第三章 甚六の家

第九話

 お恵が甚六のところへ三回ほど通ったころ、三郎太が団子を食わねえかと誘いに来た。どうやら悠がまた峠の団子屋で買ってきたらしい。今日はみたらしだけでなく、小倉餡やきな粉もあるらしい。お恵は二つ返事でついて行った。

 栄吉の家へ行ってみると既にお湯が沸いていて、悠が四人分のお茶を注ぎ分けているところだった。

「こんにちは。栄吉さん、ぎっくり腰の具合はどう?」

「おう、悠のお灸がなかなかに効くんだ」

「そういえば悠さん、絵師なのにやたらと薬に詳しかったわよね。凍夜がそう言ってたわ」

 そう言いながらお恵は栄吉のそばに座った。

「ああ、凍夜は薬のこといろいろ知りたがってたからな」

「今じゃきっとあたしよりずっと詳しいですよ」

 そう、あのあと凍夜は殺し屋になったはずだった。それはここの長屋の四人だけが知っている。

 悠がお恵の隣にきちんと正座をすると、三郎太が片膝を組んで上がり框に腰かける。

「今日はいろいろあるんだ、お恵ちゃんの好きなのをお食べよ」

「わあい、ありがとう」

 相変わらず悠は女の子には優しい。

 お恵がきな粉の団子を頬張ると「それで仕事の方はどうなんでぃ」と栄吉が訊いた。

「順調よ。五人とも真面目に勉強してるし。悠さんが描いてくれた絵がとても役に立ってるの。

「そいつは良かった」

「年もそんなに離れてなくてね、卯一郎さんが十二歳、辰二郎さんが十一歳、あたしが十歳、うまちゃんが九歳、ようちゃんが八歳、一つ離れてとりちゃんが六歳なの」

「なんだその干支みたいなのは」

 茶を飲んでいた三郎太が解説を入れる。

「いや栄吉さん、それが干支なんだよ。生まれた年の干支に順番を振ってるだけなんだ」

「ほら、去年松清堂しょうせいどうさんが火事になっちゃったでしょ。それで柏原には薬屋さんがなくなっちゃったじゃない。それで、以前松清堂にお勤めしてた甚六さんが一家総出でお薬を作り始めたんですって。家事になった時にお勤めしてた人達は、街中に住んでいてお薬の材料なんか採りに行けないからって別の仕事に就いちゃったらしいの」

「甚六さんとこは山ん中だから、いくらでも薬草が採れそうだもんな」

「だけど五人とも読み書きできないから、戦力にならないのよ。それで五人まとめて読み書き算術ができるようにって考えたらしいの。今、甚六さんのところ、本当に大変らしくて。柏原だけじゃなくて楢岡や漆谷の方にも薬を納入してるらしいのよ」

「そう言えば暗黒斎先生も、薬が足りないって困ってましたねぇ」

「ヤブ医者がいったい何に困るってんだ」

「そりゃあいろいろ困るでしょうよ。もぐさだって売ってるでしょうし」

 栄吉のぎっくり腰の治療のためのお灸に艾は欠かせない。

「それがね、凄いの。真ん中の午ちゃん、あたしの一つ下なんだけど、薬のことなんでも知ってるの。あれは将来調剤師になるわね。あのね、五人でお薬屋さんをやるんだって。卯一郎さんは頭が良くて細かいから帳簿担当、辰二郎さんは薬研やげん係かしらね、力ありそうだから。羊ちゃんは仕事が丁寧だからきっと薬を洗ったり干し対する係で、酉ちゃんはちょこまかと良く動いて人懐っこいから、町に売りに行くんだと思うわ」

 こんな小さいうちから係なんか決めてもそうはならないだろうが、今のところそれでうまく行っているようだ。

「それでおめえさんはどいつがお気に入りなんだ?」

「もう、栄吉さんたら」

 お恵がちょっとむくれると、三郎太が助け舟を出した。

「まったくそういうことは言わぬが花の吉野山って言うじゃないか、なあ悠さん」

「そうですよ、しかもお恵ちゃんの大本命は別にいますから」

「おい、おめえだとか言うんじゃねえだろうな」

「ちがうもん!」

 光の速さで否定されてちょっとしぼんだ悠が、それでも妬き気味に呟いた。

「徳屋にいるじゃないですか」

 栄吉と三郎太が一瞬固まって、何かを察したように「あー」と頷いた。

 お恵は焦りに焦って「あのねあのね」と話題を変えた。

「畑が凄いの。野菜はほとんど植えてないんだけどね、薬草がいっぱいなの。まだ寒いから芽も出てないんだけど曼陀羅華まんだらけとか生姜とか大蒜にんにくとか曼殊沙華まんじゅしゃげとか、あとは琵琶びわの葉っぱも乾燥してたし、蜜柑の皮とか紅花とか、いろいろ干したものがあったの。午ちゃんは乾燥してあっても一目見ればわかるんだって」

「へえ、そりゃ将来有望だねぇ」

「でしょ。それとね、薬研とかはかりとかあって見せて貰ったんだけど、甚六さんしか使えないんだって。そりゃそうよね、文字が読めないし数がわからないんだもん」

「お内儀かみさんはどうしてるんでえ」

「働きに出てるんだって。やっぱり五人も子供を食べさせるのは大変なのよ。だから掃除や洗濯は子どもたちが手分けしてやってるみたいよ。ご飯だって作ってるんだって」

「お恵ちゃん、そいつらに浮気すんじゃねえぞ」

「浮気って何よ」

「おめえには松太郎がいるだろう」

 お恵はあからさまに真っ赤になりながらも首をブンブンと横に振った。

「松太郎さんはお友達だってば!」

「最近徳屋に行ってんのか?」

「そういえば行ってない。だって用事が無いんだもん」

 お恵はちょっとむくれた。確かに寺子屋がさほど茶に用事があるとは思えない。

「よし、じゃああっしのお使いを頼まれてくれ。今すぐだ。お茶がちょうど無くなりそうなんだ。悠がよく飲みに来るんでな」

 お恵は嬉しそうにパッと立ち上がると「わかった、行って来る!」と飛び出して行った。

「栄吉さん、徳屋への用事を作ってやるなんて粋ですねぇ」

 キョトンとした三郎太が悠と栄吉を交互に見た。

「え? 栄吉さん、今のってわざとだったのかい?」

「お茶ならあたしが買って来てるんです。なくなるわけがありゃしませんよ」

 悠が艶やかに笑うと、栄吉は呆れたように眉を上げた。

「三郎太はそういうところが気が利かねえから女に縁がねえんだ」

「あちゃー」

 三郎太はただでさえ広くなっているおでこをペチリと叩いた。

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