ブラッドロック・マスカレード
汐味ぽてち
第0夜 【仮面の人物】
―――――――くるしい、いきができない―――――――—
「おいお前!しっかりしろ!」
「えっ!やだ、これって過呼吸ってやつよね!?」
―――――――とおくから、こえがきこえてくる―――――――――
――――――でも、いきぐるしくてへんじができない―――――――
――――――のどが、むねがくるしくてたまらない――――――――
「息を吸いすぎちゃ駄目だ!」
「はー、こんなんでぶっ倒れるとかメンタル雑魚すぎんだろ」
――――——―みんな、なにをいってるんだろう―――――――
―――――――よくわからない――――――――
「…おい、これはあくまでも人命救助だからな。後で文句言って来るなよ」
――――――—きれいなこえが、みみにここちよくひびいてくる――――――――
――――――――きれいなふかいあおのひとみが、きれいなながいまつげが、きれいなあのこのかおがせまって…―——————
―――――――くちびるに、やわらかいなにかがふれてきた―――――――――
―――――――もっと、もっとそのかんしょくをかんじていたいのに、なんだかねむたくなってきたな…―――—————
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「お兄、おかえり!」
「ただいま
「今日は割といい感じそうだったよ。お昼に散歩もしてきたって!」
味噌汁の仄かで芳醇な香りとテレビから聞こえるお笑い芸人の明るいトークの音色が、この家庭の穏やかな様子を彩る材料となっている。
お兄、と呼ぶ鈴のような声が印象的な少年に無邪気に纏わり付かれている、スーツ姿の平凡なサラリーマン―――
新入社員として今年広告系の会社へと就職した桜久は、毎日忙しく業務をこなしつつ、ボロの狭いアパートの中にあるあたたかな家族の温もりを感じながら毎日を過ごしていた。
帰宅した瞬間から、「早くごはん食べよう!」とくいくいスーツの袖を引っ張って来る9歳年下の弟に対して苦笑いを浮かべながら、桜久は「はいはい」と自分とよく似た色素の若干薄い柔らかな頭を優しく撫でる。
その様子を台所から観察し、「ふふっ」と小さく含み笑いを漏らす兄弟の母親が、出来上がった夕食をテーブルに運んで行く。
「俺、食器運ぶの手伝うね!」とじゃれていた腕を桜久から話し、那月はせっせと夕食の皿をテーブルへと運んで行った。
仲睦まじい2人を見ながら桜久は緩やかな笑みを浮かべるが、優し気な象牙色の目の奥には僅かに焦燥・悲愴の色が浮かんでいる。
一見穏やかで普通の家庭に見えるがその闇は深い。
桜久の実の父親は、桜久が小学生の時に突然外で女を作ってきたあげくに、家族を置いて駆け落ちをしてしまったのだった。
それまでごく普通の幸せな家庭だったはずが、一夜にして地獄へと落とされてしまった。
小学生ながらに父親が自分たちを裏切った事を思い知らされた桜久は、悲しみで震える母親の傍でただただ静かに涙を流す他なかった。
その当時まだ1歳だった那月は実の父親の事を何も覚えていないが、物心ついた時には自分は他の家族とは違う境遇に置かれている事を自然と察し、父親についての話を持ち出した事はこれまでに一度もない。
母親は、突然愛する人に裏切られた悲しみを抱えながらも、親鳥からの餌を待つ雛鳥のように腹を空かせて泣く我が子たちの姿にすぐに気を立たせ、立ち上がった。
那月を保育園に預け、自分は朝から晩まで働き詰めの毎日。
桜久に手伝ってもらいながらも、仕事をしながら家事や子育てをこなしていき、桜久の高校や大学に進学する際の費用を懸命に稼いできた。
しかし毎日の無理がたたったのか、2年程前に遂に身体を壊してしまう。
働くのは難しいと医者に診断され、そこからは桜久が家計を支える役割を変わる事になった。
高校生の時から通っていたバイト先のシフトを増やしつつ、大学卒業後に少しでも稼ぎのいい仕事に就く為に学業にも力を注いだり、取れそうな資格はかたっぱしから取ってきた。
多少の無理はしつつも何とか大学を卒業し大手の会社に就職したはいいが、いかんせんまだ新卒の身である。給料明細を見ては毎月落ち込む事を繰り返していた。
自分も母親も、お金がない。
学生時代のバイトで貯めていた分の貯金も、新卒なりに汗水垂らしながら必死に働いて得た給料も、那月の高校の進学費用や母親の治療代に比べたら雀の涙程度の物だ。
本業の傍ら、インターネットで副業などをしてみるも、十分な成果が得られるはずもなく。
それでも、自分の命よりも大切に想ってきた弟の未来を閉ざす訳にはいかない。
夫に裏切られ、自分たちの為にその身を削ってきた優しい母の悲しむ顔を見たくない。
「…お兄、早く食べないとご飯冷めちゃうよ?」
「っ、あぁ…!ごめん、食べるよ。いただきます」
那月が心配の色を含んだ声で呼んできた為、はっと目を覚ます。
頭の中に浮かんできた今までの事を振り払うかのように
料理上手な母が、質素ながらも愛情を込めて作ってくれるこの食事が桜久も那月も一番の好物になっていた。
この食卓を、この先もずっとこの家族で囲んでいきたい。
その為にはいったいどうすればいいのか…。
ぐるぐると吐き気すら催す程に頭の中で考えを練っても、やはりすぐには思いつかない。
夕食の皿に盛られたサラダの葉をフォークでつつきながら、桜久は母と那月にばれないように陰で小さくため息をつく他なかったのであった。
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「…え、母さん、今なんて…」
「…那月がね、高校には行かないで働くって言ってるの」
すっかりと夜も更け、早寝早起きが得意と豪語する那月がぐっすりと夢の中へと誘われたその日の晩。
「話がある」といつになく真剣な表情を浮かべる母親の言葉へと耳を傾けた桜久は、その内容に思わず呆けた
驚愕のあまり言葉を失う桜久の目を真っすぐと見つめつつ、母親は今にも泣きそうな表情で言葉を続ける。
「…私や桜久を楽にさせてあげたいって…そのためだったらどんな過酷な職場でも頑張るって言っててね…」
「そん、な…那月がそんな事しなくたって…」
「…私ももちろん止めたんだけど、もう決めた事だって言って聞かなかったのよ」
母親の瞳から、先ほどからずっとこらえていた大粒の涙が静かに頬を伝い落ちた。
それにつられるかのように桜久も瞳に涙を浮かべたが、血が滲む程の握力で握りこぶしを作りつつそれに耐える。
今ここで自分が泣いてしまったら、母はますますその涙を止める事が出来なくなりそうだったから。
心優しく家族思いな那月。
明るい性格で、友達にも恵まれてきた。
つい先日まで、「友達と同じ高校に行ってさ、そこでもまた友達作っていっぱい遊びに行きたいんだよね!カラオケとか行った事ないから行ってみたいな~」と楽しそうに桜久に話していたはずだ。
あんなに高校に行く事を心待ちにしているはずの那月に、こんな決断をさせてしまった。
微睡むような優しい笑顔が似合うはずの母親に、こんな表情を作らせてしまった。
そうさせてしまったのは、まぎれもなく自分と、父親のせいだった。
自分がもっと頑張って金を稼いで来れたらこんな事にはならなかったはずだ。そもそも父親が自分たちを裏切らなければ、こんな事には…。
自責の念と父親への恨みを心の中で抱きながらも、桜久は縮まってしまった喉を無理やりこじ開けてやっとの思いで言葉を滲ませた。
「…俺がそんな事させない、何かいい方法があるか考えるよ」
絞り出した桜久の言葉を静かに受け止めた母親は、再び大粒の涙を流しながら霞みがかった細い声で呟く。
「…ごめんね…」
その小さな謝罪の言葉は、深い夜の闇に溶けて消えていくばかりであった。
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(…これからどうしようかな…)
昨夜の話を引きずりながらも何とか仕事をこなし、会社から自宅へと向かう為に桜久は速足で道を踏み続ける。
少し型崩れのした革靴の底がキシッと音を立てて擦れているのには目もくれず、ただひたすらに愛おしい我が家へと帰る為に歩行速度を速めた。
ここの道は車が通れない程に狭く外灯もない為、今日のような夜も更けった時間帯にはほとんど人が通らない。生まれた時からこの地に住んでいる桜久でさえも、この時間帯にこの道ですれ違った人は片手で数えられるくらいしかいなかった。
無我夢中で前を歩き続ける桜久だったが、ふと、十数メートル先の前方に誰かが立っている事に気がついた。
(…こんな時間に人?珍しいな…)
近所の人がコンビニにでも行くのか?と多少疑問に思いつつも、あまり気にもせずに桜久はそのまま歩を止める事はしなかった。
だんだんと迫るその人物の姿を肉眼ではっきり捉えた瞬間、桜久はその異様な光景を目の当たりにし、驚きのあまり目を見開いて身体を硬直させる。
漆黒のスーツを身に纏ったその人物は、おそらく身長が190㎝はあるであろう大柄な体格を夜の闇に溶け込ませていた。
スーツからだらんと伸びた手には、これまたスーツと同じ色合いの質の良さそうな手袋をはめ、肌が見えないようになっている。
頭には大きなツバの付いた漆黒のシルクハットが被さっており、月の光に照らされ周辺に大きな影を作り上げていた。
そして極めつけは、顔にピッタリと装着されている不気味な仮面。
ベースが真っ白なその仮面には、目元の付近に小さな穴が空いており、その周辺を紅い小さな幾何学模様が淵をなぞるようにたくさん描かれている。
唇の形に成形されている部分には桃色の色素が薄く引かれており、一見すると女性用の物にも見える。
「…っはっ…?」
その異質な雰囲気を纏う人物を前に言葉を失う桜久に対し、仮面の人物はくっくっくっと喉を鳴らして小さな笑い声をあげる。
ボイスチェンジャーか何かで機械的に野太く変化しているその笑い声は、どこか浮世離れした不気味さを醸し出している。
立ちすくんで固まっている桜久にゆっくりと近づき、2m手前程で立ち止まったその人物はゆっくりとお辞儀をした後、
「初めまして。春真沙 桜久さんでお間違いないでしょうか?私はとあるゲームの企画・運営を担当している者です。今回、貴方様がそのゲームの参加者に見事選ばれましたのでご報告に参りました」
――――ゲーム?何の事だ?————
――――どうして俺の名前を知っている?————
————この人はいったい何を言っているんだ?————
言っていることも見た目もあまりにも怪しすぎる。
どう考えても堅気の雰囲気ではない仮面の人物に、本能で関わってはいけない存在だと認識した桜久は、こめかみに冷や汗を伝わらせながらも何とか力を振り絞って固まっていた足を動かした。
「す、すみません!失礼します!」
断りの挨拶を念のために叫び、そのままくるっと後ろを振り返り、元来た道を戻ろうとしたその瞬間、仮面の人物は再度その不気味な機械音を発する。
「父親は13年前に姿を消し、それ以降は母親が女手一つで幼い兄弟を育て上げた。しかし無理がたたって身体を壊し、兄が家計を支えていく事になったが生活は困窮を極めていく一方。ついには弟が高校には進学せずに働くとの決断をする程にお金がない状況に陥った…お間違いありませんね?」
「…え?」
桜久と、桜久の家族以外知るはずのない話。
何故、この人物がそれを知っているのか。
突如として自身の置かれた立場をつらつらと述べられた桜久は、そのあまりの衝撃から再び身体を硬直させる他なかった。
中途半端に踵を返しかけている桜久を目の前に再度低い笑い声をあげる仮面の人物は、ふと持っていた上質な革製の鞄の中身をごそごそと漁り出し、半分に折りたたまれた葉書サイズのメモ用紙を取り出した。
それを素早く硬直している桜久の手のひらに握り込ませる。
反射的にそのメモ用紙を握りしめた桜久を見届け、仮面の男は素早く先ほどまでの距離まで離れると話を続けた。
「私は、貴方様のようなお金に困っている方々を救済しようと活動している者です。貴方様が私が今から言う条件を飲んでくだされば、私から10億円のお金を差し上げる事が可能になります」
「じゅ、10億!?」
宝くじでしか聞いた事のないようなその多大なる額に、思わず桜久は住宅街だという事も忘れて驚愕に染まった大きな声を張り上げてしまった。
しかしその叫びすらも想定の範囲内だとばかりに、仮面の人物は動じる事もなく淡々と話を続ける。
「今度私が開催を予定している、
「…マスカレード?」
あまり聞いた事のないその響きに、オウム返しのように聞き返してしまうが仮面の人物は全く気にもしない様子だ。
仮面の人物はふと右手の3本の指を立て、自身の顔の前に持っていく素振りをした。
「詳しいゲームの内容は今はまだお伝えする事はできませんが、3つだけ…このゲームは数日間に渡って開催されるので、拘束時間が長くなる事が予想されます。それと、あくまでもお金はゲームにクリアした時のみお渡し可能となっているため、大金を手に入れられるかは貴方様の力量次第となります。あと1つは…ゲームの途中、命を落とす可能性も十分に出てきます」
「…!?」
命を落とす…その怒涛な話の展開に、桜久は目を大きく見開いてひゅっと喉を鳴らす。
あまりにも現実離れした言葉。
ゲームや漫画のような展開。
到底受け入れられるような話ではない。
誰が好き好んで死んでしまうような状況に自ら飛び込んでいくものか。
まるで死体でも見たかのように顔色を真っ青に染め、額からは自然と脂汗が滲み出て来る。
話の内容を全く受け入れる事ができずに銅像のように硬直する桜久をあざ笑うかのように、男はちっちっちっと右手の人差し指を立てて横に振る。
「10億円なんて大金、そう易々と渡す訳がありませんよ。これだけのお金を手に入れるならば、それ相応の対価は支払っていただかねばなりません」
確かに、無条件でそんな大金をくれるなんて奴がいたらそれこそ裏があるんじゃないかと疑り深くなってしまうかもしれない。
目の前の人物も相当に怪しい人間ではあるが。
仮面の男は未だ顔色の戻らない桜久をさほど気に止めずに言葉の続きをつらつらと述べる。
「今お伝えできる事はこれだけですが、どうですか?ゲームに参加しますか?もちろんご家族の今後がかかっているんですから、命をかける事くらいどうって事ありませんよね?」
まるで端から選択肢などないようなその残酷な問い。
命をおもちゃのように扱う仮面の男の言動は、到底聞き入れられるような物ではない。
頭から冷水を被ったかのように身体の底から凍り付きそうな気持ちだった。
それでも、桜久は湧き上がる恐怖や怒りを振り払った。
「…本当に、ゲームにクリアしたら、10億円をくれるんですね?」
「ええ、もちろんお約束しますよ」
象牙色の瞳は普段の優しい色合いに染まった物とは一変、深い決断の炎を揺らめかせて目の前の仮面の人物を鋭く睨みつける。
その射貫くような視線に、仮面の男は待ってましたとばかりに右手を差し出し、握手を求めるかのようなしぐさをした。
目の前に、黒い皮に包まれた大きな手が現れる。
「…やらせてください」
その手を固く握り返しながら、桜久はもう迷いなんかどこにもないとでもいうかのな精悍な表情で仮面の人に承諾の言葉を呟く。
行くと決めてしまった。やるからには、最後までやりきって必ず10億円を手に入れる。
たとえ、命の灯が消えようとしても。
「では、先ほどお渡ししたメモ用紙を後でご覧ください。ゲームの開催日と集合時間、集合場所が書かれていますので、当日はそれに従っていらしてください。持ち物は、携帯電話や財布、免許証や保険証などの貴重品。それと、普段からお薬を飲まれている方は、現物は持って来ずにおくすり手帳だけ持参するようお願いします。ゲーム会場で我々が新しくお薬を調達してお渡ししていきますので安心してください」
仮面の人物は若干浮足立った機械音で先ほどのメモの説明をし終えると、さっと機敏な動きで後ろを振り向き、そのままゆっくりと桜久の前から姿を消すために歩を進め出した。
「それでは、当日お会いできるのを楽しみにしております」
機械的なその言葉だけを言い残したと思った時には、もう既に件の人物は塵1つ残さずに存在を消していた。
相手がいなくなった途端、一気に緊張が解け、桜久は気が抜けたかのようにへなへなとその場に座り込んでしまう。
終始、まるで異世界に放り込まれたかのような気分だった。
「…何だったんだよ、あれ」
桜久以外誰もいない閑静な住宅街に、戸惑う小さなその言葉は闇に溶けて消えていくだけであった。
To be continue
ブラッドロック・マスカレード 汐味ぽてち @yamakano
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