4灯

 びくりと肩を揺らし素早く後方へと体を向ける。

 それまで弛緩していた空気がピンと張りつめ……息が詰まりそうだ。

 隣を見れば領主さまは――厳しい表情を浮かべてはいるが、いつも通りな気もする。そんな彼を見て少し落ち着いた。

 やがて二人が見つめる先、低木を掻き分けるように姿を現したのは。


「あれー? 灯屋のおねーちゃんと、……領主さま?」

「れー?」


 小さな男の子が二人。

 凶悪な獣や不審者を想定していた私は思わず安堵の息を漏らす。

 いや、幼児が二人だけでこんな所を彷徨っているのは全然安心できることじゃないな。


「カントさん家の、えーと確かラシル君とロイ君! どうしたの⁉」

「迷った……みたい」

「ぼうけんー」


 私の問いに兄のラシル君はばつが悪そうに俯きながら、弟のロイ君はなんとも屈託のない笑顔で答えてくれる。うーん微笑ましい。

 見たところ怪我もしてないようだし問題はなさそうだ。私の仕事も丁度終わったし二人を家まで送るとしますか。

 そう考えるが、彼等の家は確か町の東側。仕事道具を担ぎながら幼児二人を連れ、町を縦断して歩くのはなかなかに難儀だ。

 おまけに私の家はこの崖道から少し逸れた町の西端。同じ道を戻ってくる必要があるわけで、帰宅する頃にはとっぷりと日が暮れているだろう。田舎なので犯罪は少ないが夜は野生動物が活発になり、一人で出歩くのは危険が伴う。

 とはいえ子供たちを送らない選択肢はないわけで、だったら急いだほうがいい。


 考えをまとめ立ち上がり、二人の手を取ろうとしたところで――その人が間に割って入る。


「私が送ってこよう。ハルチカはここで待つといい」

「え?」

「えっ」

「あ……」


 そう告げると領主さまは、問答無用にひょひょいと子供たちを抱え上げる。

 えっ、小さいったって人間ですよ? そんな果物のように軽々と、その細腕で持ち上げられるもんですか⁉

 目をぱちぱちと瞬かせぽかんと見つめていると……領主さまはすぃと目を細め一言。


「魔術だ」

「ああ、なるほどです」


 納得しつつ私は目を逸らす。ええと今、照れる要素何かあった? それとも私の間抜け顔がそれほどまでに見苦しかったのか……まあいい、話を戻そう。

 身体強化的なものだろうか、あるいは風魔法。どのみち領主さまなら割と何でもできそうだ。こういうところは頼もしい限りである。

 不安なのは、担がれて至近距離で領主さまと向き合うロイ君がマジ泣き5秒前といった表情をしているところか。小脇に抱えられたラシル君もこの世の終わりのような顔をしている。

 どうやら領主さまのご尊顔はお子様には刺激が強すぎるらしい。ごめん、おねーちゃんは助けられないよ……。


「すぐに戻る」


 短い言葉を残すとあっという間に三人の姿は小さくなり、やがて私の視界から消えていった。


 ◇ ◇ ◇


 一人崖の上に残される私。街灯に背をあずけ腰を下ろすと、まだ陽の落ちきっていない空をぼんやりと見上げる。

 そして気付く。


「……私が待つ必要ってないな?」


 私の家はここからわりと近いし、領主さまの暮らすお屋敷は町の中央からの方が近い。

 だったら子供たちを送った足でご帰宅いただいたほうが無駄がない。


(帰ってしまおうか)


 一瞬そんな思いがよぎるも――「すぐに戻る」と言い残した領主さまの顔が浮かび思いとどまる。

 あの様子なら大して時間はかからないだろうし、何より領民の為に骨身を惜しまない人を横目に帰るのは些かばつが悪い。


(あの子たちの為だけじゃなく、私への労わりでもあるんだよなぁ)


 いつも塩対応であしらっているが、今日くらいは優しい言葉をかけてもいいのでは?

 ストーカーを甘やかすつもりはないが、いち領民として領主さまに感謝の意を伝えることはごく自然な事だろう。

 決して絆されたわけではない。そんなことを考え、だらりと足を伸ばした。


 ふと目の前に転がる荷物に気が付く。

 自分の道具袋の脇に置かれているのは、今やすっかり見慣れた領主さまのボロローブだ。

 子供たちを担ぐのに邪魔だったのだろう。雑とも丁寧とも言えない塩梅に丸められ、私の荷物に寄り添うように――そっと置かれている。

 無言で道具袋を引き距離を取る。……あ、ぐしゃって崩れた。

 まあいいか。崩れようが崩れまいが、ただの布である。


「……あーもう!」


 べっ別に領主さまを思ってじゃないんだからね! 違う、ツンデレじゃあない。

 崩れたままの衣類が置かれていることが落ち着かない、それだけ。畳み直すくらい歩み寄りでも何でもない。

 そう自分でもよく分からない言い訳を並べながらそのボロ布の塊を持ち上げる。


「意外にデカい……そして重っ」


 布製ではなく革製なのか、予想外に重みのあるそれは両手で高々と掲げてようやく地を擦らない長さがある。まあ領主さまは割と高身長だし、それもそうか。

 自分のマントと比べても二回りは大きい、まるで布団のようなサイズのそれをしげしげと見つめる。


「やっぱりボロだなぁ」


 表面はささくれ傷も多く、あちこちに汚れが染みついている。それだけではない。陽に透かせば縫い目が緩んだ箇所からはオレンジ色の光が溢れ出す。

 いや結構派手に解れているな? これでは領主なのに威厳もへったくれもないぞ。


「しゃーない、縫うか」


 これはただのサービス。余りにみすぼらしい領主では領民だって困る。

 そう割り切ると、道具袋から裁縫セットを取り出した。


 ◇ ◇ ◇


 程なくして領主さまが崖上の街灯前に再び姿を現す。

 本当にすぐだったな。歩けば片道1時間はかかる道のりを、ほんの15分ほどで戻ってきた。

 既に繕い終わったローブを渡し、出迎える。


「お疲れ様です。子供たちは無事帰れました?」

「ああ。問題なく両親に引き渡した」


 その言葉を聞きほっと胸を撫で下ろす。こんな僻地に子供だけで来たと知った時は肝を冷やしたが、何事もなく済んだようで何よりだ。


「待たせてしまったな。家まで送ろう」


 続く領主さまの申し出をいつもなら丁重にお断りするところだが、まあ今日くらいはいいか。断ったってどうせついてくるんだろうし、ここは素直に頷いておく。


「……!」


 そんな私の返答を見た領主さまは、表情こそ動かなかったが明らかにテンションが上がった。ほら、いつもは1本しか跳ねてない髪の毛が今は3本も跳ねている。なんでだよ。


(……失敗したかなぁ)


 後悔するも時すでに遅し。絶妙にうざい空気の中、二人帰途へと着いた。



「いや―それにしてもあの二人、元気というか怖いもの知らずというか。カントさんも大変だろうな―」


 これは独り言。微妙な空気に耐えかねた私は風穴を開けるように呟く。

 二人の少年を思い出せば、大変と思いつつも自然と顔が綻ぶ。将来は大物になりそうだ。

 そんな能天気な私に雷を落とすのは決まってこの人で。


「暫くは謹慎を申し渡したからな。カント夫妻の手も軽くなるだろう」

「えっ、謹慎……ですか?」


 予想外に飛び出した、領主さまの不穏な言葉に思わず眉根が寄る。


「森境の区画は認可証を持つ者以外の立ち入りは禁止だ。規律を破ったのだから謹慎は勿論の事、後日改めて処罰が下るだろう」


 それは知っている。灯屋は特定職であり私は認可証を持っているのだから。けど問答無用で処罰って。


「子供のしたことですよ⁉」

「ならばなおさらだ。今のうちに更生を促すべきだろう」

「更生って……。だったら、管理できなかった大人にも責任はありますよね? ここは灯屋の管理区域だし、だったら私にも罰を与えて下さい!」


 我ながら滅茶苦茶な主張だ。

 分かってる。でもこの冷めた言い分にどうしても我慢ならない。


「ハルチカは何に怒っている?」


 堪らず領主さまも困惑を見せる。

 そうか、私は怒っているのか。

 領主さまに背を向け無言で歩きながら考える。何に、何だろう? 領主さまの言葉が頭の中でぐるぐると回る。

 やがて目的地である自宅が見えてくる。


「……優しくない」


 ぽつりと一言残し、玄関の戸を閉めた。

 私の心は陽の落ちた空と同じ、深い闇色に包まれていた。


 そして翌日、その翌日も。

 領主さまの顔を見ることはなかった。

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