第三十七話
その頃、椎ノ木川の河原では、お恵と松太郎が深刻な顔で話していた。どこからともなくツバメがやって来て彼らの頭上で輪を描いて飛んで行く。
「この間、榎屋さんのおかみさんが亡くなったでしょ。あれ、七篠先生のところで面倒を見て貰って息を引き取ったそうなの。知ってた?」
「うん、お玉さんが祝言を上げたその日に亡くなったって聞いた」
松太郎もお店を離れるとすっかりお恵と友達のように接してくるようになっている。
「その祝言もおかみさんのために偽祝言をでっち上げたって聞いたけど」
「そうなの。枝鳴長屋の面々が中心になって、ご近所さんを巻き込んで本物らしくやったのよ。ほら、枝鳴長屋の人達ってみんな世話焼きでしょ」
お恵は自分がそこに含まれていることには一切気付けないようだ、と松太郎は心の中で苦笑いする。
「お相手役は?」
「髪結いの琴次さん」
「偽祝言にはぴったりだね」
「問題はその後なの」
「問題?」
土手で後ろに手をついて座っていた松太郎が体を起こして膝を抱えた。
「葬式の後、お玉さんはおかげさまでおっ母さんの願いを叶えることができましたって七篠先生のところへ挨拶に行こうとしていたの」
「えっ、葬式終わってすぐに?」
「うん。とにかくお礼が言いたかったんですって。だけど、おっ母さんが亡くなったばかりで気が動転しているんだって気づいた琴次さんが、お玉さんについて行ってあげたのよ。ほら、オカマさんって気配りが凄いでしょ」
「そうだね。琴次さん、優しいんだね」
「そうなの。あの人も世話焼きだから」
お恵ちゃんもだよ……待てよ、こんな話に付き合っている自分も世話焼きかもしれない。松太郎は今度こそ隠れて苦笑いした。
「それで二人で行ってみたら、七篠先生がゴロツキに絡まれていて、それで琴次さんが追っ払っちゃったの」
「おお~。カッコいいね、琴次さん」
「って言っても何もしてないのよ。言葉だけで追い払ったらしいの。ますますカッコいいでしょ?」
「あんな筋骨隆々で喧嘩強そうなのに?」
「本当に強い人は戦ったりしないものだって、栄吉さんから聞いたことがあるわ。きっと琴次さんは本当に強い人なんだと思うの」
「へえ、琴次さんカッコいいなぁ。凍夜もカッコ良かったよ。私たち兄妹を逃がそうとして冷静に動いてた。私もそんな風になりたい。でも琴次さんみたいにオカマにはなれそうにないや」
松太郎が照れたように後ろ頭を搔くと「ならなくていいから!」とツッコまれた。
「そのゴロツキ、どうも七篠先生がどこからアヘンを仕入れているのか知りたがってたらしいの」
「えっ」
松太郎の顔色が変わった。一瞬にして何かを察したようだ。
「枝鳴長屋の人達のお喋りだったもんだからそんな話をしているなんて思いもしなくて普通にそこに割り込んじゃったの。甚六さんちの畑が大幅に整備されてケシがたくさん植えられてるって。そうしたらその場の雰囲気が変わったから、もしかしたら甚六さんは七篠先生のところへ納入するためにケシ畑を整備したんじゃないかなって思って。あたし余計なこと言っちゃったかもしれない。どうしよう」
難しい顔になった松太郎はしばらく考えてから自分に言うようにぼそぼそと話した。
「アヘンは確かにケシから取る。アヘン中毒になるとどうやってもやめられないから、どれだけでも金を積むことになる。業者からしたら金の卵だ。でも甚六さんがたくさんのアヘンを作っていたとしても、それだけの労働力がかかっているわけだから、口の堅い人足を雇うということになればそんなに得をしたことにはならない」
「人足は雇ってないよ。子供たちだけで頑張ってるの。だからね、これから忙しい時期になるし、それなりに文字や算術も覚えたからって、あたし解雇になったのよ」
「なるほど」
松太郎はまたしばらく考えて、手元の小石を川に放った。ポチャンと音がして水面に波紋が広がった。
「だとすれば、一番得をするのは仲介屋だ。もしも……もしもだけど、誰かが悪意を持ってわざとアヘン中毒者を増やしているのだとしたら、その分金が儲かる。ただ、そのアヘンをどうやって仕入れるかが問題だ。そう考えれば、七篠先生のところにアヘンの仕入れ先を聞くように迫るのは大いにあり得るよ」
川面を見つめて聞いていたお恵は、縋るように松太郎に視線を移した。
「ねえ、あたし余計な事言っちゃったのかなぁ」
松太郎はゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫。悠さんは勝五郎親分と繋がってる。お恵ちゃんの話を聞いたのなら、きっと勝五郎親分にはもう話は通ってるよ。お恵ちゃんはじっとしていた方がいい」
「甚六さんは罪に問われたりしないのかな」
「相手が医者じゃないとわかっていて売買契約したら罪に問われるけど、相手が医者を名乗っていたら大丈夫」
お恵はホッとしたように肩を落とした。
「良かった。それなら大丈夫だわ。罪に問われるようなものを子どもたちに作らせるわけがないもんね」
「うん、大丈夫だよ。あとは親分さんたちに任せよう」
「そうね」
お恵はやっと納得したように立ち上がった。
「もっとお話ししていたいけど、奉公人をこれ以上付き合わせるわけにはいかないわね」
「またゆっくり話そう」
二人は約束して別れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます