第7話 バレンタイン当日、俺の決意。

 いよいよバレンタイン当日が来た。俺は、“きっと美玖はチョコ以外の何かをくれるはず。俺はそれを受け取って、美玖と付き合う!” そう意気込んでいた。


 そしてもう一つ。“今年は他の誰からもチョコを受け取らない” そう決めていた。


 俺は美玖との会話の中で、『今年ももらえるとは限らないじゃん。むしろ今年は誰からももらわない』確かにそう言ったし、美玖以外の誰かからの気持ちに応えるつもりもない。それに――俺、美玖との会話の中で、もしも美玖が義理チョコでもいろいろな男にチョコを配っていたとしたら嫌だと思ってしまった。


 もしも美玖が俺の事を好きなのだとしたら、美玖だって俺がいろいろな女子からチョコをもらっていたら嫌な気持ちになるんじゃないかと思った。


 だから――俺は、美玖からしか受け取らないことで、俺の誠意を見せたいと思った。



◇◆


 いつもとは違う心持ちで、少し緊張しながら教室の扉を開ける。教室の中は心なしかいつもより浮足立っていて、いつもよりも女子も男子も気合いを入れている人が多い気がする。


 教室の入り口には、他のクラスの女子が何人か来ていて、意中の男子を呼び出している最中の人もいて、少し狭く感じた。


 そんな中。


「あ、あの! 射弦君! チョコ……受け取ってください」


 後ろから女子に声をかけられて、振り向いた。もしもこの女子が美玖だったら……そう思ってしまうけれど、そんなはずはなく。他のクラスの知らない女子だった。


「ご、ごめん……今年はとある子からしか受け取らないって決めてるから……」


 やんわりと断ったつもりだった。けれど。


「え、でも……射弦君に食べて欲しくて頑張って作ったの。受け取ってくれるだけでもいいから……」


 そんな事を言われて。


 それでも俺は俺なりに美玖への誠意を貫きたくて、『ごめん……』そう断った。するとその子は涙ぐんで走り去ってしまったから、……その涙に心が痛んだ。


 まだ一人目なのに。こうも心が痛むなんて。けれど、俺は――今年は美玖からしか受け取りたくない。その気持ちだけは貫き通したかった。


 なのに。


 席に着くとまた、俺の机の中にすでにチョコが入っていた。


 仕方がないのでその場で包み紙を開けて中に書かれた名前を確認する。そこに書かれていたのは、同じクラスの女子の名前だった。


 よし、この子なら今この教室の中にいる。だからこのまま本人に返そう。そう思った。けれど――いつもならまだその子は登校していない時間。きっとこの子は誰にも見られないうちに俺の机に入れようと今日は早く登校したんだろうと思った。


 それなのに俺がみんながいる前で直接返しに行ったら、その子は傷つくんじゃないかと思った。だから、俺はそっとそのチョコを持ち出すと、ごめんというメモと共にその子のロッカーに返しに行った。


 そしてふぅと息を吐く。ただ返すだけなのに、こうも気を使って疲れるものなのかと思う。ならば渡してくれる側の気持ちはどんなものなのだろう。


 そう思うと、断るのが心苦しくなってくる。けれど俺は美玖に言ってしまったから。『今年は誰からももらわない』って。その言葉を嘘にしたくなかった。美玖に嘘つきだと思われたくなかった。


 けれどその後も教室まで呼びに来る子や、廊下で話しかけて来る子などが絶えなくて。


 そのたびに、申し訳ない気持ちを抱きながら、『ごめん』と断った。



 俺はただ……たった一人の子から受け取りたい、それだけなのに。

 そのたった一人……美玖からは何ももらえないまま、放課後になった。


 相変わらず美玖からのチョコは……ない。


 あげないって言ってたもんな……半ば諦めながらも、当番の掃除を終えて教室に戻って来ると、ポツンと俺の机の上にプレゼントが置かれていた。


 それは以前、受験生だった時に美玖からもらった手作りのチーズケーキと同じ包み紙。


 一瞬にして、俺は舞い上がった。今年はチョコあげないって言ってたけど、明らかに義理と分かる既製品の面白チョコではなく、手作りのチーズケーキをくれたんじゃないか。俺があの時うまいうまいって言って食べたから。そう期待した。


(なんだよ、あいつ、やっぱりチョコ以外のものをくれる気だったんじゃないか!!)


 嬉しくなって、俺はそのプレゼントを大切に鞄にしまって急いで家に帰った。


 早く中を開けたい。中には何が入っているんだろう。手紙とか……入っていたりするだろうか。


 そうだよ、そう言えば美玖はお菓子作りがうまいのに、なんでいつも既製品の面白チョコだったんだよ。もしかしたら美玖も、俺との関係を壊したくなくてあえて様子を伺っていたんじゃないか。


 先輩と付き合った理由は分からないけど、そりゃあんなかっこいい男に告白されれば誰だって……!!


 浮足立って帰宅して、俺は誰もいない俺の部屋の中で、そっとその包み紙を開けた。


 するとその中に入っていたのは――別のクラスメイトからのシフォンケーキ。


『射弦君、委員会の時はありがとう。ただのお礼だから、気兼ねなく受け取ってね』


 そんな手紙が添えられていた。



 俺はガクッと肩を落とした。……美玖からだと思ったのに。



 一気にそのシフォンケーキが灰色に見えた。


 

 いや、美玖とは家が近所なんだから、家まで持って来てくれるかもしれない……そんな淡い期待で心を保とうと思った。けど……『今年はチョコあげない』そう言ってたもんなぁとうなだれているうちに、時刻はもう21時を過ぎていた。


 こんな夜遅くになってから何かを持ってくるわけがない。


 ああ、これで俺が勝手に思ってるホワイトデーのデートもなしか……。


 それがすごく悲しくなった。


 俺の部屋の簡易テーブルに置かれたシフォンケーキの入った包みを見て、ぼんやりと去年の事を思い出す。


 あの時は、ほぼ毎日のように美玖がこの部屋に来ていて、この簡易テーブルで一緒に勉強をした。


 そして美玖がお礼と言って作って来てくれたチーズケーキをこの簡易テーブルで一緒に食べた。


 それがめちゃくちゃうまくて……うまいと言った俺の顔を見て、嬉しそうに笑う美玖がめちゃくちゃ可愛いかった。あの時は……来年は同じ高校に受かって、美玖とこのままずっと楽しい時間を過せたらいいなと思っていた。


 なのに、せっかく同じ高校に受かったのに。


 受験勉強という大義名分もなくなったから美玖がこの部屋に来ることもなくなったし、美玖には彼氏が出来たから、教室や部活中は普通に話すけど、気を使って二人で過ごす時間はなくなっていた。



 こないだ久しぶりに二人で駄菓子屋行ったの楽しかったのに。


 俺のマフラーに顔を埋めて照れた美玖は可愛かったのに。


 わざわざ俺に新しいマフラーを買って美玖は俺のマフラーを使い続けてるから、絶対美玖も俺の事を好きだと思ったのに。


 ……全部全部、俺の独りよがりな勘違いだったのだろうか――。


 事前に『あげない』と言われていたのに、実際にもらえないと、こうも悲しいものなのか。


 俺――また美玖に失恋した気分だ。


 けれど、どうしたって、どうしようもなく、俺は美玖が好き。


 この気持ちは消えることはなくて。むしろ以前より大きくなっていて。


 美玖と恋人同士にはなれなくても、せめて幼なじみとしての仲のいい関係ではいたい。


 そんな複雑な気持ちのまま、半ばやけになって食べたクラスメイトからのシフォンケーキは、去年美玖と食べた美玖の手作りチーズケーキとは違って、――なぜか苦くてしょっぱい味がした。

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