第三十二話
悠は柏茶屋の帰りに勝五郎の番屋へと立ち寄った。引き戸を開けると、見慣れた同心羽織が目に飛び込んできた。
「チョイとごめんなさいよ」
「おお、悠か。入れ」
「おや、森窪の旦那じゃありませんか」
勝五郎が悠のために茶を淹れようと立ち上がった。
「ほら、こないだの七篠先生のところに行ったウマシカ兄弟の話をしてたんでぇ」
そこからを森窪の旦那が引き継いだ。
「このごろ潮崎で骨と皮ばかりのガリガリに痩せた死体が海に打ち上げられていることが多いんだ。それも海で溺れたんじゃねえ、死んでから捨てられたホトケさんだ。それでこの前、栄吉さんの店で蕎麦食いながらその話を勝五郎親分としてたらよ、栄吉さんがアヘンだって言うんだよ。確かにアヘンの中毒患者はあんな感じの死体になる。それで調べてたってわけだ」
勝五郎がぶつくさと言いながら七輪に土瓶をかける。
「潮崎は港町だ、アヘンを作る場所はねえが、いくらでも船で入って来るってそう言ったんだけどよ、森窪の旦那がそれはねえって言うんだよ」
「ああ、そりゃあねえな。うちの港じゃ入ってきた積み荷をその場で全部開けるんだ。それで細かく検査する。積み荷の検査で変なものを持ち込もうとしてた人間は即
「あたしも一つ掴んで来たんだ。この前の七篠先生にどうしても聞きたかった薬の仕入れ先、あれは甚六さんのところらしい」
勝五郎が「おや?」という顔になる。
「甚六さんってのは確か松清堂にいた人じゃなかったかい?」
「そうなんだよ。なぜか七篠先生と甚六さんは知り合いで、松清堂からは買わずに甚六さんのところから買ってたらしいのさ。その後松清堂が燃えて暗黒斎先生が困っているのを見て甚六さんを紹介したらしいんだ」
「ああ、それで甚六さんは手が足りなくなって子供たちに読み書きを教えて一人前にしようとしてお恵ちゃんに頼んだのか」
悠はそれを聞いてハッとした。そうか、それですべてつながる。甚六は今までの七篠先生の仕事に加え、暗黒斎先生の分も作らなければならなくなってしまったのか。
「おや? どうして勝五郎親分が、お恵が甚六さんちに行っていることを知ってるんだい?」
勝五郎はニヤリと笑った。
「松太郎から聞いたんだよ。徳屋の。最初甚六さんは松太郎に頼みに行ったんだが、もうあいつは奉公人だ。その時たまたまいたお恵ちゃんが自分がやりますって言ってくれたらしいぜ。それで松太郎が心配して、たまに見に行ってくれってあっしにね」
そう言って勝五郎はニヤニヤと笑った。二人が相思相愛なのを知らないのは本人たちだけなのだ。
今度は森窪の旦那が「それじゃあこうしよう」とポンと手を打った。
「お恵ちゃんは甚六さんのところへしょっちゅう行ってるわけだろう? 甚六さんちの様子をお恵ちゃんから聞けばいいんじゃねえのかい? おまえさんなら聞けるだろう?」
「というわけでお恵ちゃんに会いたいんだけど、どこ行っちゃったんだろうねぇ」
お恵がいないときは三郎太に聞くに限る。三郎太が知らないことなんてあるとすれば喧嘩の仕方と人の殺し方くらいだ。
「大方徳屋さんの松太郎のところでしょう。でもそういう話ならおいらがお恵ちゃんから聞いてますぜ」
「それ先に言っとくれよ」
二人はそのまま悠の部屋へと入った。今日は仕事が立て込んでいないのか、彼の部屋にしてはずいぶんと綺麗に整っていた。
悠の部屋なのになぜか三郎太が当たり前のように茶を淹れているのがおかしい。
「何から話したらいいんだい?」
「全部だよ」
「全部ねぇ」
言いながらお茶を持って来た三郎太は、悠に湯飲みを一つ渡した。
「五人兄弟のことは聞いてるな」
「ええ、だいたいね」
むすっとする悠を見て三郎太が笑う。
「相手は子どもじゃねえか。ガキ相手にヤキモチ焼いてんじゃないよ」
「まあそうですけどね」
「それにお恵ちゃんの大本命は松太郎だ。もう諦めなよ悠さん」
「あたしにはしのぶとお清がいますからね。ふん。それで五人兄弟がなんなんです」
「一番上が十二歳の卯一郎。寂しがりやで几帳面、文字を最初に覚えたのもこいつで算術が得意」
悠は頷いて茶を口に含んだ。
「二番目は十一歳の辰二郎。体がデカくて力持ち、大きな荷物を運ぶのも、薬を石臼や薬研で挽いたりするのも彼の仕事だな。で、十歳のお恵ちゃんが入って、九歳の午三郎だ。この子は普段ボーっとしていて人の話を聞いてるのか心配になるようなところのある子だが、薬のことに関しちゃ親より詳しいんじゃねえかって話だ。いわゆる学者肌ってやつだな。八歳の羊四郎は優しくて細かいことに気が利くらしい。辰二郎が大雑把にたたんでいるのをいつも後から丁寧にたたみ直してるらしいな。一番下は一つ離れて六歳の酉五郎。こいつは年齢のせいもあるだろうがとにかく落ち着きがない。じっとしてられねえからお恵ちゃんが文字や算術を教えてる間もあっちへウロウロこっちへウロウロ。まあ、まだ小せえから仕方ねえな。で、問題は午三郎だ」
悠は湯飲みから顔を上げた。
「何が問題なんだい」
「お恵ちゃんが午三郎を気に入ってる」
「そりゃ大問題だねぇ」
「お恵ちゃん、ちょっと前に出張寺子屋辞めたんだよ。それでもよく遊びに行ってるんだ」
「何しに」
悠の口調がついつい咎めるような感じになってしまう。
「だから遊びにだよ。薬のことがもっと知りたいって行くもんだから、上二人と下二人は仕事したままで、結局午三郎がお恵ちゃんの相手をするんだ。収穫時期はいつだとか、どんな花が咲くとか、どんな毒が何の薬になるとか、薬の調合の仕方とか」
「へ~え」
上がり框で足を組んでいた三郎太は思い出したように二人の湯飲みに茶のおかわりを注いだ。
「でも心配すんな、お恵ちゃんは午三郎には流れねえ、本命は松太郎だ」
「よっぽど心配だよ」
「こないだなんか甚六さんとこで手伝いをしたらお礼に熱さましの薬をくれて、その帰りに徳屋に立ち寄ったらちょうど松太郎が熱を出して寝込んでたもんだから使ってやったって言ってたからな。ありゃマジだ」
「縁起でもない事言わないどくれよ。それで、甚六さんのところには何があるんだい」
そのとき部屋の引き戸が開いた。二人は飛び上がらんばかりに驚いた。
「こんにちはー。三郎太さんのところに誰もいなかったからきっとここだと思ったら、やっぱり悠さんも三郎太さんもここだったのね」
お恵だった。
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