第4話 用水路

 待つ間、家の前の灌漑用水を確認してみた。


「これだと、農家が困難無く仕事が出来る。良い農作物がとれるだろう。しかし・・・」


この用水路が津波に襲われれば住民はこれが鬼門となる。

臨海地の住宅は、用水路に沿って建てられる。

内陸津波を回避するには、住み慣れた自分の家を捨てる形になる。

避難する方向は、用水路から離れる方向でなければならないからだ。

簡単にはいかないのは、住民たちは常日頃用水路に沿って歩き、車を走らせる。

生活とは真逆な行動がパニック状態の時に可能なのかどうか?

考えながら煙草を吸おうと携帯灰皿とラッキーストライクをポケットから出した時、


「どちらさんですか?」


顔を見合わせた四ノ宮に強烈な印象があったのは、綺麗にそりあがった頭だ。


「四ノ宮と申しますが、もしや浅貫さんでしょうか?」


浅貫は頷き


「四ノ宮さんでしたか、どうぞ入ってください。茶でも。」


と四ノ宮を家に招き入れた。


「然し、驚きました。あんたの様な東京の偉いお方が、私個人に会いたいと言われて。」


四ノ宮は、今回の岡山での災害会議には、前回の香川での失態を踏まえ、根回しと言うわけではないが、代表にある程度、詳しい確信を突いた説明をしておくのが上手くいくような気がしていた。

浅貫は、岡山のコミュニティの代表であると同時に、行政に頼るよりも住民からの信頼が厚いという情報を岡山市出身のディフェンドの同僚に聞いていた。

この男を何とか納得させればと思ったのだ。


「さあ、お茶が入りました。岡山名物、桃のお茶と、大手饅頭です。摘まんでください。ちょっと癖が強いんじゃが。」


四ノ宮は恐縮しながらも、初めての桃のお茶の甘味に心を奪われた。




「四ノ宮さん、四ノ宮さん、口に合いませんでしたか?」


浅貫が心配そうに四ノ宮の顔を覗きこむ。


「え、あ、いや、余りにも香りが心をくすぐるものですから。」


四ノ宮は、母の電話の事を思い出していた。


「それでわしに何のご用ですか。会の時ではいけないような話じゃろうか。」


浅貫は、どちらかと言うと興味を示しているように思えた。


「いえ、会の時に説明する話をあらかじめ知っていただく事でより充実した説明が出来ると思いまして。」


四ノ宮の言葉にウソは無い。

然し、思惑は確かにあった。

浅貫が納得してくれていれば他のコミュニティから反発が出ても自分の主張を押し通す事が出来るのではないか。

然し、それは自己満足なのかもしれないとも四ノ宮は思っていた。


「それではこの図面をご覧ください。」


食卓テーブルに広げた3枚のA4紙に、用水路と住宅、臨界区域の色分け、海洋を現している。


「今回の瀬戸内コミュニティ等による津波を考える会に提示しようと思っている被害が及ぶ区域と避難経路です。」


浅貫は図を食い入るように見てうなった。


「んんっ。これは岡山市の全体図ですな、この赤い色つまり内陸からの津波が海からの津波よりももんげえ早く町を覆っていますね。然し、海側より山側の方が早いとなっているのはおかしいと思うんじゃが。」


浅貫は、四ノ宮の作成書類に間違いを指摘していた。


「よく見ていください。この内陸側の津波の出所を。」


「でどころ?」


四ノ宮の指す個所を見た浅貫は、言葉を無くす。


「これは。水路に沿ってあふれた水が津波よりも先に町を覆い尽くしている。」


生活用水とも言える用水路が住民を飲み込む。

四ノ宮が見せたこのデータは現在研究所などで予測されている開示前のデータだ。

特に海に近い臨海地域では、海からよりも用水路からの内陸津波の方が住宅地を覆うのが早い。


「そんな馬鹿な事があるかの。」


浅貫は冷静さを失っている。


「でかい海から津波が来るんじゃが。其れがこんな狭い水路が先に家を覆うなんて有りえん。こんなもん、皆がきょうてえでみらん。てえれえ申し訳なんじゃがいんでくだされ」


そのまま黙りこんだ浅貫に、四ノ宮は説得を断念するしかなかった。





その日の午後、瀬戸内コミュニティ等による津波を考える会は開催された。

住民の理解を得る事は至難の業だ。


「・・・以上が南海トラフ大震災時に予想される津波の経路です。」


予想外に参加者全員がこの話に納得している。


「それじゃぁ、わしら用水路沿いの家のもんはどう逃げればいいんじゃ。」


正しく四ノ宮が待っていた質問だ。

よく見ると浅貫を中心に全員が確かめあう姿が見える。


「浅貫さん。」


浅貫が住民に何かしら働きかけてくれたと四ノ宮は感じた。


「水流から身を守るには、ヴァーティカルエヴァキュエイション。」


「日本語で垂直避難です。これしかありません。」


全ての人がイメージできていた。


「つまり、家の二階や、近くの高い建物の屋上などに避難するしかありません。水流から人が走って逃げる事はできません。」


ここで一つ、不満が上がった。


「わしらの家の周りはせいぜい二階建て。その高さで水から逃れられるのじゃろうか。」


「臨海地域は殆んどが住宅地で平地、高い所と言われても困りますよね。それで行政側に津波避難用の高い建築物を各地域に一棟ずつ建ててもらいます。俗に津波避難タワーと呼ばれています。それともう一つ、手動式の用水路ゲートを作る事を提案します。」


四ノ宮の言葉に住民側から質問が出た。


「今もゲートはちゃんとある。それも遠隔操作で開閉する立派なもんじゃが。」


四ノ宮は、この言葉を待っていたかのようにすかさず答えた。


「確かに、立派なゲートがある事は知っています。然し、311の例から行くと、津波の時にはゲートは動かないんです。」


この言葉は住民に衝撃を与えた。


「動かないも何も今までもちゃんと機能しているぞ。故障なんて聞いたことも無い。」


四ノ宮は続ける。


「ゲート本体には津波に持ちこたえるだけの対荷重は有ります。然し、東北地方太平洋沖地震津波では、動力、制御装置類が全滅しました。電力室が浸かってしまったんです。相手は水であると言う事が電気系統の装置の弱さなんです。」


この時点で住民側は手動の意味を把握した。

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垂直避難 138億年から来た人間 @onmyoudou

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