第三十八話 

 しばらく追っていると、悠が屋形船の障子を開けて出てきた。ちらりと見えたその中には煙管をふかして寛いでいる人が何人か見えた。

 悠は船のともに腰を据え、優雅に煙管をふかしている。この男は喧嘩以外なら何をやってもサマになる。

 先程のぺこぺこしていた男が悠に何か声をかけている。中に入れと言っているようだ。悠が自分の座っている横をポンポンと叩いて何か言うと、男はわかったというように中へ入って行った。

「大方、人の大勢いるところは苦手だとか言ったんだろうよ」

「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。色男ってなぁ船の舳先も艫も似合うもんだね。あれで女がいないのが不思議だよ」

「いるだろうが。お恵にお清にしのぶに……」

「子供ばっかりじゃねえか。冗談はおいらの頭だけにしてくれよ」

 確かに最近ますます髪の薄さが目立って来ている。

「それより、どこまで行くのかが問題だな」

 柿ノ木川も潮崎まで来ると入り組んだ水路が作られ、運河としての役目を果たしている。そこを時間をかけてゆっくりと屋形船は進んでいく。 三郎太と栄吉は顔を覚えられないように交代で尾行を続けた。

 一刻ほど過ぎたころ、屋形船は岸に寄せて来た。先程船を出したところに、ぐるりと一周して戻ってきたようだった。

 三郎太と栄吉は物陰に隠れて見ていたが、すぐには客が出てくる気配はなかった。恐らく家の者が駕籠を寄越すのを待っているのだろう。もしも本当にアヘンなら、そのまま歩いて帰ることなどできるわけがない。芝居を打っているであろう悠もすぐには下りて来なかった。

 しばらくしてぱらぱらと客が降りて来た。どの顔もこの世を見ていないかった。誰もが痩せ、目に力が無かった。迎えに来た家の者に連れられて駕籠に乗っていくか、目の前の船宿に入って行った。

 悠を連れてきた男は、また悠に近付いて二言三言話して悠を船宿に連れて行った。悠は少々千鳥足になっていてその男に支えられながら船宿に入った。

「栄吉さん、悠さん大丈夫かな」

「馬鹿野郎、悠だぞ。あんなの芝居に決まってんだろうが。わざわざ船宿にまで入ったのは、中の様子を見てくるために決まってんじゃねえか」

 それでもまだグズグズ言っている三郎太に栄吉は仕方なく言った。

「半刻過ぎても悠の野郎が出て来なかったら、あっしが乗り込んでやるよ」

「でも腕っぷしの強いのが五、六人いるかもしれねえぜ」

「十人束になっても変わんねえよ」

 実際のところ二十人束になってもあまり変わらないだろうが、そんな事を言うと三郎太が腰を抜かすか冗談だと思って終わりだ。こういうのは少し控えめに言っておくに限る。なにしろ三郎太は栄吉の前職を知らない。

 結局悠は四半刻ほどで出てきた。例の男が見送りに出てきた。悠はしっかりとした足取りで「今日はずいぶん楽しませて貰ったよ。また来てもいいかい?」などと言っている。男の方は揉み手をしながら満面の笑顔で「ぜひともおいで下さいまし」と、それはそれは『良いカモを見つけた』と言いたげに悠を見送った。

 悠は懐手でぶらぶら歩き、そのままのんびりと楢岡の方へ向かった。悠に声をかけようとする三郎太を栄吉がグッと腕を掴んで止めた。

「誰かが後を尾けてるかもしれねえ。しばらく離れて悠を追うんだ」

「さすが栄吉さん、てぇしたもんだよ蛙のションベン」

 まっすぐ潮崎の中央を突っ切り、柿ノ木川沿いの街道へ出た。ここまで来れば追手がいたとしてもすぐにわかる。しばらくの間、栄吉と三郎太は街道を歩かずに街道沿いの雑木林の中を静かに悠を追った。栄吉がそろそろ大丈夫だなと思った時、ちょうど前を向いたまま歩いていた悠が「お二人とも出て来て大丈夫ですよ」と言った。

「あれ? 悠さんおいらたちがついて来てるの気づいてたのか?」

「むしろ気付いてないと思われていたことが心外ですねぇ。あたしはそんなに愚鈍だとは自分で思ってないもんでね」

「コイツが心配しやがって、うるせえうるせえ。悠だから大丈夫だって言ってんのによ」

「いや、だって栄吉さんと悠さんとおいらで『枝鳴長屋のすてきな三人組』って感じじゃねえか」

「誰が素敵なんだよ」

「腕っぷしの強いジジイと、無駄に色気のある幼女趣味の男前と、ちょっと髪に哀愁漂うおいら」

 こらえていた悠が「そいつは素敵だ」と遂に笑い出し、「誰がジジイだ」と栄吉がブツブツ文句を言った。悠が「ハイハイ、三十五歳でしたね」と言いながら爆笑し(悠の爆笑は実に珍しい)、笑いが収まるころにボソリと言った。

「このまま七篠先生のところへちょっと寄りたいんだけど構わないかねえ」

「おう、あっしもそのつもりでいた。あっしと三郎太は街道から入った途中で待ってるぜ。おめえさん一人で行った方がいいだろう」

「ええ、そうですね。七篠先生に会ったことがあるのはあたしだけですからね」

 一人だけよくわかっていない三郎太が鷺のような細長い首をにゅっと悠の前に出した。

「七篠先生のところへ何しに行くんでぇ?」

 悠はニヤリと笑うと袂をトントンと軽く叩いた。

「さっきあの屋形船で貰ったものがいったい何なのか鑑定していただくんですよ……それより、三郎太の兄さんには森窪の旦那のところに行って貰った方がいいですかねぇ。鉄砲の玉より速いその脚で」

「おう、構わねえぜ」

「森窪の旦那にこう言ってください。廻船問屋の鳴海屋さんのことを教えて欲しいってね。それを柏原の勝五郎親分のところへ知らせに来て欲しい。もっとすごい情報をこちらは持っているって言ってくれりゃあ、旦那もすっ飛んできますよ」

「おっと合点承知の助、ちょっくら行って来るぜ」

 言うが早いか、三郎太はもう踵を返して土ぼこりを舞い上げながら駆けて行ってしまった。

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