第23話 語尾の「た」を愛してやまない

 わたしは自分が範とする女性作家のある小説が「た」で多く終わる作品だったので、ほとんど「た」で終わる小説を書く。時制や既成事実などの仕分けをすることなく、「た」で終わるのがいいと思っている。わたしの作品は常にI was...であり、現在ではない過去のような話ばかりだから、「た」が好きなのだ。


 とはいっても、カクヨムに限らず、大半の読者は「た」の連続にや語感の悪さを覚えるようで、評判はあまりよろしくない。それに迎合して時折、現在形で書いたりもするが、やはりわたしは「た」を愛している。


「た」というのは過去であり存在した事実をしっかりと表現している。それでいながら、どこかぼやけた推測や推論のようなニュアンスも含めることができる。さらに言えば、読者が「本当ですか?」と疑いたくなるような効果もあり、ボケのようなものも演じてくれる。


 読書量の多い人ほど、「た」に読みづらさと感じるのは仕方のないことだと思うし当然とすら感じる。web小説では、ぱっと読めるような簡明で単純な表現が好まれるのは理解している。しかしながら、わたしが教わってきたものは、そんなことに価値観を持ってはいけないというものであるので、そこに悔い改める必要を感じることがなかなか難しいのだ。


 それでいながら、他人様の作品で「た」を連発されると非常に苦しい気持ちになる。おそらくであるが、相当文章レベルが高品質でないかぎり、「た」の連発は不快な音程の演奏を聞かされ続けるくらいの苦痛を与えるようである。わたしも勿論同じような雑音を放っており、例外ではないのだろう。

 悲しいことではあるが、目を逸らせない事実として、これからも「た」を愛しながらも、申し訳ない気持ちを持って書いていこうと思う。


(愚痴より)


※どうしても「た」で終わりたい人間なので、お見苦しい文章、ご容赦くださいませ。


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