第3話 浅貫 緋香里

 「四ノ宮、四国コミュニティ会議の報告書出来あがったか。」


信田課長の声に渋い表情で「出来ています。」と立ちあがった四ノ宮のその足は、マラソンランナーが疲労の限界で感じる鉛を結わえたような重い足どりだ。


「これです。」


昨夜作り上げた報告書を提出すると、信田の口から、「ちぇ。」と批判する言葉を詰め込んだ音が聞こえた。

一瞥した信田はこめかみに薄っすら血管を浮き上がらせている。

怒りをぶつける事が明らかな表情だ。

其れは単に書類のせいだけではない。

四国コミュニティ会議の終了と同時に行政側からの苦情電話が信田に掛っていた。


「何だこれは。経費使って道後温泉にでも入ったか。」


畳みかけるように


「おまえはやっぱり落ちこぼれだ」


吐き捨てられた四ノ宮は、「何も結果を残せなかったんだしょうがない。」と自虐する事しかできなかった。


 翌日、「瀬戸内コミュニティ等による津波を考える会」と言う説明会を市民団体が主催し、ディフェンドにも招待状が届いた。

信田は四ノ宮に敢えて出席する指示をした。

会場は、岡山県岡山市。

岡山県は、干拓地が多く、液状化現象を受けやすい。

おまけに海抜ゼロメートルで津波に脆い土地と言われている。

臨海部から内陸に伸びる網状用水路が、津波被害をさらに増幅するとも思われている。


四ノ宮は、今回岡山まで高速バスを使う事になった。

四国コミュニティ会議の失態により経費を削減された。


「岡山に最も津波の影響を齎すのは、紀伊水道、他にも明石海峡、鳴門海峡、豊後水道と、津波を招待するような地形だ。用水路の説明で、香川のため池の様な事にならないよう気をつけなければ。」


四ノ宮は、余り詳しいデータの説明を今回は止め、避難経路や身体弱者などのヒューマンセオリーな説明に終始する事に決めている。

暗い中で目を閉じているといつの間にか眠りに落ちた。






目覚めたときには、岡山駅のバスターミナルに着いていた。

岡山に着くとすぐに市民団体の代表浅貫康一郎に会う為タクシーで自宅のある岡山市内へと向かった。

到着すると浅貫の家に少し驚いた。

ごく普通の借家で、平屋の上に外見からかなり狭い家という印象を受けたからだ。


「ほんとに市民の為に働いているお方の様だ。」


四ノ宮は余計な詮索を打ち消すように、手作りらしき呼び鈴を鳴らした。


「おはようございます。浅貫さん。」


ノブ付きの簡易なドアの前で、聞こえるよう大きな声で呼んでみるが、人の気配を感じない。


「おかしいな、どこかへ出かけたかな。」


四ノ宮は家の周りを歩きながら、粗末な住まいを眺めた。

大きな窓は一つも無く顔だけが見えるような小さな窓が東と西にあるだけで家というよりも倉庫に近い建物だ。

家を一周し、諦めてホテルへ行こうかと踵を返した時だった。


「あの、家に何かご用ですか?」


若い事務の制服を着た女性に声を掛けられた。


「あ、いえ、浅貫さんにちょっと用事があって。」


四ノ宮は答えに窮しながらも女性の顔を正面から見た。


「あれ、どこかで会ったような。」と疑問を感じ、若い女性も、目が驚いているように思えた。


「あなた、確かコンビニで会いましたよね。」


女性が先に疑問を解いた。


「コンビニ?」


四ノ宮はその人物を思い出すのに時間がかかったがそうだと記憶を蘇らせた。


「あ、高速下のコンビニのあの時の。」


四ノ宮は、日本語が少しおかしく思えたが、あのディフェンドへの通勤時にコンビニで総菜パンを買ったときに「すみません」と言った女性だと思い出した。

人を包み込む優しさを感じたあの女性だ。


彼女の名前は、浅貫あさぬき 緋香里ひかり、岡山県市役所職員だという。


「なんであなたがここに居るのか驚きました。」


四ノ宮は、自分が彼女に思った感情は隠して言った。


「私も驚きました。埼玉で有った人に地元で会えるなんて、偶然というものはほんとに人を驚かせますね。」


彼女の言葉で二人はお互い身近な存在に思えた。

緋香里の話では埼玉へは短期の出超だったらしい。


彼女の母親は、2年前に乳癌で亡くなったと言った。


「それはそうとお父さんの所在はどちらに。」


四ノ宮は取ってつけたように肝心な事を聞いた。

クスッと緋香里は笑い、朝の散歩ですと言った。

浅貫は、常日頃から、この近くを周回する散歩を行いながら町の様子の変化や、危険予知などを現地で行うという。

四ノ宮は、自分よりも詳しい事は間違いないと思った。


「もうすぐ帰ってくると思いますから、家に入ってお待ちください。」


そういう彼女に対して出勤時だと思い丁重に断りを入れ四ノ宮は玄関前で待つ事にした。

緋香里には仕事に行くようお願いをした。







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