第二十一話
「あ、あれです。あれが診療所」
「あっらぁ。誰かお客さんが来てるようだわねぇ」
確かに診療所の前には男が二人いた。とても七篠先生の診察が必要とは思えないような男だった。近付いて行くと会話の内容が少しずつ聞こえて来た。
「寄越せって言ってるわけじゃねえんだよ、わかんだろ」
「私は治療のために使っているんです。病気にするためじゃありません」
「そう言って昨日も榎屋のおかみが死んだだろう。おめえがやってんのは人殺しと変わんねえじゃねえか」
榎屋のおかみという言葉に反応したのか、お玉が「先生こんにちは」と大声を出した。
「お玉ちゃん……」
「昨日はどうもありがとうございました。母も喜んでました。先生のおかげでございます」
それまで話していたガタイのいい男は七篠先生に向き合ったままで、もう一人の小柄な方がお玉の方を向いた。ガタイのいい方が下っ端のようだ。
「嬢ちゃん、今は俺らが話してるんだ、出直して来な」
「あなたがたがうちの話を持ち出したから来たんです。榎屋のお玉と申します。七篠先生を人殺しなんて聞き捨てなりません!」
お玉の怒りに琴次は少々驚いていた。こんなにはっきりと意思表示をする子だったのかと。
「わたしが先生にご挨拶に伺ったらあなたが先生に何かいちゃもんを付けていたんです。帰るのはわたしじゃなくてあなたたちです。私はこれからお話があります。どうぞお引き取り下さい」
「なんだと、黙って聞いてりゃこの小娘が」
オロオロする七篠先生をよそに、如何にもゴロツキな感じの男二人に堂々と胸を張るお玉に、琴次は「やれやれ、とんでもない子だ」と苦笑いして間に入った。
「まあまあ、兄さんたち。ここは診療所さ、人を脅したりするようなところじゃあない。大人しく引き返した方がいいんじゃないのかい」
「なんだとてめえ」
二人が腕まくりをしたので、琴次は「嫌ぁねぇ、気の短い人は」と、襟を直した。そのとき襟の隙間から、首から肩にかけて派手に盛り上がっている筋肉が見えた。
「や、やんのか」
もう一人の方が両手で拳を握って見せたので、七篠先生が両手で口元を押さえた。
「全く、こういう兄さんは」
「なにぃ?」
「怒るのってくたびれるじゃないか。くたびれることをわざわざするほど、あたしゃ人間が出来てないんだよ」
最初に難癖付けていた方が、拳を握った方にコソコソと耳打ちした。
「兄貴、こいつはやべえよ、引き返そうぜ」
「仕方ねえな。また来るぜ」
「もう二度と来なくていいわ!」
お玉が怒鳴るのを琴次が「まぁまぁ」と抑えているうちに、二人組はどこかへ行ってしまった。
「だからあたしゃ何もしてないんだよ。信じとくれよ、悠さん」
縋り付く琴次には見向きもせず、悠は煙管の灰をコンと火鉢に落とす。その反動で左の耳につけた琥珀が揺れる。
「なんであたしに言うのさ」
悠の薄笑いがまた妙に色っぽい。
「悠さんにだけは信じて欲しかったからに決まってるじゃないのよぉ」
「だから小指噛みながら上目遣いで言うんじゃねえよ、悠さんは男に興味はねえんだよ。しかも幼女限定」
「さすが三郎太の兄さんは大事なとこは押さえてるねぇ」
お玉と琴次は昨日の礼を言いに枝鳴長屋へやって来ていた。そこで先程のゴロツキの話をしていたというわけだ。
「おかげできちんと七篠先生にもお礼が言えましたしお代も払うことができました。琴次さんが一緒に行ってくださったおかげで本当に助かりました」
「言っとくけどあたしゃ何もしてないからね」
「そりゃおめえ、その筋肉見せつけられたら不動明王だって走って逃げらあ」
「嫌ねぇ。あたしゃあんな連中の前で脱いだりしないわよ。乙女には恥じらいってもんがあんのよ」
頬を赤く染めながら琴次が送って来る視線を華麗に受け流し、悠はお玉に目を移した。
「で、そのゴロツキってのは何の話で来てたんだい?」
悠の流し目の破壊力は琴次の千倍くらいはありそうだ。もう琴次はメロメロになっている。お玉までちょっと頬が赤くなっているのはご愛敬だ。
「わたしのおっ母さんを殺したって。それでわたしが怒っちゃって一触即発だったんですけど、それを琴次さんが収めて下さったんです。もちろん殴ったりしてませんし腕まくりすらしてないですよ」
「そのあと七篠先生にお玉ちゃんの婿役をやった琴次ですって挨拶したのよ。もう男っぽくするのが大変で」
「え、普通にオカマでしたよ」
偽物の夫婦が夫婦漫才している。栄吉も悠も三郎太も「このままお前ら結婚してしまえ」などと思っている(悠の安全の為にも)。
「で、ゴロツキどもは何しに来てたんだ? まさか金魚を売りに来てたわけでもあるめえよ」
「わたしたちが聞いていた範囲では何も」
岩のように黙っていた栄吉がボソリと呟いた。
「そうか。そいつら何しに来やがったんだろうなぁ」
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