♢13ー《船の上》ー13♢

 茶色く濁った川の上。


 太陽の光が照らす中、私達は蒸気船に乗り込んでいた。


「出港するぞ――!」


 野太い声をした、無精髭の生えた船長がそう言う。


 船の煙突から黒い煙が出て、ゆっくりと進み始めた。


「これから上流に登っていくのよね」


 マリーがロバートにそう聞く。


「はい、そうですね。いくつかのポイントで水を採取し、唾液の濃度を確かめていくといった感じです」


「採取すると言っても、どこからどこまで採取するの?」


 テムズ川は長い。かなり上の方まで行くとしたらものすごく時間がかかるだろうし、新聞は時間との勝負だ。そんなに長くかけていられないだろう。


 するとロバートが机の上に広げられた地図を指した。


「ここ、リバー・ネッキンガーからロンドンのチェルシーまでです。そこから先はすでに仲間達が採取しに行ってるので大丈夫です」


 なるほど。確かにこれだったら一日で行けるかも。


「エミリー」


 そう考えていると、後ろからアレクさんに声をかけられた。


「はい」


 マリー達から離れて、アレクさんのもとに行く。


 あんな過去を見た後だからか、なんだか目を合わせづらい。


「昨日は大変だったそうですが……大丈夫ですか?」


 昨日倒れたことを言っているんだろう。屋敷に来てから一週間も経ってないのに、すごく迷惑をかけちゃってる気がする。


「はい、お騒がせしました……あの、アレクさんも大丈夫ですか?」


 アレクさんの顔は、これ以上ないほど真っ青になっていた。


「ええ……少々酔ってしまったようです」


 嘘だ。過去の中のアレクさんは、船酔いをするような人じゃない。


 ヘンリーさんとボートに乗って何時間も会話をしていたし、ボートよりも揺れが少ないこの船で酔うわけがない。


 マリーとの会話も考えると、恐らくあの事件がトラウマになっているのだろう。


 私だって軽くトラウマになりそうなのに、直に体験したアレクさんが病まないわけがない。


「そうですか……お水を持ってきましょうか?」


「お願いします……」


 そう言われて、ヘンリーさんからお水をもらってくる。


 水を受け取る時、アレクさんの具合が悪いことを伝えると、ヘンリーさんは悲しそうな顔をした。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


 アレクさんは渡されたコップ一杯の水をゴクッと一気に飲み干す。


「お見苦しいところをお見せしました」


 そう言ってアレクさんは苦笑する。


「いえいえ。困った時はお互い様ですよ」


 そして私達は海を眺める。


 どちらも一言も喋らなくて静かだったけど、気まずい雰囲気はない。


 風が頬を撫でて、とても気持ちが良かった。


「ラウルも来れば良かったのに」


 気づいたら、そう口に出していた。


 すると、アレクさんが思い出したように話しかけてくる。


「ラウルは最近なにかやっているのですか? どうやらたびたび街に出ているようですが……」


 あー、この前は確か夜に出ていたな。


 あの時はスルーしたけど、やっぱり襲われたばかりで危険なんだから注意しないとな。


「なんだか、メス猫をナンパしているらしいです」


「ナンパ……」


「この前は夜遅くに窓から出ていたんですよ」


 そう言うとアレクさんはハハッと笑う。


「多感な時期なんでしょう。ただ、あまり外には出て欲しくないですね」


「そうですよね……よく言っておきます」


 アレクさんからしてみれば、私達は預かっている娘とその猫だ。


 たとえ彼のせいではないとしても、預かっている最中に行方不明にでもなったら気が悪いのだろう。


「そういえば」


 アレクさんが再び思い出したかのように声を出す。


「近頃、ネズミやカラスによる私の会社の被害がグッと減ったんですよ」


「ああ、確か最近急激に増えているっていう……」


「ええ。なにが原因かは分かりませんが、船に乗せた品物まで食べられてしまうので困っていたんですよ」


 貿易会社の経営をしているアレクサンダーにとっては、頭の痛い話しだった。


「それがメッキリと減ってしまったものですから、知り合いの船乗りにどうやって減らしたんだと問い詰められてしまいました」


 アレクさんはハッハッハと笑う。


「私はなにもしていないんですけどね」


「大変ですね……」


 一難去ってまた一難と言ったところだろうか。何も知らないのだから答えようがないのでどうしようもない。


「ええ、本当に。ところで……これを聞いて良いのか悩んでいたのですが、エミリーのご両親は大丈夫なのですか?」


 そう言われて、私は少しの間黙ってしまう。


 恐らく、なにも帰る手がかりがないことを心配しているのだろう。


 アレクさんからしてみれば、私はいつか両親に返さなくてはいけない存在だ。


 なのに両親からの音沙汰はゼロ。返すべき家も知らないので、不安に思っているのだろう。


「はい……私も帰りたいとは思っているんですが、その方法が分からなく……」


 ふむ……とアレクさんは言う。


「まあ私はいくらでも泊まってくれても大丈夫ですよ。なんなら大歓迎といったところです」


 それは私が困っちゃうなぁ。


 2人でははは、と笑い合う。



 その時だった。


 川の中から、なにかが浮き上がってきた。


「魚……?」


 それはゆっくりと上ってくると、その頭を出した。


「グワァ……」


「ひッ!?」


 人の頭!?


 それは泥だらけで、まるで沼から這い上がってきたかのような見た目をしていた。




 驚いていると、突然すぐ隣から銃声のような、耳に響く音が鳴った。



 バンッバンバンッ!!


 とっさに目を向けてみると、そこにはいつの間にか、銃を取り出したアレクさんがいた。


 服屋で見た目と同じ目をしており、思わず息を呑んでしまう。


 アレクさんは泥だらけの化け物に銃弾を三発打ち込むと、ヘンリーさんの名前を叫んだ。


「ヘンリー!!」


 するとヘンリーさんが船の中から飛び出してきた。


 左右の手には拳銃を二丁構えている。


「私はマリー様達をッ!」


「頼んだ!」


 ヘンリーさんは一瞬で状況を理解すると、マリー達のもとへ走っていく。


「エミリーは中に!」


「は、はいッ!」


 全く今の状況が理解できないが、私は足手まといにしかならない。


 とっさに船の中に入ろうとすると、泥だらけの化け物が飛び上がってきた。


「アアアアアアアア!!」


 生き物のものとは思えない声を出しながら迫ってくる。


「ひッ!」


 もうダメかと思われたその時。


 突然無数のカラス達が化け物に向かって突撃してきた。


「え……?」


 数え切れないほどのカラス達が化け物に群がっていく。


「な、なんだこれは……」


 アレクさんもなにがなんだか分かっていなさそうだった、


 けど、この機を逃してはならない。


 急いで船の中に入り、勢いよくドアを閉める。


「はあ、はあ」


 本当になにがなんだか分からない。


 マリー達は大丈夫かな?


 そんなことを思っていると、マリー達も船の中に入ってきた。


「はあ、はあ、え、エミリー! 大丈夫だった!?」


 自分たちも混乱しているはずなのに、私を見るなりすぐに駆けつけてきてくれる。


「う、うん……マリー達は?」


「私達はヘンリーに助けられたの。エミリーはおじいちゃんに?」


「うん……あとカラスにも…」


「か、カラス……?」


 そんなことを話していると、外の銃声が鳴り止んだ。


 少し時間が経つと、アレクさんとヘンリーさんが扉のドアを開ける。


「もう大丈夫だ」


「よ、良かった……」


 ロバートが安心したように息を吐く。


「アレクさん、今のは……」


「恐らく、悪魔のたぐいだろう」


 あ、悪魔……


 今朝ラウルが言っていたやつか。


 でも、あの化け物に角は生えていなかったし、肌も赤黒くない。……本当に悪魔なのかな?


「念のため銀の弾丸を持ってきて正解でしたね」


「ああ、大金を払ったかいがあった」


「これでもしも効果がなかったら、奴らの腹に撃ち込んでいたでしょうな」


 奴らというのは銀の弾を売った商人だろう。


 ヘンリーさんはハッハッハと笑いながらそう言った。


 いや、怖すぎる。


「……戻った方がいいですかね?」


 ロバートが怖気づきながらもそう聞く。


 さすがにあんな化け物に襲われてまで採取を続けるとは言いにくいのだろう。


 するとアレクさんとヘンリーさんはお互いの顔を見て、首を横に振った。


「いや、大丈夫だろう。銀の弾丸があればいくらでも撃退できるし、奴らに船を沈めるような力はない。船の中にいて、ポイントについたら回収するぐらいでいいだろう」


 そう言ってアレクさんは腰から拳銃を取り出すと、ロバートの前に置いた。


「え?」


 困惑するロバートを無視して喋りだす。


「この中には銀の弾が6つ入っている。使われないことを願うが、どうしようもないときは迷わず使いなさい」


「でもこれ、高いんじゃ……」


「お前の給料5ヶ月分ぐらいだな」


「えッ――」


「弾も含めると、1年でも足りなくなりますよ」


 ヘンリーさんが追い討ちをかけるようにそう言う。


 ロバートは唖然としていた。もはや開いた口が塞がらないといった感じだ。


「なに、これで奴らを撃退できるのなら安いものだよ。……奴らに関係なく壊したり消費したりしたら弁償してもらうがね」


 大変だな……うっかり川にでも落としてしまったらやばそうだ。


「……受け取っておきます」


 ロバートは少し悩んだ後、そう決心した。


「ああ。それじゃ、ポイントにつくまで船の中にいてくれ。ヘンリー、お前は私とともに見張りをするぞ」


「かしこまりました」



 そう言って2人は船の外に出ていった。





 ◇◇◇



 



 〜数時間後の港〜


「無事集められましたね」


 水が入ったバケツ6つを眺めながらヘンリーさんが言う。


「はい、これで親父さんも喜んでくれます」


 ロバートはホッとしたように胸を撫で下ろした。


 あの後は特に何事もなく水を集めることができた。


 初めのうちは皆ビクビクしていたけど、それも時間が立つに連れてなくなっていき、楽しく談笑することができた。


「エミリーさんも、手伝ってくれてありがとうございます」


「私も楽しかったよ。こちらこそありがとう」


 私達は笑顔を浮かべながらそんなことを言った。


 ロバートとも結構仲良くなれたと思う。


 彼に父親はいなく、お母さんと二人暮らしらしい。


 今の新聞局には親父さん――バレットさんがわざわざ家に来てまで雇ってくれたらしく、懸命に働いているのだとか。


 ちなみに、バレットさんはロバートのお母さんが好きらしい。


 本人からしたら複雑極まりないらしいのだが、本人達が幸せになれるのだったらいいらしいとのことだ。


「それじゃ、これを局に持っていくので、俺はこれで」


「じゃあね、ロバート」


「はい、お嬢もまた後で。新聞、楽しみにしていてください」


 ロバートはそう言うとニカッと笑って、水を台車に乗せて走っていった。


「……旦那様、もう行かれてしまいましたよ」


 ヘンリーさんは船に向かってそう言う。


 すると、アレクさんが船の中から出てきた。


「ふんっ、私はマリーとの関係を認めないからな」


 ヘンリーさんとマリーは はぁ、とため息をつく。


「おじいちゃんって、お母さんの時もこうだったの?」


「いえ、母君の時はお嬢様がお腹の中にいることと同時に付き合っていたことを知りましたからね。ぶっ倒れて終わりですよ」


 アレクさんは苦虫を噛み潰したかのような表情をする。


「マリーはそんなことにならないようにしてくれよ」


「私はちゃんとしているからね。大丈夫よ。てか、まだロバートとはそういう関係じゃないし!」


 マリーは怒ったような、恥ずかしそうな表情をする。


「はあ、もういいわ。エミリー、行きましょ」


「え、ちょッ!?」


 マリーは急に私の手を掴むと、家の方に走り出した。


「こら! もう辺りは暗いんだから一緒に帰るぞ!」


 アレクさんがそう叱るが、マリーは足を止めない。


「ふんッ、おじいちゃんはヘンリーと仲良く歩きながらくれば!?」


「なにを――ッ、ヘンリー! 二人を追いかけろッ!」


 アレクサンダーが船から降りるのに手間取っている間にも、二人はどんどん離れていく。


 ヘンリーは再びため息をつきながらも、その顔はどこか笑顔になっていた。



「はいはい、分かりましたよ」



 そう言って、年甲斐もなく走り出した。



ーーーーーー


ロバート:(;゙゚'ω゚'):「お、俺の給料1年分だと……!?」


ヘンリー( ´ ▽ ` )「悪魔以外に使ったら賠償してもらいますからね」


アレクサンダー( ˊ̱˂˃ˋ̱ )「賠償の中には手数料も含まれるからな。あまり流通していなくて、買うのにも苦労するんだ。それだけで2ヶ月分はあるぞ」


マリー(# ゚д゚)「ちょっと!あまりロバートをいじめないでよね!」


エミリー( ̄O ̄;)『流石商人……抜き目がないな』

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