第14話 犯人像
公安一課が友枝殺しの極秘捜査を開始してから四日目。四月十六日水曜日の午前十時。時也はプチ・ルポで一礼司と接触していた。刺青の男の件について調査の進捗を聞くためだ。
「どうやら、マルBなんかよりよほど厄介な連中みたいだぜ。逆に言えばハムにうってつけの仕事でもある」
ホットドックを頬張る男の向かいで、時也はタブレットに保存された報告書を流し読みする。結論としては、刺青の男は暴力団員ではない一方である集団に属し、組織的な活動を行なっているようだ。その集団が新組織なのか、あるいは政治団体やカルトの類なのかは判然としない。
情報源は複数の人間に跨っていてどこまで信頼に値するのか、現段階ではっきりとはしない。ただしまったくの出鱈目でもなく、情報源の中には「刺青の男と同じ組織に所属している」と告白する人物もいた。本人の自己申告によるものでそれも完全には信用できないが、接触した探偵事務所の所員によると
「『接触者の目の前で、女はシャツの裾をめくり腹部を見せた。へその横二十センチほどあたりにアルファベットのmのような刺青が刻まれていた』」
報告書には、絶妙な角度で女性の腹部付近を撮影した写真も添付されていた。直径三センチほどの大きさでmと似た形の刺青が認められる。
「お前の読み通り、メンバーに与えられた特別な印なのかもしれないな。もし、組織の人間がすべてのアルファベットの刺青を入れているとすれば、少なくとも組織は二十六人。あるいはそれ以上の規模ということになる」
「そうだな……他にはあるか」
探偵は右手の指にはめていたリングを外し、テーブルの上に置く。情報料の追加を要求するサインだ。時也は手元のスマートフォンを操作し、指定の口座に追加料を振り込む。
「実のところ、面会の段階では彼女から大した情報を引き出すことはできなかった。組織にはどんなメンバーがいるのか、どんな活動をしているのか、一切話してくれなかったそうだ。自らの意志というよりは、権力者に口封じされて言えないって感じだな。見た目は若いお嬢さんだったらしい」
「権力者か。そいつの尻尾を直接掴むのが一番手っ取り早いんだが」
「そう焦るなって。ガードを崩すなら、まずはその嬢ちゃんあたりにでも唾つけとけよ」
小さく折りたたんだメモ用紙と一枚の写真が机上に置かれる。そこに書かれていた情報は、時也が喉から手が出るほど欲するものだった。
「彼女の写真、それから住所と通っている大学だ。週に二、三日は喫茶店でアルバイトをしているらしいがバイト先まで特定する時間はなかった。あとはそちらさんで頑張ってくれ」
「〈m〉は大学生なのか」
意外だった。若い女性といっても、学生とは予想していなかったのだ。
「別に驚くほどでもないだろ。大学生だって学校以外でコミュニティに所属することは珍しくない」
「それが犯罪集団でなければ、の話だがな」
「学内で勧誘された可能性もあるかもしれないぞ。数はめっきり減っちゃいるが、学校のサークル団体にそういう思想の連中が紛れ込んでいるケースは報告されているからな。実際、入学した子どもが勧誘を受けて入りかけたって相談を母親から受けたこともあるし」
「学校組織は警察が介入しづらいこともあって被害の発覚が遅れがちだ。しかも学生はその手の情報に疎い者も多くターゲットになりやすい。連中からすれば仲間を募る絶好の場ってわけだ」
刺青の組織が国家の治安を揺るがす犯罪グループであるとすれば、捜査はいよいよ公安の領域だ。かつての同輩に礼を言って、時也は足早に店を暇した。
湾岸通の本庁に戻ると、調べものついでに庁内で一休みしていた田端警部補と顔を合わせた。刺青の男について田端とはまだ情報共有をしていない。探偵から得た新情報も含めて、時也は捜査の進捗を手早く報告した。
「女子大生が刺青の組織の一員ですか。たしかに意外ではありますね」
小会議室で時也の報告を聞き、眼鏡の警部補は低く唸る。
「学生を含めた組織となると、若年層を中心に結成されたレジスタンスの線もあり得ますね」
「最近は、学生運動の回帰時代とも言われていますからね。先週も、美土里区の公園で大学生を中心とした政治団体が騒ぎを起こしていましたし」
「数名の男子学生が警官に暴行を加えてゲンタイされた事件ですね」
「その団体、身体のどこかにアルファベットの刺青でも入れてないかな」
冗談交じりの時也に、田端は「だったら事件はスピード解決だ」と笑って応じる。
「田端係長は、水前署付近の地取りですか」
「それが、補佐からの指示で友枝百合が被害に遭った詐欺事件を追うことになりまして」
田端は県警の捜査二課時代に詐欺事件を担当し、かつて関東一帯で発生した大規模なオレオレ詐欺事件の捜査経験もある。東海林警部はその手腕を見込んだのだろう。
「今は新たな情報収集より、過去に集めた材料を見直してもっと別のレシピを考案できないか試行錯誤している段階です」
情報は、集めるより使う難易度のほうが高い――公安課に配属された当初、ボスが口酸っぱく繰り返していた言葉だ。情報は、単に数を集めればいいわけではない。集めた情報をあらゆる角度から徹底的に分析し、それらを組み合わせてより実用性の高い情報に仕上げる。そうして調理された質の高い情報が、後の犯罪捜査に活用されるのだ。
「手始めに、二年前の詐欺事件の被害者に再度聞き込みをしています。新たに思い出したことや今だからこそ言えることもあるかもしれませんからね。ただ、事件後に亡くなった方や足取りが判らない被害者もいますので、一朝一夕というわけにはいかないですが」
「過去の被害者リストは俺も見ました。たしか、被害額が最も多かった女性は自殺していましたよね」
「ええ。桜井千里、当時四十一歳。保田谷区に住む主婦で、家のローンや老後用に貯めていたお金を夫に内緒で使い込んでしまったんです。総額およそ七百万円。事件が明るみになってから夫は相当激しく責めたらしく、『闇金に借金するかキャバクラで働くか、とにかく何としてでも穴埋めをしてもらうぞ』と半ば脅されたとか」
「まあ、怒る気持ちは判らなくもないですが……結果、その糾弾が自殺につながったわけですよね」
「そういうことになるでしょうね。夫の芳郎は現在も保田谷区に住んでいますので、明日話を聞きに行くつもりです」
「ほかの被害者はどうですか」
警部補は飲みかけの缶コーヒーを机上に置くと、懐から警察手帳を取り出す。
「現段階でリストのうち五人を当たったところですが、現状では友枝百合以外に小林誠和や東凰会と関連がある人物はいませんね」
「犯行に使われたアプリですが、データの復元は完全不可能だったのですか」
「当時の科捜研の中でも、デジタル犯罪専門の研究員を総動員したみたいですが無理だったようです。数少ない手がかりは、被害者の女性がスマホに保存していたチャット画面でしょうか。そこから大まかな犯人像をプロファイリングし、被害者周辺の鑑取りから浮上した人物と当てはめてみたようですが結果は空振り。犯人は相当用心深く、個人を特定する情報はチャットの中で一切漏らしていませんでした。被害者たちの記憶も百パーセント正確ではありませんし、やはりアプリの特質が分厚い壁になっていたようです」
「俺も当時の捜査資料を読みましたが、犯人の男は〈ホセ〉と〈ジェイス〉という二人の人物に成りすまして犯行を重ねていましたよね」
「ええ。当時の捜査員たちが、被害女性が残していた証拠や証言をもとに二人の会話の癖や特徴などを分析していました。やはり、両者には共通点が多く同一人物によるやり取りである可能性が高いと判断されたそうです。ある捜査員は、二人の雰囲気がとてもよく似ていて『まるで双子の犯罪者だ』なんて話していたみたいですが」
「双子か……彼らに繋がる手がかりは他になかったのですか」
「チャットの中で音声通話によるやり取りをしていた女性がいて、その音声記録を録音して残していました」
「相当な入れ込み具合ですね」
つい本音が漏れた時也に、田端も苦笑を禁じ得ない。
「それほど女性の目には魅力的に映ったのでしょうね。で、その音声データを解析した結果ですが、どうやら音声合成アプリを使って作られているようでした」
近年若者を中心に流行っている音声合成アプリは、アプリに搭載されたAIがユーザーの合成音を作成してくれる。自分の声を登録するだけの簡単な作業で、さらに課金をすれば声質を自分で調整してオリジナル音声を作ることも可能だ。世間への認知度が低かった当時は合成音のクオリティも稚拙だったが、最近では技術が格段に向上しアプリによっては人間の肉声と聞き分けることが困難なほどだという。
「私書箱といい音声合成アプリといい、かなり手の込んだ犯行ですね。徹底した証拠隠滅作業だ」
「だからこそ、捜二も悪戦苦闘したのでしょうね。現金の受け渡しまで含めて犯行が立浜市内に限定されていることから、犯人の生活圏域も市内の可能性が高い……という予想までは立っていたようなのですが、それだけでは容疑者を絞ることは困難だ」
「全立浜市民が容疑者になりますからね。我々もその一人だ」
互いに苦笑を交わし、缶コーヒーを一気に呷る。慣れ親しんでいるはずのブラックコーヒーがいつにも増して苦く感じられた。
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