第22話 見つめる目

【それ】は今日もいた。


小さい頃に母を亡くして、精神的に不安定になってしまったのかその頃から【目】が見えてしまうようになった。最初の頃は、突然出現するよく分からない目の存在に怯えたり泣いたりもしたけど、改善することもないまま目の存在とも20年の付き合いになった。私が見つめると目もこちらを見つめていて、視線を逸らすと目の視線を感じない気がするし、朝起きてカーテンを開けようとしたら隙間から細い目が覗いているし、ふとした時に目が合って目を見開くと、向こうも目を剥いている。特に害を与えてくる存在でもないし、かといって何かを訴えているようなものでもないんだろうなぁ、と思いながら部屋を片付けていた。



「…お父さん、私、結婚するんだ。」


と父に話したのが半年前。テレビを見る父の背中に一言だけそう伝えると、そうかぁ…と、しみじみと呟いた。それっきり2人とも黙ってしまったのだけど、父がこちらを振り向くことなく肩を震わせていて、その姿を見た私も涙を拭いながらその場を立ち去った。母の遺影にも泣きながら報告していたら、中途半端に閉めた襖の隙間からまた視線を感じた。


「…私、結婚するんだぁ。引っ越しもするんだよ。」


その目にも伝えるような独り言をこぼして、部屋を出ようと襖に目をやったら確かに目が合った。私の方をじっと見ていたので少し近づくと、微かに充血しているようだった。もしかして、この目は…と、一瞬だけ母の可能性も考えて話しかけようとしたら、ふっと消えてしまった。

部屋の片付けも終わり、まもなく新居に引っ越して、やがて結婚してから数ヶ月が経った。主人の帰宅時間が遅いことで毎晩喧嘩になっていた時に、またあの目が現れたのだ。やっぱり母が見守っているのではないかと思いながら今日も主人の帰りを待っていたのだが、夜中に帰ってきた主人は、お酒の匂いを漂わせながら大きな声で話すので、思わず時間を考えてよ、と注意したら何の前触れもなく突然私を突き飛ばした。ごつん、と壁に頭をぶつけたあと、私は動けなくなってしまった。


『うるせぇなぁ…』


倒れた私の視界を横切る主人の足と、少ししてから閉まるドアの音。さっきまで大きな声だった主人の声がなんだか小さく聞こえたのは気のせいかな、頭を冷やすために出て行ったのかな、そんなことを考えながらどのぐらいの時間が経った時だったか、倒れた時よりもぼんやりとする意識の中でリビングに置いてあるキャスター付きのラックの下から視線を感じた。そちらを見つめると、やはりあの目があったのだが文字通りものすごく濁っていた。濁っているのが珍しくてしばらく見つめていたけど、


「………あ、」


この目は母の目ではなく、私の目であることの可能性が出てきて思わず声が出た。あの時微かに充血していたのも、結婚生活の現実をるようになってから再び現れたのも納得がいく。そう考えたら目の前の濁った目というのは…。冷たい床に転がったまま動けない私はゆっくりと目を閉じた。その後、目がどうなったのかは確認できていない。

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