第3話 牛丼記念日
「やっと授業が終わった。あーそれにしてもおなか減ったなー」
放課後の教室、大井椎名はいつもの様にお腹を空かせていた。
「そうですね。私もお腹が空きました」
何者かが大井の背後から声をかける。
「うわ! 委員長いつの間に私の背後に……」
「さっきです」
「あ、うん」
この「委員長」と呼ばれている女子生徒はクラス委員長の馬杉琉美。どの教科もそつなくこなす秀才。しかし、ここ最近飲食店への寄り道にどハマりしまった哀れな女子高生である。
「それで大井さん。今日はどこに行くんですか?」
「うーん、なんかパッと思いつかないから、駅前のほう歩きながら考えようか?」
「ええ、ではそうしましょう」
こうして2人は駅前へと向かった。
しばらくして、駅前に着いた2人だったが、どこへ行くのか未だに決めかねていた。
「うーんドーナツはこの間いったし、カレーも食べたばかりだしなー」
「あそこにもレストランありますけど?」
「あーあそこはもうお昼の営業終わってるから。夜の営業まで時間あるし、それに結構お高いからちょっと無理かな。最近おこづかいがピンチでさ」
「実は私も……」
「となると、なるべく安く済むものがいいな。安くておいしくてお腹がいっぱいになるもの」
「そんな都合のいい食べ物あるんですか」
「それは……あ、そういえばいいのがある! こっち!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
何を思い出した大井は突然走り出し、委員長はそれを追いかける。
「ここだ! 安くておいしくてお腹がいっぱいになって、しかも早い!」
「牛丼……ですか?」
二人がたどり着いたのは、赤い看板が目印の日本最大の牛丼チェーン「牛丼ライク」の駅前店。
「牛丼なら安いし量もあるし、しかもおいしい!」
「牛丼……」
ハイテンションの大井に対して、何故かローテンションの委員長。
「あれ? 委員長牛丼嫌い? もしかして『牛丼屋に入るのが初めて』とか?」
「まあそれもそうなんですが、それよりも……」
「それよりも?」
「私今まで『牛丼』という食べ物を食べたことありません」
「ええ!? マジで!? 牛丼を知らないの!?」
委員長の衝撃のカミングアウトに驚愕する大井。
「い、いえ。知らないわけじゃありません。概念としては知っていますが、食べたことがないだけで……」
「『概念としては知っている』って何さ!? 牛丼食べたことないって、そんな人日本じゃ委員長くらいじゃないの?」
「それは言いすぎですよ!」
「えーでも十数年生きてきたら普通一度は食べるし」
「仕方ないじゃないですか! 食べる機会が今までなかったんですから!」
「でもあんなにおいしくて安いものを食べたことないなんて、人生損してるよ絶対」
「な、なんですって!!」
ここで委員長がブチ切れる。大井としては「委員長をちょっとからかおう」くらいのつもりだったがやめ時を見誤ってしまったらしい。
「あ、あのいやごめ……」
「私が牛丼を食べたことないからって、そんなにバカにしないでください! 別にいいじゃないですか! 牛丼食べたことなくたって!」
「いや、別にバカにしたわけじゃ……」
「だって『牛丼を食べたことないなんて人生損してる』って言ったじゃないですか! そこまで言われる筋合いないですよ! 確かに私は今までの人生で一度も牛丼を食べたことはありません! でもちゃんと幸せな人生でした! それなりに!」
「そ、そこまで本気で言ったわけじゃないけど」
「いいですよ! 私はこれからも牛丼を一切食べません!」
「ええ!? じゃあココ入るのやめるの?」
「やめません」
「え?」
「店には入ります。でも牛丼は食べません」
「い、いや意味わかんないけど、とりあえず店入ろうか」
こういういざこざがありながらも、2人はとりあえず牛丼屋に入店。
「あ、テーブル席埋まってる。仕方ないカウンターに座ろうか」
2人はカウンターに並んで座り、前に置いてあるタブレット端末で注文を始める。
「えーっと、私は普通の牛丼の並にしよう。委員長は?」
「ご心配なく。もう注文しました」
「ああ、そう」
そっけない委員長を少しだけ気にしながら、大井は牛丼を待った。
「お待たせいたしました。こちら牛丼並です」
数分後、大井の注文した牛丼が到着。
「早―い。さすが牛丼!」
「それと、こちら……えっとライス並のみでよろしかったでしょうか?」
「はい、間違いありません」
続いて、委員長の注文したライスも到着。
「はぁ!? え、委員長ただのライス頼んだの!?」
「そうですよ。私『牛丼は食べない』って言ったじゃないですか。何か問題でも?」
委員長は「してやったり」といった顔をして得意げだった。
「い、いや別にいいけどさ」
大井としては「牛丼屋に来てライスを単品で注文する人なんて初めて見た」とか「そもそも牛丼屋のメニューにライス単品があること自体初めて知った」とか「牛丼以外を頼むならマグロのたたき丼とかカレーライスとか他にもあっただろう」とか色々と言いたいことはあったがあえて言わないことにした。
「まあいいか。とりあえずいただきます! うーん、おいしい! 久しぶりに食べたけど牛丼ってやっぱおいしい……あの、委員長……ってうわぁ!」
牛丼を食べていたものの、やはり委員長の様子が気になった大井が隣を向くと、そこには力強い眼力で大井の牛丼を覗き込む委員長の顔があった。
「び、びっくりした。何覗いてるのさ!」
「い、いえ。別に何も覗いてません! 牛丼なんて見てません!」
「嘘つけ! 絶対牛丼見てたでしょ!」
「見てませんってば!」
大井の言葉を強く否定してから、白飯を掻き込む委員長。
言うまでもなく、委員長は大井の牛丼を見ていた。いや穴が開くほど凝視していたと言ってもいい。牛丼を食べないことを宣言したものの、うまそうに牛丼を食べている大井を見て、委員長の心には後悔と未練が押し寄せてきていた。
「わ、わかったよ。委員長はもう放っておいて牛丼食べよう。やっぱ牛丼はおいしいな。よーし、ここで紅ショウガを投入してっと。紅ショウガって本当に牛丼に合うなぁ……委員長?」
隣からブツブツと何やら聞こえてきたので、気になって委員長のほうを向く大井。
「チーズ牛丼……ネギ玉子牛丼……明太高菜牛丼……キムチ牛丼……おろしポン酢牛丼……うふふふふ」
そこにはタブレット端末でメニューを見ながら、薄ら笑いを浮かべて牛丼の名前を読み上げる委員長の姿が。
「注文しなよ! そんなに食べたいならさ!」
「た、食べたくありません! 牛丼なんて!」
「絶対食べたいじゃん」
「た、食べたくありません! た、食べたくなんて……う、ううう」
テーブルに突っ伏して、泣き始める委員長。
「い、委員長?」
「……大井さん。私牛丼食べたいです」
委員長はか細い声でそう言った。
「うん、食べなよ。悪かった。牛丼食べたことないのをおかしいことみたいに言ったりしてさ」
「い、いえ。悪いのは私です。勝手に拗ねて、勝手に意地を張って。そして大井さんに心配をかけてしまって……」
「いやいや! 違うよ私が悪いんだって!」
「私、さっき大井さんに『牛丼を食べたことないなんて人生損してる』って言われてすごく悔しい気持ちになったんです。『牛丼を食べたことのない私は、今までつまらない人生を送ってきたんだろうか?』って思って。そして、大井さんが牛丼をおいしそうに食べている様子を見て『ああ、あんなにおいしそうなものを今まで食べなかったのは、確かに人生における損失だ』と気づいたんです。でも、それをどうしても認めたくなくて……」
「いや、悪かったよ。本当に悪いことした。そこまで思い悩んでいたなんて私思わなかった。ごめんなさい」
心中を告白した委員長に対して、大井は深く頭を下げ謝罪し、続けて話す。
「考えてみれば『知らないことや未経験の体験』が多いことって悪いことじゃないよね。だってまだまだ知らない楽しいことがこれからもいっぱいあるってことだもん。ほら、前に初めて寄り道してラーメンを食べたときもカレーを食べたときも、委員長すごく楽しそうだった。だからさ、牛丼食べようよ。今日は委員長が初めて牛丼を食べた『牛丼記念日』ってことでいいじゃん」
「で、でも」
「じゃあまず私の牛丼一口食べてみなよ。食べかけだけど……」
「え、いや別にそれは気にしませんけど……」
「じゃあほら、あーん」
大井はテーブルに置いてあったスプーンで自分の牛丼を一口分すくって、委員長に差し出す。
「え? あ、あーん」
委員長は差し出されたスプーンに食いついた。
そして、Ⅰ秒後。
「うぅ! まぁ! すぅ! ぎぃ! るぅぅぅぅ!」
委員長の絶叫が店内に響き渡る。
「やっぱりね」
「ウマいです! ウマすぎです! なんですかこの牛肉は! すき焼きに似ているけどどこか違う味わい! ごはんとの相性抜群じゃないですか! 古来より日本人は『ごはんに合うおかずとは何か』ということを探求し続けていたと聞きますが、なるほどこれが『正解』だったんですね!」
「どう? おいしいでしょ」
「はい! ありがとうございます大井さん! 変な意地を張っていたのが馬鹿馬鹿しくなりました! 私追加で牛丼を注文しますね!」
吹っ切れた委員長は早速タブレット端末で追加の牛丼を注文。
「では『チーズ牛丼』『ネギ玉子牛丼』『明太高菜牛丼』を三つまとめて注文します!」
「っていきなり三つも頼むのかよ!」
「あ、いえ。さっきメニュー見てた時に気になっていたので」
「まあいいけど……委員長もおこづかいがもうあんまりないって言ってなかったっけ?
「はい! これで今月のおこづかい全部使っちゃいましたけど、後悔はしてません!」
「……うん、自分に素直なのはいいことだと思うよ、私は」
数分後、委員長の頼んだ三種類の牛丼が到着。
「来ました! もう来ましたよ私の牛丼!」
はしゃぐ委員長に店員がテーブルに丼を置きながら言う。
「お待たせいたしました。こちら『ライトチーズ牛丼』『ライトネギ玉子牛丼』『ライト明太高菜牛丼』です」
「え? 『ライト』だって?」
何かに気が付いた大井。
「どうしたんですか、大井さん?」
「タブレットで注文履歴を確認してみて!」
「ええ、さっき食べた『ライス並』と……『ライトチーズ牛丼』『ライトネギ玉子牛丼』『ライト明太高菜牛丼』」
「あちゃーやっぱり『ライト』を頼んじゃったか」
「あの『ライト』ってなんですか?」
「牛丼の肉の下を確認すればわかるよ……」
「あ、はい」
大井に促され、肉の下を確認する委員長。そこにはキャベツの千切り、ゆでたブロッコリー、豆腐が入っていた。そして、肝心の米はどこにも見当たらない。
「ど、どういうことです? なんでごはんが入ってないんですか?」
「『ライト牛丼』っていうのはご飯の代わりに野菜と豆腐が入ってるんだ。糖質制限したい人向けのヘルシー牛丼なんだよ……」
「な、なんですって!」
残酷な事実を突きつけられ、うなだれる委員長。
「な、なんてこと……まさかごはんが入っていないとは……」
「ほ、ほら元気出しなよ! 意外とおいしいかもしれないし……」
「まさか……ごはんがないと牛丼とは言えませんよ。こんなのおいしいわけが……」
落ち込みながら、委員長はしぶしぶライト牛丼を口に運んだ。
そして、Ⅰ秒後。
「うぅ! まぁ! すぅ! ぎぃ! るぅぅぅぅ! これはこれで最高です!」
「なんでもいいのかよ! アンタは!」
こうして委員長は「ライト牛丼」を堪能した。
ちなみにお察しの通り、委員長に嫌いな食べ物など一つも存在しない。おいしいものならなんでも大好きである。
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