第十章 囮

第三十六話 

 驚いたことに三人のゴロツキは柿ノ木川へと向かった。これは街道を進むことになるぞ、と枝鳴長屋の三人が思った時、ゴロツキどもは左へ逸れた。川下、つまり楢岡の方へと向かう気だ。

 栄吉は気配を消し、悠は身を隠しながら、三郎太は道の真ん中を堂々と歩いた。これなら三郎太が目立って他の二人の存在が消せる。

 やがて楢岡の一本松が見えてきた。悠は少々警戒したが、ゴロツキどもが七篠先生のところへ向かうことはなかった。まっすぐ街中を目指している。

 そのまま彼らは楢岡の町を過ぎ、潮崎の町へと向かった。どうやら黒幕は潮崎にいるらしい。

「なんだか黒幕はいつも潮崎だな」と悠は思う。その反面、柏原や楢岡じゃ町自体が小さすぎて大きな悪事に発展しないのだろうというのもわかる気がする。

 それと同時に、平和な柏原に住みながらわざわざ悪事に首を突っ込む自分にも笑ってしまう。それもこれも恐らく初恋であっただろうひと、佐倉奈津……いや、蜜柑太夫との人生をかけた固い誓いがあったからこそだ。

「女は幼女がいちばんさ」悠はこっそりと声に出して言った。


 しばらく歩いてゴロツキの三人は潮崎で一軒の店に入って行った。そのころにはもう既に栄吉がどこに潜んでいるのか三郎太と悠にはわからなかった。

「あれは賭博屋だね」

「悠さん、なんでそんなのがわかるんだい」

「見てごらん、出てくる連中がみんなしけた顔してる。金をっちまったからさ。買ってるお人はまだ中でやってるんだ。負けた人は金が無いからああして帰るしかない」

「へ~え、よく見てるね。恐れ入り谷の鬼子母神だ」

「じゃ、ちょいと乗り込んで来るかね」

 悠が向かおうとするのを三郎太が全力で引き留めた。

「待て待て待て。行ってどうするんだよ。おいらには何がなんきん茄子カボチャでぃ」

「なぁに、様子を見て来るだけさ。兄さんはここで見張っててくれるかい? どこから見ても博打うちには見えないからね。あたしは小金持ちの馬鹿旦那の役だけは得意なんだ」

 そう言えば凍夜の仲間のしのぶを取り返したときも、栄吉さんと二人で馬鹿旦那と番頭さんの役を完璧に演じてたと言っていた。などと三郎太が考えている間に悠はとっとと店に入って行った。

 行っちまったよ、どうしよう……と思っていると、いきなり背後からドスの利いた声で「おい」と声をかけられた。三郎太は飛び上がるほど驚いたが、冷静に考えてみれば栄吉が離れてついて来ていたんだったと思いだした。

「もう、驚かさないでくれよ、びっくり下谷の広徳寺じゃねえか」

「悠が勝ったら仕事だぜ」

「へ?」

「あいつ賭博場だって言ってただろう」

「ああ、まあそうだけど」

「悠は博打うちに行ったんだ。そこで勝てばあっしらの出番だ」

「だからなんでおいらたちの出番なんだよ」

「そん時になりゃわかる。普通に考えたら一刻。悠の野郎が上手くやれば半刻でカタが付く。とにかくおめえは俺の言うとおりにしろ」

「なんだかわかんねえけど合点承知の助でぃ」


 それから半刻、栄吉の予想通り、悠が出てきた。三郎太が駆け寄ろうとするのを栄吉が止める。

「悠があっしらを探していねぇ。ってことは芝居を続けてるんだ。邪魔すんじゃねえ」

 懐手に出てきた悠は涼しい顔で歩いている。いつもよりゆっくり目だ。まるで誰かを待っているような。

 待っていたらしい相手はすぐに店から小走りに出てきて悠をつかまえた。悠は待っていたくせに初めて気づいたように驚いて見せている。とんでもない役者だ。

 相手はどこかの店の番頭のように手揉みをしながらぺこぺこと何度も小さく頭を下げて悠に何かを話しかけている。

 栄吉が小声で「悠、乗れ」と独り言を言うのを聞いて三郎太は「何に?」と聞く。

「悠が博打で勝ちまくってそれなりの金を持っている。そこに良い話を持って来たんだよあのおっさんは。その話にうまく乗れば黒幕がわかる。悠のことだ、最初っから計算済みだ。見てろ、話に乗ったふりをするぜ」

 案の定、悠はその男と一言二言離すと、男の方が案内する形で先に立った。悠がチラリと二人に視線を投げかける。栄吉は目顔で答えると「尾けるぞ」と言った。

「つ、つける?」

「おめえが先に行け。あっしはおめえと少し離れて歩く」

「合点承知の助だ」

 さきほどのぺこぺこしていた男はまだ悠に対してぺこぺこしている。よほどの上客……つまり博打で買ったのだろう。どうなっているのかよくわからないが、そういうことに関しては悠は天才的だ。まず外さない。

 少し歩くと柿ノ木川に出てそこに屋形船が停泊しているのが見えた。ほかにも乗客がいるのか、何人かが船に乗ろうとしている。そのとき、船の入り口で金を払っているのが見えた。

 三郎太が栄吉を振り返った。栄吉は「いいから見とけ」という顔をした。どの客も払っている金は同じ、たったの一枚だ。ただし黄金色に光る一両小判だった。

 あんな大金悠さんが持ってるわけが……まで考えて三郎太は気づいた。そうか、だからそのために賭博場へ入ったんだ。そして当たり前のように勝って、小判を手にしたのだ。

 しかし、乗るだけで小判一枚とは、いったいどんな豪華料理と酒が。あとは女か。ぼったくり甚だしいな、と怒っていると、栄吉が近づいて来てボソリと言った。

「一番の商品はアヘンだぜ」

「へ? じゃあ悠さんは中毒患者になっちまう」

「大丈夫だ、悠ならアヘンを詰めたふりをしてただの刻みでも詰めておくだろう。とにかくあの船がどこまで行くか、追うぞ」

「浜の真砂と悪人の種は尽きねえな」

 屋形船は出発し、二人は尾行を開始した。

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