第3話 寿司とライター

 気が付くと私は、暗い部屋に立っていた。目の前には広い木のテーブルが置かれている。私は椅子に座ってテーブルに着いた。しかし、これは私の意志で座ったわけではない。体を動かそうとしても自由に動かすことはできず、私の意志に反して勝手に体が動いてしまう。


(なにこれっ!)


 叫び声を上げようとしても喉から声が出ることはなく、私は私の意識の中で独り言をつぶやくことしかできなかった。


 自動的に動く私の身体は、手に持っていたビニール袋を開き、中に入っていた総菜のパックを取り出した。


(ビニール袋? パック……ってなに!? 私、なんで初めて見た物の名前が分かるの!)


 パックには赤や白や黄色、色とりどりの寿司が入っている。私の身体は透明なパックの蓋を開け、ひっくり返した蓋に付属のしょうゆを注いだ。


(寿司! 寿司は見たことあるし食べたこともある! でもあの赤いやつ……マグロだけは食べたことない……って、やっぱり勝手に名前が分かる。どうして)


 私の身体はビニール袋から割り箸を取り出して二つに割った。あまりうまく割れなかったようで、右側が大きい左右非対称になってしまった。私の身体はあまり気にしないようで、そのまま寿司を食べ始めた。自動的に口の中に入ってくる寿司の味は、私が食べたことのある寿司と大きくは変わらなかったが、初めて食べるマグロは初めて食べる食感でとても美味しかった。初めて食べたはずなのに、なぜかとても懐かしさと嬉しさを感じる味だったのだ。


(……これ、もしかして転生前の、前世の記憶、なのかな)


 視界の端に映る様々なものに見覚えがない。ないはずなのに、私は昔から当たり前に接してきたかのようにそれらの名前がよく分かる。


(冷蔵庫、テレビ、パソコン、カップ麺、空き缶…… 多分、使い方もこれで合ってるんだと思う)


 前世の私はマグロ、タマゴ、サーモン、エビを食べて、ホタテとイカとガリは食べずに残した。白い食べ物が苦手だったのだろうか。


 手を合わせて「ごちそうさまー」と言った私は、ビニール袋からもう一つ寿司のパックを取り出した。まだ食べるのかと思いきや、自分の前ではなく、テーブルの右側に箸と一緒にきれいに並べて置いた。


(誰か、別の人の分ってことなのかな?)


 次に、ビニール袋からイチゴの載ったショートケーキのパックを取り出した。これは自分の前に置き、もう一つ取り出したモンブランは右側の寿司の横に置いた。


 コンビニではフォークをもらえなかったのだろうか、少し悩んでからさっきまで寿司を食べるのに使っていた箸を手に取る。それから前世の私は、手を叩きながら歌を歌い始めた。


「はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばーすでーとぅーゆー!」


(誕生日の時の歌…… すごく幼い子供の声に聞こえる)


「はっぴばーすでーでぃあ、あたし~! はっぴばーすでーとぅーゆー! おめでと~~‼」


 前世の私は一人で大きく拍手をしたあと、テーブルの中心においてあったロウソクを手に取り、ショートケーキに全部で九本のロウソクを刺した。ケーキは小さなものだったので、まるでロウソクのハリネズミのようだった。


(九歳ってことでいいのかな? 前世の私の九歳の誕生日……)


 そう考えてみると、何となくいつもの私より目線が低いように感じる。座高が高く調整された椅子に座っていたから気が付かなかった。


 前世の私は次に、ライターを手に取ってロウソクに火を点けようとした。しかし、ライターの着火ボタンがとても固く、九歳の力では難しそうだった。少し頭を傾けて考えていたが、名案を思いついたように思い切り椅子から立ち上がり、ライターを掴んだまま隣の部屋、リビングに置いてあるこたつに向かった。


(こたつ…… これでどう火を点けるんだろう?)


 私が頭を捻っている間に、前世の私はこたつの天板と布の下の机に隙間を作り、その間にライターの着火ボタンをうまく噛ませた。


(え……!?)


 前世の私は、持ち上げていた天板を強く押し、着火させようと試みたのである。


(そんな、危ない!)


 しかしライターはこたつから弾き飛ばされ、着火には失敗する。


(せ、セーフ……)


 しかし、前世の私は諦めない。もう一度天板にライターを挟み、今度はライターを手で押さえながら、反対の手で天板を押したのだ。今度は成功し、ライターに火が点いた。電気を点けていない部屋の中では、ライターの小さな光さえ太陽のように明るく見える。


 これで火がつけられると確信した前世の私は、テーブルからハリネズミショートケーキを持ってきた。


(すごい危ないと思うんだけど、小さい子の工夫ってすごいんだな)


 私が関心している間に準備は進み、天板とライターの準備が整う。同じように天板を押してライターに火を点けると、天板を押していた手でショートケーキを持ち、ロウソクに火を点けていった。火を点けるのには慣れていないようで、まだ火が燃え移っていないのにライターから離してしまい、全てに着火するのにはかなりの時間がかかってしまった。


 ロウソクに火を点けることに注目していた前世の私は、ライターを挟んだ天板がだんだんズレていることに気が付かなかったのだ。


(あぶない!)


 と思ったときには遅く、ライターのバランスが崩れ、天板が小さく音を立てて閉じた。


(いったっ!)


「いたっ」


 私はライターと共に手を天板に挟まれてしまった。しかし、本当の苦しみは天板ではなかった。


「熱い、熱いよ!」


 長時間火を点けたままで熱されたライターの口が、私の手に押し付けられたのだ。バイワルトでは禁止されているが、奴隷制度がある国では焼きごてを用いて奴隷の烙印を付けるらしい。それと似たようなことが前世の私に起きているのだ。


(早く手、抜いてよ!)


 どれだけ私が身体を動かそうとしても、どれだけ強く念じても、前世の私の身体は動くことはなく、ただ泣き続けることしかできなかった。


 ライターの熱が収まってきたころ、私はさらなる異変に気が付いた。


(焦げ臭いような……)


 前世の私も異臭に気が付いたようで、慌てて辺りを見回すと、足元に置いてあったハリネズミショートケーキが赤く燃え上がっていた。いや、ショートケーキだけではない。こたつの布団にも火は燃え移っていた。小さなケーキに全部のロウソクを刺すため、上向きだけでなく側面に横向きにも刺していたのだが、それの先端が布団に当たってしまったらしい。近くに消火に使える水はなく、しかしこたつの上には雑誌がある。こたつから立ち上った火が雑誌に引火した。


「きゃあっ!」


 目の前で燃え上がる火に対して反射的に、前世の私は弾かれたように顔を後ろへ動かした。しかしその勢いが強すぎてバランスを崩し、後頭部を思い切りぶつけてしまう。


(痛い!)


 痛みを感じる間もなく、前世の私は意識を失っていくようで、視界がぼやけてきた。


(待って、待ってよ!)


 叫んでも何も起こらない。前世の私と同様に、私の意識も遠くなってきた。


(まだ何も分からないのに! うそでしょ、こんな死に方って……!)


 薄れゆく視界をオレンジ色の光が覆いつくして、私は再び意識を失った。

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