第56話 愛とは

 そう。ナガラは人間ではない。

 同時に、私も人間ではないのかもしれない。

 法律で認められているわけではない人工生命体に、世界的に認められていないクローン人間。そこに法的拘束力の効果があるかどうかは確かに一口に言い表せない。

 だが、そんなことを一介の警官が知る由もない。密やかに成された研究の成果なのだから。

 置いてきぼりの警官はどうにかしてナガラを捕らえたいらしい。だが、ナガラは話しながらでも充分余裕を持って避けていく。ひらりひらりと。やがて、警官は犬の死体を踏み、たじろぐ。

「隙ありだね」

 ナガラは素早い身のこなしで警官の腕を取り、背負い投げする。

「がっ」

 強かに背中をコンクリートの地面に打ち付けた警官が空気の塊を吐き出して噎せる。

 そんな警官の頭を、容赦なく踏みつける。ナガラは人間に見えなかった。人間というには倫理観が欠如して、恐ろしく美しかった。

 そう感じるのは、私も異常だからだろうか。

 私が呆然と見ているうちに、ナガラは警官の額に刃を突き立てて、刃が折れて溜め息を吐いていた。

 既に警官の額からはどくどくと血が流れており、目には生気がない。死んだとみていいだろう。

 だがナガラはその体をなぶり続ける。箍が外れたかのように。

「ははは、ははっ、はははははっ……!」

 飛び散る血、ぐちゃぐちゃになっていく死体。狂ったように笑うナガラ。猟奇的な光景なのに、動じないわたし。異様な風景だろう。

 一連の出来事で気づいたことがある。

 ナガラが狂った理由は母親の死ではなかった。みーちゃんだ。

 だが、ナガラがみーちゃんに向ける愛はペットに向ける愛で……何故ここまでむきになるのだろうか。

 思い返せば、ナガラの不可解な行動は多々ある。例えば、私に通り魔殺人の罪を擦り付けたりとか、擦り付けた割には助けに来たりとか、私が六道輪廻を巡る運命にあると知っていたりとか。

 にゃあ、と疑問をぶつけるようにナガラにすり寄る。するとナガラは狂ったように振り下ろしていたカッターを仕舞い、私に向き直った。

「怪我はない? ミライ姉」

「にゃ」

 あるはずが……ああ、そういえば犬に噛まれたのだっけ。歯があまり食い込んでいなかったから、出血もなく、特に気に留めていなかった。

 ただただ体力の奪われる攻撃だったが、時間が過ぎればなんともない。その証のように四つ足でしっかり立ってみせた。

「よかった……ミライ姉、やっと会えたね」

 やっとというが、これは過去だ。六道輪廻は時間を無視するらしいが……ナガラとはまだこの時間軸で「長門未来」としては会っていない。

 だというのに、私のことを「長門未来」とわかっているようにナガラは振る舞う。私のことをミライ姉と呼ぶのもそうだ。私を「姉」と呼ぶ理由はなんとなくわかったが……

 どちらかというと、クローンだから、私は「母」と表現した方が合っている気がするが、こう年の近い母子というのもどうなのだろう。

 私が悩んでいると、ナガラが笑った。まるで私の考えを読んだかのように語る。

「ミライ姉にとって、ミライ姉と僕が出会うのがまだ先の話だとしてもね、僕にとっては、何度も過ぎ去った過去なんだよ? ……僕はずっと、ミライ姉がこの世界に輪廻してくるのを待っていたんだ」

 待っていた? 猫版の私を?

「僕はね、輪廻する運命にあるミライ姉のコピーだから、六道輪廻の中を巡り続ける運命にある。でもね、ミライ姉、知ってる? この世界に完全なクローンもコピーも存在しないんだよ」

 だから僕はずっとここにいる、とナガラは告げた。

「僕は閉じ込められたお姫様みたいなもんさ。愛する王子様が来てくれるのを、待つしかできない」


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