこれだったのか……


「だから、何回も言っていたでしょ、『お兄ちゃん』って……」


俺の頭の中は真っ白になった。



「私ね、お兄ちゃんの作品、大好きなの! 世の中にいるたくさんの読者の中で私こそが一番お兄ちゃんの作品の魅力、わかっているつもり……」


お世辞で言ってくれているのだろうか……


「でね、お父さんの作品では、私が気に入っているのは、これとこれ」


そう言って、父の本を2冊取り出した。



その本は……

まさか……どうして、そのことを……



「この本、本当はお兄ちゃんが書いたんでしょ? すぐわかったよ」


確かにその2冊は俺がゴーストライターとして書いたものだ。

小説が書けなくなりクスリに手を出した父は、俺や母に暴力を振るうようになった。

俺はしぶしぶ、父の代わりに作品を書いていた。


俺の作品が受賞した時、父が代筆したんじゃないか、と叩かれたものだった。

が、実際は逆だ。

この2冊については俺がゴーストライターだ。

そのことは、編集の人も含めて誰も知らないはず。


真奈美はそれを見抜いていたとは……



「やっぱりそうだったのね!」


さっきまで涙目だった真奈美は、笑顔を取り戻していた。


「ね? 私がお兄ちゃんの一番のファンだってこと、わかってくれた?」


「あぁ……」




俺は真奈美との関係を、これからどうしていけばよいのだろう。




久しぶりに、眠れない夜が続くことになる……




< 了 >


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