第6話 美玖の気持ち3

 この時は部の中でそんな噂が回っているなんて知らなかったから、誰かにそれを否定する機会もなかったけど、あれ以来、先輩から軽い誘いを受ける事は多くなった。


 誘いと言っても本当に軽いもの。先輩が一年生だった時の定期テストの過去問をもらうために昼休みにちょっと待ち合わせしたり、その過去問をやってみてわからなかったところの対策におススメの問題集があるよと言われて、放課後一緒に買いに行ったり。


 他校の練習試合があるから一緒に見に行かない? とか、バスケ部マネージャーOG達とご飯行くから美玖ちゃんも良かったら来ない? とか。


 デートでもなく、軽い気持ちで行けるもの。私にとってはそれが、前を向くための気分転換になってありがたかった。



 そんな毎日を過ごしている時。部活の後片付け中に、たまたま部室の前で会った射弦に話しかけられた。


『美玖、先輩と付き合う事になったんだってな。よかったじゃん。まぁ何かあったら相談くらい乗るから。これからも、よろしくな』


 ……その時の射弦は、笑顔だった。そして、私にとっては……『幼なじみとしか思ってないよ』と、釘を刺された気分になった。


 まさか同じ人に二度も振られるなんて。


 その時の私は、射弦になんて返事したのかすら覚えてない。ただ、その場で泣いてしまわないように、無理して笑顔を作ったのだけは覚えてる。


 そして――人気のないところに隠れて一人で泣いた。


 ただただ泣いた。泣くしか出来なかった。そんな私を見つけて、声を掛けてくれたのが、高知先輩だった。


『美玖ちゃん、ごめん――俺、部室で活動ノート書いてたから……部室の外で射弦と話してるとこ、聞えちゃった』


『………………』


 私は何も答えられなくて、やっぱりただ泣くしか出来なかった。けれど、心配してわざわざ私を探して来てくれたことだけは分かった。


 先輩はそのまま何も言わずに傍にいてくれた。――そして、散々泣いて泣き止んだ頃。


『美玖ちゃん、駅前にさ、美味しいケーキ屋さんが出来たんだって。良かったら今度……一緒に食べに行かない?』


 そう誘われて。


『ケーキ、いいですね。行きたいです』


 ちょっとだけ、笑顔になれた。



 失恋したら、ケーキを食べるという女子は意外と多いらしい。子供の頃は、なんで? って思ってたけど、今ならその気持ちがよく分かる。


 甘いものを食べて、心を元気にしたいから。いつまでもふさぎ込んでいないで、前を向いて進みたいから。


 きっと先輩も、元気出してって意味で言ってくれたんだろうなと思った。



 先輩とケーキ屋さんに行ったその後も、新しく出来たというパスタ屋さんに行ってみたり、新作の映画を観に行ったり……。デート、とは言わなかったけど、一緒に遊びに行ったりするようになった。


 そんな日々を重ねてたある日、先輩に『俺の事はゆっくり好きになってもらえたらいいから……付き合ってくれないかな』とまた告白された。


 こんなに気遣ってくれる人なんて、きっといない。次に恋愛するなら、この人がいい。そう思った。だから私は……先輩と付き合うことにした。



 実際に付き合ってみても、高知先輩はやっぱり優しかった。


 イケメンなのにそれを鼻にかけることもなく自然体で、私を周りに彼女だと見せびらかすことはなかったけど、先輩のファンの子に嫉妬されそうになれば、『俺の大事な子だから意地悪しないでね』と笑顔で優しくフォローしてくれた。


 射弦には私が誘うばかりだったけど、先輩は私が好きそうなところを選んでデートに誘ってくれたし、射弦には言われる事のなかった『好きだよ』という言葉もたくさん言ってくれた。


 かと言って私に言葉を強要することはなくて、『俺が言いたいから言ってるだけ。美玖は、無理しなくていいよ。ゆっくりでいい。俺と一緒にいたら楽しいなって思ってくれたらそれで今はいいかなって思ってる』そんな事を言ってくれて、安心したりもした。


 だから、私は先輩といて楽しかったし、人としてかっこいいなと思ったし、男の人と付き合うという事に、ドキドキしたりもした。このまま……恋人らしくなっていくんだと、期待していた。


 けど……夏の終わりの花火大会の帰り。先輩に髪を撫でられて見つめられて……キス、されそうになった。


 けれどその時、先輩のその姿が、高校に合格した時の射弦の姿と重なった。その途端……“初めてのキスの相手は、射弦がいい” そう――思ってしまった。


 もう、射弦への気持ちはなくなったと思っていたのに。先輩はこんなにも素敵で、これからは先輩と前を向いて進んで行くんだって、思っていたのに。


 ――子供の頃から、ゆっくり私の心の中で育てていた射弦への恋心が、まだ……消えていないことを自覚した。


 その気持ちを、先輩にも見透かされた。


『美玖、……まだ、射弦の事好きでしょ。たぶん、射弦も美玖のこと好きだよ。俺はさ、美玖のこと好きだし、このまま付き合っていたい。俺が射弦の事忘れさせてやりたいって今でもやっぱり思ってる。けど、さ。やっぱり好きな子には本当の意味で幸せになって欲しいから。……別れよっか、俺達』


 無理して笑ってるような悲しそうな笑顔で、先輩はそう言った。


『ご、ごめん……なさい……』


 ここまでしてくれる先輩の気持ちに応えられない自分が嫌になる。私は、先輩にしてもらってばかりなのに、私は――何にも返せていない。


 そう思う私に、先輩は――。


『うん、でも、最後に俺のわがまま聞いて』


 私の身体をぎゅっと強く抱きしめた。そして私の耳元で……


『明日からはまた、今まで通り先輩後輩に戻るから。最後に彼氏として抱きしめさせて。――好きだったよ、美玖。本当はこのまま無理やりにでもキスしてしまいたかった。けど、きっと初めてのキスは、美玖にとって大切なものだと思うから、後悔がないようにして欲しい。だから、美玖。幸せになって』


 辛さを押し殺すような声でそう言うと、先輩は、唇の代わりに私の髪にそっと優しくキスをしてから身体を離した。


 たぶん――他の人から見れば、惜しいくらいの人を手放したのだと思う。そして、――私は先輩と別れた。



 翌日、部活で会った先輩の目が腫れていて、他の部活メンバーに『高知、その目どしたー?』と聞かれていて、『いやー急に四川風担々麺食べたくなって、食べたらあまりに辛すぎて、むせたり泣いたり大変だった』と笑い話として話していて。


 私に対しても『彼女』とか『大切な子』と言う事はなくなったけど、それまでと変わらず接してくれた。


 それはきっと、部活内で変に他のメンバーに気を使われたり居づらくならないように配慮してくれてるんだなと思ったから、私もその先輩の善意に応えたくて今までと変わらず接するように努めた。



『たぶん、射弦も美玖のこと好きだよ。――だから、美玖。幸せになって』



 先輩の言葉を思い出す。


 けど、だからと言って、すぐに射弦に……とも思えなかった。いくら先輩がそう言ってくれたって、私は射弦に振られたと思っていたし、だからこそ、射弦の事は諦めようと気持ちに整理をつけたつもりだった。


 先輩のことだって、誰でも良くて付き合ったわけじゃない。それなのに、振られた側とは言え、あんなに優しい先輩を傷つけてしまったのは、私の方――。


 そう思うと、すぐに恋愛をしたいとは思えなかった。


 無理に前を向こうとしないで、一人になって、ちゃんと自分の気持ちに向き合いたい。


 そう思いながら日々を過している間に、気付けば季節はバレンタインに浮足立つ、2月に近づいていた――。

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