犯人の影

「剪芽梨さん、いい酒ありますねぇ。純米吟醸、大吟醸、純米大吟醸、獨酒。あっ、この店でしかない限定酒も。一杯やりたくなりますよ。」


「ぐっさんの酒好きは一目置かれてるからな。」


剪芽梨と與那虞は、この事件が発覚してからずっと血腥ちなまぐさい空気しか吸っていない。

一献の酒に酔いたい気持ちに変わりがなかった。

與那虞が店の酒に見入っていると先程のバイトの学生が一人の老人を伴って店頭に現れた。


「お待たせしました。」


未曾有の社長は名を武見たけみ全吉ぜんきちと言った。

白髪にも関わらず、顔は薄っすらと脂ぎり、中年にも思える風貌だった。


「何かうちが疑われているのですか?」


「いやいや、少しお伺いしたいことがございまして。」


剪芽梨は、少し恐縮しながら手を横に払うように振った。

それと同時に一枚の写真を武見社長に見せた。


「うん?見たことのない酒ですな。これはどこの?」


この時点で與那虞は、次の店へと行く道順を頭に描く。

しかし、剪芽梨は、粘ることにした。

「本当に見たことがありませんか?六角という酒なのですが・・・。」


「六角?・・・」


武見社長は、思案顔で考え込んでいた。

2分ほど立って剪芽梨が諦めようとしたとき武見社長の目が開いた。


「名前は全く違いますが、この桜と水仙の模様、確か双神ふたがみという酒と似てますねぇ。」


「双神ですか。・・・それはどこの蔵で造られているのでしょうか?」


「いえ、それは知りません。」


余りにあっけない答えに、剪芽梨も與那虞も気が抜けそうだった。


「知らないとは、どうしてなのですか?名前がわかっているのに。」


「ははははっ、申し訳ありません。それは、空想の中の酒だからです。」


「くうそう?・・・」


「はい、空想というより酒業界の理想の酒です。品位、コスト、味覚、全てにおいて完璧な酒。それが双神です。」


六角を捜査していく段階でまた新たな酒の名前が浮かんだ。

剪芽梨は、複雑に絡まる事件を更に難しく絡ませる自体を解決できるのか、刑事人生の全てを掛けても足りない無力さを痛感し始めた。


武見社長からは結局、理想の酒という情報しか得られなかった。

剪芽梨、與那虞両名は次の酒蔵へと向かった。

道すがら二人は眉間に皺を寄せ、空想の酒と同じ柄を持つ六角について考えを巡らせていた。


「剪芽梨さん、六角が、酒業界の理想だということは分かりましたが、幻ではなく現実のものとして我々は見ています。手にもしている。仮にこの酒が誰かが作った一品物だとすれば自然に犯人は限定されてきますが、譲渡、あるいは購買したものとなると、難しくなりますね。」


與那虞は思案にくれたといったていで剪芽梨を仰いだ。


「んんー、俺はぐっさんとは少し違う。六角を知ってる人間、つまり、この酒が価値のあることを知ってる人間が容疑者となれば、ザルから振るい落ちる人間は多いと思う。酒に精通した業界に詳しい人間、その人物がこの事件の鍵を握っている。そんな気がしてならない。」


剪芽梨の千里眼はすでに犯人を特定したかのように輝いていた。








「あれから2ヶ月か・・・警察が俺のところに来ていないということはバレちゃいねぇようだ。」


男は、今日も路上でバイクを運転していた。

大阪府警警隊、つまりは白バイ警官だ。

毎日、道路交通法違反を追いかけては違反切符を切る。

時には重要事件に奔走するが、そんなことは本当に稀な出来事だ。

飽きるような言い訳を交わしながら罪を認めさせる。

道路交通法も立派な法であり、違反者は犯罪者なのだが、世の中は平気で昨日切符を切られたなどと犯行を自慢している。


「おまえに罪の深さはないのか?」


と言いたくても軽犯罪は笑い事程度にしか考えていないこの国の罪人たち。

そんな非国民に制裁を加える。

今まで殺した醜悪な獣を俺は世の中には分からないように始末したつもりだった。

だが、あの女に見られてしまった。

あの女さえいなければ、俺の正義はいつしかこの国を変えていたのだ・・・。

夢野いけみ、彼奴を殺していなければ完全犯罪だったのに・・・。

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