第六章 七篠診療所

第二十話 

 翌日、お玉は七篠先生のところへ報告を兼ねてお代を払いに行った。母がいなくなったから、もうお代の心配はいらないし、ここまで峠を越えて手押し車を押してくることもない。金銭的にも体力的にも楽にはなったが、心の中がぽっかりと空いたようになっていた。

 そんなお玉を見かねて、琴次が一緒について行くと言った。お玉も昨日のことがあったせいか、琴次はほとんど昨日が初対面なのにもかかわらず、誰よりも心を開ける相手になっていた。

 二人は峠を歩きながら、ぽつぽつと話をした。

「琴次さん、昨日は母のために芝居に付き合っていただいてありがとうございました。まさか花嫁がこんな味噌樽みたいな娘だとは思わなかったでしょう?」

「お玉ちゃんていう名前にピッタリの可愛い娘さんだと思ったわよ。お玉ちゃんこそ婿役がオカマだなんて思わなかったでしょ。ごめんなさいね、ちょうどいいのがあたししかいなかったもんだからね」

「とんでもありません。素敵な方がお婿さん役になってくださって、私どうしようかと思いました。そういえば琴次さんのお歳も知らなかった」

「あたしは二十二さ。一番お玉ちゃんの年齢にふさわしそうだから選ばれたってだけで、もっといい男もいたんだろうけど。なにぶん時間が無かったもんだから」

 お玉は少し赤くなって俯いた。

「私にはもったいないようなお相手役でした。高島田も結ってくださって」

 お玉はずいぶん痩せたが、それでも小ぶりの味噌樽のような体型のままだったのに比べ、琴次は黙ってさえいれば男前だ。その辺は悠と同じだが、悠は細身で妙な色気があって老若男女問わず振り返る。琴次の方は若い娘が「あらイイ男」とチラチラ見るようないい体をしている。その上男色家ときたもんだ。しかも琴次の標的が悠で、当の悠は琴次に見向きもしないところが如何ともしがたいところである。

「あたしは髪結いだからね。高島田なんか簡単よ」

「おっ母さんには最後にいい夢を見せてあげることができました。枝鳴長屋の皆さんには感謝してもしきれません」

「いいのよいいのよ。あの人たちは三郎太さんを筆頭にみんなお節介焼きなんだから」

 どこかで鶯が鳴いた。昨日悠がおかみさんと一緒に聞いた鶯が少し上手になったのかもしれない。

「琴次さんはご家族の方はどうなさってるんですか」

 琴次は人差し指を頬に付け、ちょっと中空を見やった。

「そんなもんいないわよ。親の顔なんて見たことないから、親孝行できるってのはうらやましくてね」

「それで手伝ってくださったんですね」

「まあ。そんなとこかしらね」

 お玉は体は味噌樽だが可愛らしい顔をしている。目はぱっちりしているし、ちょっと団子鼻ではあるが、つやつやの肌にりんごのような頬をしている。性格だって素直で真面目で努力家で明るいいい子だ。こんな娘をダシに使って店を乗っ取ろうとした児玉屋とやらの次男坊はちょっと許しがたい。もし夫婦めおとになっていたら、この娘はどんな扱いを受けていたのだろう。

 ふと琴次は、自分が子どものころに受けていた扱いを思い出した。

「あたしはお稚児さんてやつでね」

「え?」

 琴次は狗尾草えのころぐさの葉を取って弄び始めた。

「親を知らないころから寺に預けられてたのさ。そこで坊さんたちの世話をするのよ。ほら、お寺って女人禁制でしょ。だから稚児はたまに夜、ねやに呼ばれるのよ。特にきれいな子はよく呼ばれたりしてね。わかるでしょ。だからあたしこうなっちゃったのよ。お玉ちゃんの婿役なんて申し訳ないくらいにね」

「そうだったんですか。琴次さん苦労されたんですね」

 琴次は笑っただけだった。相手が悠ならまた反応も違ったのだろうが、お玉は女性だ。琴次自身、自分を女性とみているようなところがあるので、同性の友達に打ち明け話をしている気分だった。実際これだけ寛げる相手も今までいなかった。

「さ、一本松だ。もうすぐだね。あたしは診療所を知らないんだ、お玉ちゃん案内しとくれよ」

「はい」

 一本松を過ぎてしばらく行ったところでお玉は左へ入った。そこから緩やかに左へと曲がり元の方向に戻る形に坂を上って行った。

「おっ母さんのおかげで、いいお友達ができた気がします。琴次さんの方が年上だけど」

「あたしを友達だって言ってくれるのかい? 嬉しいねぇ。みんな気味悪がって女友達なんかいなかったからねぇ」

 お玉は照れたように指差した。

「この上が診療所です。行きましょ」

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