地獄変・八寒

 その地獄変は、地獄を描きながら、極楽を想起させる絵図だった。

 仏教においてはすは重要な花である。

 悟りの象徴シンボル。もう少し誇張すれば極楽の花。だのにそれがアチコチに描かれたそれは紛うことなく地獄であって、どうしようもなく腰骨から怖気おぞけを、揺り起こす。

 指先には青い蓮花れんげが、胴や頭には淡い蓮花が、足下の血溜まりには濃い蓮花が咲き誇る。

 不釣り合いで、不似合いで。想像と乖離かいりするからか、吐き気をもよおす気色の悪い地獄絵図。

 仏は無いのに仏花が咲く。

 仏で無いのに仏花にまみれる。

 そんな絵図を描いた、良秀よしひでという作家が居た。

 よわい四十は超えず、二十歳はたちより前には作家として身を立てていた天才。

 絵、造型、書き物、縫い物。手仕事アナログと呼ばれる技法は基本、彼の得意分野であったそうだ。

 遺作いさくとなった八寒はちかん地獄じごく変相図へんそうずは、その内の絵に当たる。

 初めてその絵を見たのは、彼が死ぬ前日、世間にその絵がさらされたその日であった。

 絵は直ぐに話題になった。元々ある程度知名度のあった作家であったが、それでも、絵、それ自体がとてつもなく強烈であったのだ。

 滅多に語られる事も無ければ、かたどられる事も無い八寒と呼ばれる極寒の地獄。

 それを描いたのは、その当時より一年前に、妻子を殺された挙句、雪の中に捨てられた作家その人。

 世が喰い付かぬ筈も無く、瞬く間に存在は広まっていき、翌日には物見客が、絵の前にてうごめくばかりで、肝心な絵はろくすっぽ見れぬ始末であったと言う。

 その時にはもう、自分の所に、彼の訃報ふほうが届いていた。

 死因は伏せる。だが、あまり良い死に方をしていなかった事は事実だ。

 見つかったのが、死んで直ぐであった事が幸いだった。これで数日誰にも見つけて貰えぬままだったなら、更に悲惨な死体であった事は間違いない。

 もう一度、あの絵が見たくなった。

 センセーショナルな作家の生涯に感化されたのかもしれない。

 けれど明確だったのは、もう一度、あの地獄を見つめなければならないという、使命感めいた願望だった。

 その為に自分は、無理やり良秀の記事を書く権利をもぎ取った。

 そうすれば、あの地獄を誰より、覗き見れると思ったからだ。

 知り合い伝に頼み込み、あの地獄を写真に収めてあの地獄変の関係者の元を巡り歩いた。

 経歴、思考、人とナリ、切っ掛けと変化。

 巡ったとして、それで分かった事などそう多くは無かったけれど。

 けれどその間、ずっと地獄は顔を変えていた。

 ある人には寂寥を、ある人には後悔を、ある人には執着を、そしてある人には憧憬を見せたあの地獄。

 今一度、現物を見に、やって来た。

 相変わらず、美しく、悍ましい。

 吐いた息が、白い気がした。

 この地獄は今、自分に、どんな顔を見せている。



 アンタには、この地獄が、どう見えていた。

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地獄変・八寒 柳 空 @area13

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