第72話 わたしの課題

 わたしの作品には動的なものが少なく、失ったものへの慰めであったり追悼のような静かなものが多いが、最近は失ってからの悦びのような、奇妙な興奮について考えるようになった。理由は時代の流れを感じているからだ。

 

 時代やモラルの変化によって書けなくなってきているものがある。身体的欠損だったり、少女の性であったり、とかく失っていくものに対して世間の目は厳しくなっている。それは正しい事だとは思いながら、どこかで失ったことに対するテーマがせまくなったような思いを感じている。――そもそも、失うということに美学を感じていること自体がいけないのかもしれないが。


 人は失った後、どう考えるのだろうか。開き直って前向きになるのか、後ろ向きへの速度をあげていくのか。それともただ戸惑い彷徨っていくのか。


 何にせよ、いつかどこかで選択を強いられる。ただ最近は、失ったことを振り返る余裕をどんどんと減らされている気がする。経済的な事情や速度がわたしたちを悲しみに滞留させることを許してくれなくなってはいまいか。そんな気がしながら、新しい「失うことへの弔い方」を考えねばらないと思っているのである。


(雑記より)


※ポリコレの波は良くも悪くも文学を侵食しているなと、ふた昔前の小説を読んで感じた次第なのです。(2024.4.12)

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