第三十九話

 楢岡の町に入った二人は、楢岡には目もくれずそのまま町を通り過ぎた。七篠先生の診療所は楢岡の外れの外れ、これから柏原に向かう峠の麓にある。

 柿ノ木川を左に見ながら柏原の方へ向かっていた栄吉は「ここを右だよ」という悠の声が無ければその細い道には気づかなった。

「あっしはここで待ってるぜ」

「いや、ここじゃ目立ちすぎるねぇ。街道を行き来する人から丸見えさ。もうちょっと奥まで行こうじゃないか」

 診療所への道は、街道から右に入ってすぐにまた左に曲がった。そのまま坂道を登っていくのでこの途中で待っていれば七篠先生にも街道の往来からも見えないという寸法だ。

 悠は栄吉をその辺に待たせて七篠先生の診療所へと向かった。今日は誰も変なのは来ていなさそうだ。危険になったらすぐに栄吉を呼べばいい。心強いことこの上ない。

「ちょいとごめんなさいよ。七篠先生はいらっしゃるかねぇ」

 しばらくすると奥の方からパタパタと足音が聞こえて来た。

「あら、あなたは確か榎屋のおかみさんを連れて来てくれた……ええと悠さんでしたっけ」

「おや、名前を憶えていてくれたなんて嬉しいじゃないか」

「どうしました? ここは悠さんのような元気な方が来るところじゃありませんよ」

 悠は「わかっている」と言うように頷くと、小声で「鑑定して欲しいものがあるんですよ」と言った。「七篠先生、あなたにしか鑑定できない」

「なんでしょうね。どうぞ上がってください」

「いや、ここで結構。これを見てください」

 悠は袂から煙管を出した。その中には黒っぽいものが詰まっている。それを見て七篠先生は顔を青くした。

「これ、どうなさったんです?」

「ほら、先日お玉ちゃんと琴次が来た時にゴロツキが来たでしょう。あの二人はあたしの知り合いでね。ちょいと絞ったら頼まれたってあっさり吐いちまいましてね。その依頼人てのが七篠先生がどこから薬を仕入れているのか知りたがっていたっていうもんですから、わざと罠にかかってみたんですよ。そしたらこれを吸わされそうになったもんでね。あたしは煙管を二本持ってるんです。こっちにそれを詰めて、あたしは自分の刻みを知らん顔で吸ってたんですよ。周りの人たちを見ながら演技してね。演技しながら思ったんです。これはアヘンだなってね。でもあたしは素人だ。七篠先生ならきちんと見分けてくれるだろうと思って持って来たんですよ」

 彼女はじっと煙管の中身を見つめていたが、すっと顔を上げて悠の目を見た。

「これはアヘンです。医療用に使われていないとすれば、とんでもないことになります。止めなくては」

「ちょっと小耳に挟んだんですけどねぇ。七篠先生はずっと甚六さんから薬を仕入れてるんですよねぇ」

「ええ。なんでそんなことご存じなんです?」

「まあ、あたしは何でもありなんですよ」

 悠は笑ってごまかすと、そのまま言葉を継いだ。

「甚六さんが最近ケシ畑を整備しているのはここと暗黒斎先生に卸すためだけでは足りなくなったってことですよねぇ」

「ええ、もう一軒、潮崎の大店と契約したとかで」

 悠は少しばかり凄みを利かせて言った。

「それが本当に薬屋ならいいんですけどねぇ」

「潮崎の薬屋で、確か『鳴海屋』さんて言ってたと思いますが。甚六さんに確認してみます。教えてくださってありがとう」

「煙管は返して貰っていいかい?」

「ええ、もちろん」

「いろいろ助かったよ、邪魔したね」

 表に出ても栄吉の姿は見えなかった。建物の近くは避けたのだろう。しばらく坂を下ると曲がり角で刻みをふかしている栄吉が見えた。

「どうだったい」

「間違いないね」

「よし、柏原に戻るぞ」

「あいよ」


 柏原に戻って勝五郎親分のところへ行くと、なんとびっくりな事に潮崎の森窪の旦那が来ていた。

「旦那、来てらしてたんですかい」

「おう、栄吉さんに悠さんじゃないか、ちょっと勝五郎親分に話があってね」

「この間の不審な遺体のことじゃありませんかねぇ?」

 二人の分の麦湯を入れながら勝五郎が「なんで分かった?」と聞いた。

「あっしらはそいつの報告に来たんだが、途中で三郎太に森窪の旦那を迎えに行かしちまった。まあ、あいつのことだ、とんでもねえ速さで戻って来るだろうけどよ」

「鉄砲の玉より脚が速いっていつも言ってますからねぇ」

 それを聞いて森窪の旦那が「それなら『鉄砲玉のサブ』でいいじゃねえか」などと無茶を言う。

「それじゃいくらなんでも飛んで行ったら戻ってこないみたいじゃありませんか」

 などと言っていると突然番屋の引き戸がバーンと開いた。三郎太だった。

「ちょっと兄さん、速すぎやしないかい?」

「いやそれが森窪の旦那が柏原へ向かったって聞いたもんだから大急ぎで戻って来たんでぇ。おいらはこう見えても嘘と髪はゆうたことが無いからな!」

「髪は結えないだけだろ」

「結うだけの髪がねえんだ、仕方ねえ」

 勝五郎と栄吉のあまりにも酷い感想を無視して、三郎太は悠に迫った。

「さあ、あすこであったことを親分さんたちに話そうぜ」

「そうさねぇ」

 悠は腰を下ろすと懐から煙管を出した。

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