第二十七話
一刻の後、栄吉の部屋には枝鳴長屋の三人とお玉の他に、男が二人揃っていた。
「お前さんたち、まだ定職に就いてないのかい? もう二十年の付き合いじゃないか。その間まともな仕事をしてるのを見たことがないよ」
「まあそう言うなや。悠は知らんだろうが、この枝鳴長屋ができる前、天神屋を取り壊す時に天神屋の商品を木槿山の松原屋まで大八車で運ぶのを手伝ってくれたんだぜ。その後天神屋が取り壊されて、枝鳴長屋ができたって寸法よ」
つまり、栄吉とお玉が連れだって七篠先生のところへ行く途中、お玉の見たゴロツキに遭遇してしまったというわけだ。そのゴロツキが栄吉のよく知る二人組だったので、家まで連れて来たという流れである。
因みに悠の耳に耳飾りをする事になったのもこの二人が噛んでいる。いろいろと切っても切れない縁なのだ。
心底悪い人間ではない。ただちょっとばかりお
「この小さい方が鹿蔵、デケエのが弟分の馬之助、二人合わせてウマシカ兄弟ってんだ。そんなに悪い奴らじゃねえ、心配しなくていい」
二人が小さくなっている。
「この間はどうも」
「失礼しました」
「で? 何があったのか説明して貰おうか」
正面にはお玉が立っている。腕組みをして二人をじっと睨みつけてはいるが、心の中では『?』が渦巻いている。あの筋肉隆々の琴次さんを見た時よりも小さくなっているって、栄吉さんや悠さんってどんな人なのかしら――。
「大方『金払いのいい仕事がある』とかそそのかれたんでしょうよ」
悠が笑うと、馬之助の方が「へい、実はそういうことなんで」と一緒になって笑う。そこを栄吉と鹿蔵が同時に「お前が笑っていいとこじゃねえだろ!」と後ろ頭をバシッと叩かれている。やはりお頭の方は少し弱そうだ。
「今は何の仕事をしてるんだい?」
悠がちょいと首を傾けるだけで翡翠が揺れる。この耳飾りを見るだけで、この二人は悠には逆らえない。
「今は下肥問屋で主に汲み上げと運搬をやってます」
「クソ屋か、大変だなぁおめえらも」
下肥問屋というのは、厠に溜めた人糞を汲み上げて肥料の無い農家に売る問屋のことだ。名主の家や大名屋敷の厠から集めてくることが多い。農家は自分のところの厠のものを使うが、それでも足りない時は問屋から買うことになっている。
「でも下肥屋で一番怖いのは感染症です。この兄弟なら感染症の方が裸足で逃げるでしょうから適役ですよ」
悠はなかなかに毒舌だ。見た目が綺麗な分だけ強烈な印象をお玉に与えた。
「それで、どんな金払いのいいお仕事だったんですか?」
お玉がその味噌樽のような体をしゃんと伸ばして二人を見据えた。二人はお互い顔を見合わせたが、結局馬之助の方が答えた。
「それがよ、ある人にあることを聞いてこいってこれだけなんでぇ。そんで兄貴が『ある人ってのはヤバい奴じゃねえだろうな』って聞いたら相手はただの医者だって言うから、それなら大丈夫だと思って行ったんだ」
今度は鹿蔵が口を開いた。
「とにかくその医者に薬をどこから仕入れているか聞いてこいって、それだけなんだ。だから面倒な仕事じゃねえし、それならやろうってことで行ったんだが、その医者が頑固で教えてくれねえ。何もくれって言ってんじゃねえんだし、教えてくれればいいんだって言ってたんだけどよ、あんまり頑固なもんだからちょいとばかり怖い顔して見せてやろうかと思ったらあんたと兄ちゃんが二人で来たんで帰ったんだ。特に期限を決められていたわけじゃねえから、出直せばいいやって」
「でも人殺しって言ったわ。わたしのおっ母さんが死んだのを先生のせいにした」
鹿蔵は困ったように首の後ろをポリポリと掻いた。
「それはよ、もし言わなかったらそれは榎屋のおかみさんが死んだのはその薬のせいだから、薬屋を教えろって言うように言われてたんだ。先生のせいで死んだわけじゃねえことくらいわかってたけど、薬屋のことを言ってもらうにはそういった方がいいかと思ってよ」
「誰なんでぇ、そいつは」
「おいらたちも知らねえんだよ」
悠がコンと音を立てて煙管の灰を火鉢に落とした。
「おや、随分な話だねぇ。それじゃあどうやって情報と金の受け渡しをするんだい?」
馬之助が懐から鉄色と白の
「先生から薬の仕入れ先を聞き出したら、この手ぬぐいを腰にぶら下げて歩くことになってんだ。そしたら情報と交換にあいつらが金をくれることになってる」
「なるほどな……おめえらとは短い付き合いだったな」
「え? 栄吉さん、それどういう意味だよ?」
「栄吉さん、助けてやらないのかい?」
二人が慌て始めた。
「ちょっ……悠さん、助けるって何だよ」
「お前さんたちはどこまでもウマシカだねぇ。この仕事が済んだらお金がもらえるんじゃなくて、お前さんたちが死体になるってことさ」
びっくりしたお玉が両手で口元を押さえた。
「悠さんも栄吉さんも、何をご存じなんです?」
流し目を送った悠がフッと微笑んだ。
「そういう連中の考えそうなことを知ってるだけさ」
二人が目に見えて真っ青になった。
「兄貴……どうしよう」
「し、知るか。その手ぬぐいを出さなきゃいいんだろ」
「でもずっとぶら下げなかったら『いつまでかかるんだ』ってやっぱり殺されるかもしれねえよ。おいら死にたくねえよ。これ兄貴が持っててくれよ」
「馬鹿言うな、誰が持ってても一緒だ」
もめる二人をよそに、悠が当たり前のようにシレッと言った。
「おびき出しますかねぇ、栄吉さん」
「また悠は他人事だと思って。どうせあっしにやらせるんだろうが」
「こういうのは適材適所って言いますからねぇ」
ウマシカ兄弟の顔に不安の色がはっきりと見える。
「まさかおびき出すってのは俺らのどっちかがこの手ぬぐいをぶら下げるってことじゃねえだろうな」
「他に何があるんです?」
「やだよ、おいらまだ死にたくねえよ、兄貴やれよ」
「そうですね。二十年前、馬之助の為なら何でもするって言いましたよね、鹿蔵さん。ああ、そのあと、殺されそうになったら置いて逃げるとも言ってたか」
「大丈夫だ悠。十年前、天神屋の荷物を木槿山に運ぶとき、山賊が出るといけねえってんであっしのためにこの二人は用心棒を買って出たんだ」
これにはさすがの悠も噴き出した。ウマシカ兄弟は栄吉が当時本職の殺し屋だったことを知らずに用心棒を買って出たのかと思うと笑いが止まらない。
「じゃあ問題ないじゃないですか。おっ母さんのことまで出して七篠先生に絡んだんですから、それくらいはやっていただかないと困ります。あなたたちがいかないとなれば、その人たちは別の人を七篠先生のところにやるでしょう。もしかすると自分で行くかもしれません。七篠先生はあんな寂しいところにお一人でいらっしゃるんですよ」
気の毒なウマシカ兄弟の仕事は、お玉の一言で確実になってしまった。
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