第64話 本を読むことにした

 自分で小説を書いているときにはできるだけ本を読まないようにしている。理由は読書に逃げて書かなくなることと、読書を通して文学に浅学非才な自分に向き合うのが嫌だからである。


 本を読むことは良い事である。沢山の物語に出会い、沢山の作家の想いに触れることができる。自分が想像もできない世界へと導いてくれることもある。わたしは文字を通して、不思議なイメージの世界を構築しながら心にあらゆる感情を覚える。たった数十分の旅であっても、永遠の喜びを感じる作品は少なくない。


 それに比べて、自分の作品はどうであろう。作家時代、とある文芸誌の発売日になると、本屋に行って祈るような気持ちで自分の作品をめくった。掲載されることはわかっているのに、もしかしたらもっと素晴らしい作家の小説に差し替えられているのではないかという不安を覚えてしまうのだ。(よくよく考えれてみれば、できた本を先にくれなかった当時の鬼編集者が悪いのではないだろうか?)

 

 この道で食べていく気はなくとも、それなりに力を入れてきた。だが確固たる自信と満足感を持つには至らなかった。物事に対し万事自信家であるわたしだが、小説の世界には何か意地の悪い文系独特のいやらしさのようなものを勝手に感じていた。この世界は、文学的知識と経験が掲載序列を左右すると思っていたので、絶対量の少ないわたしはただただ困惑していたのだ。何事にもおいても底辺にいることがなかったわたしには、文学というものは衝撃的で屈辱的な世界であった。


 そういうこともあって、今でもあまり読書をしたいと思わない。だが、折角リノベーションによって自分専用の書斎を手に入れたので、そろそろ読書をしても良いような気がしてきた。カクヨムでも散々書きたいことを書いてきたし、ある意味、書ききった感もある。


 これからは少し読書しよう。十数年前で時がとまっている木製で観音開きの本棚をあけて本を漁ってみた。すると範とする作家のエッセイが出てきたので、今夜はこれを読もうと思う。


※なんてカッコいいこと書いていますが、実は自主企画の為に、読者の観点を思い出そうと読み始めた次第です。書き手の気持ちを捨てて本を読む。なかなか難しいものです。(2024.4.4)

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