第20話 ひとくち

『ねぇねぇ、一口ちょうだい』


それが彼女の口癖でした。彼女自身はしっかりした性格なんですが、食べ物を食べている時にだけ必ずそう言ってくるんです。欲しがる食べ物に特に決まりはなくて、スナック菓子などのお菓子から、一口分けるのが少し難しそうな麺類など彼女はとにかく一口だけ食べたがることが多かったです。そんな彼女と話題の映画を観に行った時、売店で2人分の飲み物とポップコーンを買ったんですがここでも、


『…ねぇねぇ、一口だけポップコーンちょうだい』


と小声で言ってきたんですよ。そうならないようにポップコーン2人分買ったのに上映開始30分で全部食べてしまったのか、とか考えながら彼女の口元へポップコーンを持っていったらガリッ…て力強くポップコーンと一緒に指まで噛まれたんですよね。あまりの痛さに声が出そうになったのと、彼女の口から引き離した指を触るとぬるりと嫌な感触がして、トイレに行くとだけ伝えて外で確認したら噛まれたところから出血してて…。しかも本来なら彼女の歯型がついてそうなのに、小さく並んだ点線状の傷しかなくて気味が悪かったのを覚えています。その後は、追いかけてきた彼女が治療費を出すから病院に行こう、て言ってきたんですけど、治療費は自分で出す、口癖を治すような努力をしてくれ、無理なら別れると告げてしばらくお互いに時間を置くことにしました。


その映画館での出来事から数週間経って、久しぶりに会った時に食事をしたんですけど、かなり反省していた様子だったので、もうさすがに許すべきだよなって思ったんです。でも、彼女が目の前で食事をしていると指を噛まれた時のことをどうしても思い出すし、いつもの口癖こそないものの、見れば見るほど、彼女っぽいけどそうじゃないような、という違和感が大きくなったんです。

黙っているこちらの様子なども気にせず食事を終わらせた後、ごちそうさまでした!と、満足そうに笑う彼女の歯が鋸みたいにギザギザに尖って見えたんですけど、あの時の指についた歯型って【皮膚の上に鋸の刃を垂直に押し当てた】ような傷だったな…て思ったら怖くなって、その場で全く別の理由を言ってお別れしました。


これからも一緒に過ごせるかどうか考えたら、多分一口ちょうだいどころじゃ済まなくなる気がしたんですよね。

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