第二十六話
数日後、枝鳴長屋に若い女性の声が響いた。
「もし。悠さんのお宅はこちらで間違いないでしょうか」
一斉に三軒の引き戸が開いた。
「お玉ちゃんおはよう」
「おう、どうしたんでえ」
「悠さんに会いに北野の天満宮ってとこだろ?」
お玉はびっくりして目を点にしたまま固まっていたが、しばらくしてにっこりと笑顔になった。おっ母さんを亡くしてまだ日も浅いが、枝鳴長屋の面々はそんな事すら忘れさせてくれる明るさがある。
「ちょいと兄さん、今『悠さん』ってはっきり言ったじゃないのさ。あたしに用事なんだろ、お玉ちゃんは」
「すみません、それが……悠さんのところに来れば琴次さんに会えると聞いたもんですから」
栄吉がブッと噴き出した。
「おいおい、あろうことか琴次かい。まさかこないだの祝言のふりで本当に好きになっちまったんじゃねえだろうな」
「いえ、琴次さんの本命は悠さんだと聞いてますから」
今度は三郎太の噴き出す番だった。悠はムッとしている。そんな悠もまた艶っぽい。
「悠さんは子ども専門だから琴次は一生フラれっぱなしよ。この際お玉ちゃん、琴次をつかまえちまいなよ。アイツはオカマであること以外はいい男だぜ」
「ちょいと兄さんお黙りよ。お玉ちゃんが話せないじゃないのさ」
「すいま千年亀は万年。おいらはお茶でも入れてくらぁ」
「じゃあ、あたしんちは相変わらず足の踏み場もないほどすっちゃかめっちゃかだから、栄吉さんちでも行こうかね」
ということで、いつものように一番きれいな栄吉の部屋の上がり框に腰かけたお玉は、琴次のことを言われて照れているのか俯いたままだ。栄吉は板の間に座り、悠はお玉の隣。そして三郎太は引き戸を開けたすぐ外で、七輪でお湯を沸かしている。
「まあ、そのうちに呼んでもいないのに来るだろうね、琴次は。最初っからこっちに来るよ。あたしんちはいつも酷いからね」
悠がお玉に視線を流す。耳の翡翠が揺れるのがいちいち艶っぽい。
実際悠の部屋はいつも足の踏み場もない。蒔絵の依頼があると部屋じゅうが箱だらけになる。金粉や漆で、悠が一人入るのが精一杯だ。その悠もどうやって作業しているのかさっぱりわからない。
「この前七篠先生にお礼に行った時の怖い人たちが、また七篠先生のところに行ってるんじゃないかと思って心配で」
「ああ、この前琴次が『あたしゃ何もしてませんからね』って弁解してたあれか」
「てめえは真似して小指を噛むんじゃねえ」
突っ込まれつつも、三郎太はみんなにお茶を配った。気の利く男だ。
「お玉ちゃんの用心棒として行くなら、琴次より栄吉さんの方が適任じゃありませんかねぇ」
「栄吉さんがですか!」
「琴次入れても四人の中ではダントツに強いぜ。おいらは喧嘩できねえし、悠さんは筆より重いものは持たねえし、琴次は筋肉だけは立派だが喧嘩の仕方を知らねえ。その点栄吉さんは一人や二人、軽く捻り殺しそうで怖い」
もちろん冗談だが、三郎太は栄吉がその昔本物の殺し屋だったことを知らないのだ。
「殺しゃしねえよ。ちゃんと手加減する」
これもどこまで冗談かわからない。
「じゃあ、済みませんけど、栄吉さんお願いできますか。七篠先生親身になってくださったんでほっとけないんです」
「おめえさんも三郎太と同じ人種だな」
そう言うと、栄吉は立ち上がった。
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