第27話 純文学とはス〇バのコーヒー
わたしは軽率なくらいにカクヨムのタグへ「純文学」と書くが、そもそも純文学とは何かというと、出典はあれど、ただのブランディング用語でしかないと思っている。
要は「俺たちのコーヒーを値打ちこいたろ」ということなのである。自分は~派みたいなことを、より格式高く芸術的であるかのように標榜しているのだ。コーヒーはどこまでもコーヒーなのに、である。
文学という言葉だけで十分なのに純文学みたいなよりスゴイ用語を作りたいのが人の世。さらに言えば、純文学という言葉に対してアンチな立場に立つブランディング名が生まれ、縄張り争いが発生するまでがテンプレである。
文学で済ませられることを、己が存在意義を賭けてより優れたネーミングを僭称しようとする。悪い事ではない。言葉によって流行は生まれ人・物・金が流通する。経済の基本は需要と供給。それを始めることができる起爆剤はキャッチーなネーミングなのだから。
ということで、われわれはオシャレな店づくりをした有名店のコーヒーをありがたり、大きなソファーで飲むことにお金を払う。同じように純文学という綺麗なブックケースに入った本を売って、読者はそれに胸を躍らせて購入するわけだ。それはとても良い事なのである――作家も読者もウィンウィンになれるのだから。
(雑記より)
※若いうちはこういったブランディングに振り回される。しかし、それによって出版業界が発展してきたのは事実。不況で冷めた若者が多い現在、こういった「単純なムーブメント」だけでは昔のように出版業界が元気にならないのでは? という気がしてならない。(2024.2.29)
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