第8話 さよなら、レットイットビー

 よだかは防波堤で夜の海を眺めていた。松世隆志だから、よだか。彼自身はこのあだ名を気に入っている。

 

 日に焼けた男が煙草を咥えながらコーラとビールの缶を持ってきてやってくる。黒いタンクトップから出た肩に刺青が入っている。よだかの叔父の加藤弘樹だ。


「泣き止んだかー。」


 弘樹もまた防波堤に座り、コーラを差し出す。


「泣いてねえよ!」


 彼は目をこすり、コーラを奪った。


「そうかそうか。」


 プシッという心地いい音が夏の海に浮いた。


「で、なんで家出したんだ。」


「笑ったんだ。」


「何を?」


「俺はジョン・レノンの生まれ変わりだって言ったら、お袋のバカが笑ったんだ!」


「そうかそうか。」


「俺、絶対そうなんだ!初めてビートルズのレットイットビーを聞いた時に、これは俺が歌った歌だってそう思ったんだ!」


「そうかそうか。」


「運命なんだよ!俺、もうビートルズの曲、全部ギターで弾けるんだぜ!全部だ全部!!すごいだろう!?」


「そうかそうか。」


「おじさんもバカにしてるだろ!」


「バカにはしていないが、姉貴によだかは昔の俺そっくりだって、さっき言われてな。俺の14歳はこんなだったっけ、と思ってはいる。」


「どういう意味だよ!」


「若いな~と思って。」


「やっぱバカにしてんじゃねえか!」


「よく電車乗り継いでここまでこれましたねー、よしよし。」


 弘樹は煙草を持っていない方の手でよだかを撫でた。


「やっぱバカにしてんじゃねぇか!」


 よだかは弘樹の手を叩き払い、コーラを一気飲みした。


「げっほ。」


「お前、コーラ初めてかよ。」


 弘樹はよだかの背中をさすってやる。


「げふっ。」


「あーあー、きたねーなあ。」


「げふ、なんで、みんな、っく、バカにするんだよ。俺はすごいんだ。」


「泣くのかよ。」


 ふえーん、という情けない泣き声が横から聞こえてきて、弘樹はやれやれという顔をしていた。


「ん。」


「なんだよ。」


「ビール。飲むか?」


「俺、未成年だもん。」


「んじゃ、ん。」


「煙草も吸わねえよ。未成年って言ってんじゃん。」


 弘樹はワハハ、と笑い出した。


「あー、大丈夫。お前は俺と全然似てないわ。お前は俺よりいい大人になるよ。」


 そう言ってよだかの頭をクシュクシュと撫でた。その手を制しようとして、よだかは弘樹の肩に刺青がある事に気づいた。


「かっけー。」


「刺青は年齢制限ないけど止めとけよ。痛いぞ。」


「バカにすんなよ。」


 そう言って、刺青を撫でてみるとボコボコしていて、確かに痛そうだとよだかは思った。


「これ、なんて彫ってあるの?」


 暗くてよく見えなかった。


「みずほ。」


「みずほ?人の名前?」


「そう。俺の娘の名前。」


「ええ!叔父さん子供いたの!?」


「ああ。」


「嘘、会ってみたい!」


「会えねぇよ。」


「なになに、そんなにかわいいの?」


「俺も会わせてもらえないの。」


 よだかはなんといっていいかわからず、ザザーン、と急に波の音が大きくなった気がした。弘樹がフゥと吹いた煙草の煙がまとわりついて、まだ落ち着かないよだかの喉はせき込んだ。


「…もしかして娘の前でも煙草吸ってたの?」


「吸ってねぇよ。」


「え、叔父さんよく吸うのに!?」


「娘の前では一度も吸わなかった。」


 そう言って、弘樹はフーッと煙をよだかに吹きかけた。コホコホと咳が海に沈んだ。


「なあ、ジョンレノンの生まれ変わり、Let It Beを歌ってくれよ。」


「レットイットビーはポール・マッカートニーの曲だ!」


「何?もしかして全部弾けるってジョン・レノンの分だけか?」


「ふざけんな。歌えるよ。」


 よだかは歌った。夏の海に向かって、レットイットビーを。終始煙草の煙が巻き付いてきて、よだかは一生煙草を吸わないと決めた。




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「月光」に続いて、名曲シリーズでした。

ビートルズのLet It Be。歌詞が染みます。






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