第二十五話
今夜は栄吉の屋台に珍しい人が来ている。勝五郎親分はいつものことだが、今日は潮崎の同心、森窪の旦那も一緒だ。なんでも、潮崎のことで勝五郎に相談に来てそのまま夜になっちまって帰れなくなったということらしい。それで二人して栄吉の夜鳴き蕎麦を食いに来たという寸法だ。
柿ノ木川の郷の大抵の夜鳴き蕎麦屋は酒を出さない。表向きは「蕎麦の味をしっかり味わってほしい」ということだが、実際のところは酒を飲んだ酔客同士が喧嘩を始めたりすると困るからだ。
その点、栄吉の蕎麦屋は安心だ。なにしろ栄吉自身が元殺し屋だ。喧嘩を止めるなんてお茶の子さいさいどころか、栄吉が殴り殺してしまわないように手加減するのが大変なくらいである。
だが今日は潮崎の同心と柏原の岡っ引きだ。安心して酒が出せる。
「もうちょっと早く来たかったんだけどよ、途中の楢岡で捕まっちまって。しかも、犬も食わねえ夫婦喧嘩と来たもんだ。おかみさんの方が鍋だの釜だのを旦那に投げつけて、旦那も命からがらって感じでよ。よくよく話を聞いてみりゃ、旦那の方が他のかみさんに横恋慕したって話で、馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえ」
森窪の旦那はそれはそれはマメな男で、揉め事とあればあっちへチョロチョロこっちへチョロチョロ、くだらないことでもちゃんと片づけて来ないと気が済まない。背も小さく神出鬼没であることから『
「森窪の旦那は真面目だからねえ、そんなのもちゃんと片づけて来たんだろ?」
「片づけて来たからこの時間だよ。今日は番屋に泊めてくんな」
「そりゃ構わねえが。潮崎で何があった?」
「骨と皮ばっかりの死体がごろごろ」
栄吉がチラリと顔を上げる。
「どこに」
「海岸に打ち上げられてる。それも死んで間もない遺体だ。ありゃあ土左衛門じゃねえ。死んでから捨てられた死体だな」
潮崎は海岸沿いの港町だ。水死体かそうでないかくらいは同心ならすぐわかる。
「死ぬ前は何日も食事を口にした形跡がねえんだ。どこかに監禁されて飯も与えられなかったような死体でな」
死体の話をしながら蕎麦が食えるのだから、同心だの岡っ引きだの殺し屋だのといった連中は恐ろしい。
「何のために」
「それがわかればここには来てねえ」
二人が蕎麦をすすり始めると、栄吉がボソリと言った。
「そのホトケさんたちはどういう人だったんで?」
「それがよ、そこそこ金持っていそうなお店の旦那だったり、大店の主人にお内儀に子供たち、つっても元服してるけどよ、一家総出で骨と皮だけになって死んでたりするんだよ。気味が悪いだろ?」
「貧乏人はいねえのか」
「不思議な事にいねえんだ。だから金持ちを狙った何かの事件かとも思ったんだがな」
「旦那だけ死んだ家のおかみさんはなんて言ってるんでぇ」
「栄吉さん食い付いて来るねぇ」
勝五郎が茶々を入れる。これは栄吉をバカにしているのではなく寧ろ「どんどん行け」ということだ。栄吉の言葉がヒントになって解決した事件は少なくない。
「知らぬ間にいなくなっていたらしい。お店のお金と一緒に」
「お金と?」
「そう。どうも金が絡んでる。貧乏人がいねえ」
勝五郎が蕎麦を咥えたまま顔を上げる。
「栄吉さん、何か心当たりでも?」
「いや、可能性の問題だけどよ。店を畳んで出家したのとかいねえのか」
「えっ? なんでわかるんだよ。そうなんだよ、そこそこの大店だったのに、いきなり店を畳んで家族全員で出家して、挙句骨と皮になって死体になって発見されたってのもいるんだよ」
「栄吉さん、何考えてんだい?」
二人の目が栄吉に集中した。栄吉は湯飲みの酒をクイっと煽ってからボソリと言った。
「
岡っ引きと同心は一瞬言葉を失った。顔を見合わせてから、もう一度確認するように勝五郎が恐る恐る言った、
「アヘン?」
「ああ、アヘンだ」
「すまん、説明してくれねえか。俺のお
栄吉は二人の猪口に酒を追加すると「つまりな」とため息をついた。
「アヘン中毒にしちまうんだよ。ありゃあ依存性が強い、一度依存しちまったらもう廃人になるしかねえ」
「依存するってわかっているようなもん、使わなきゃいいだけだろう?」
「最初はアヘンだとは知らされねえ。だが一度でも使ったらやめられねえ、もう一度ほしくなる。それがアヘンてやつだ」
「なんでそんなことになるんだ?」
それには森窪の旦那が答えた。
「なんでもとんでもない幸福感に包まれて、ずっとこのままでいたいと思うらしいな。自分が天国に来たのかと勘違いするくらいだそうだ。だから薬の効果が切れると現実の世界に戻ってきてしまって、もう一度あの天国に行きたいと思うらしいぜ」
「そうかぁ? 俺なんかカカアとイチャイチャしてるだけで――」
「おめえは一人もんだろうが!」
栄吉の素早いツッコミが勝五郎に入る。
「カカアとイチャイチャなんてもんじゃねえ、そのカカアが一緒になって息子たちも巻き込んで一家総出で中毒になるなんてことはあり得るぞ。しかも金があるならアヘンが手に入る」と森窪の旦那が腕を組む。
「アヘンは高けえから、もしも一家全員が中毒になっちまったんなら、店を畳んで出家したことにして全員でアヘンを買えるところに移動した方がいい。薬が切れるとえらいことになるらしいからな。問題は、そのアヘンの取引所か何かそういう場所が潮崎にあるってことだ。それと、そのアヘンを売っている仲買人がいるってこったな」
「栄吉さん、勝五郎の代わりに柏原の岡っ引きにならねえかい」
「待て待て、俺一人で十分だろ」
「あっしはただの夜鳴き蕎麦屋だ」
三人の会話はたまにムチャクチャになる。
「出所つったら普通は薬屋だろう」
「親分、去年松清堂さん付け火に遭ったじゃねえか」
「あ、そっか。栄吉さんよ、あのヤブ医者はどうしてる?」
「ヤブ医者?」
森窪の旦那は潮崎から楢岡を見ているので柏原のことまではよく知らない。
「自分でヤブ医者を名乗ってるすげえ名医がいるんだ」
「雲黒斎だっけか?」
「親分、わざとだろ。うんこ臭いんじゃなくて餡子臭いんだ、暗黒斎」
「あ、その名前なら楢岡あたりでも聞いたことがある。楢岡のもんは潮崎に出るより柏原の方が近い人もいるからな」
暗黒斎、なかなか顔が広いらしい。
「あの先生は外科手術もするから大量の麻酔も必要なはずだぜ。たしか松清堂で麻酔を専門に扱ってた人が暗黒斎先生に卸してるらしいが、一人で麻酔以外にも下痢止めだの腹痛だの熱さましだの湿疹だのの薬を作ってるはずだから医者の所に卸すのが精一杯で他に卸す分までは作れないだろう」
結局、森窪の旦那と勝五郎親分は番屋へと帰って行ったが、栄吉は何かきな臭いものを感じていた。
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