第55話 わけがわからない

 懐中電灯に照らされると、ナガラについた赤はいっそう目立った。その前には犬の死体。何があったかは一目でわかったことだろう。

 平然と立ち、微笑むナガラに警官は一瞬怯むも、すぐ毅然とした態度で告げる。

「何をしていた?」

 それは問いかけというより威圧の雰囲気を持っていた。しかしそのくらいでナガラが揺らぐことはない。

 肩を竦めてこう返す。

「うちの可愛い愛猫をいじめるけしからん犬にお仕置きをしていただけですよ?」

 何が悪いんですか、と言わんばかりに不思議そうに見えたが、いや、これは明らかにナガラに非がある。

 動物の惨殺。倫理的に許されるものではない。しかも相手は警察犬である。

「事故現場を不審な猫が通りかかっているから気をつけろと報告があったのだが……」

 明らかに猫以上にヤバいやつだ。そしてその猫とやらは私のことだろう。

 警官はナガラを叱る。

「大切なものを守るためと言えど、これはやりすぎだろう」

 警官の言うことはもっともだ。だが、ナガラは意味がわからないというように首を傾げる。

「それがどうしたんですか?」

「君には署に来てもらおう。猫も管轄で預からせてもら」

 警官が言い切る前に、ナガラが風よりも速く動き、警官の喉元にカッターを突き付けていた。

 その瞳には光がない。

 暗い瞳が問いかける。

「ミライ姉をあんたみたいな野蛮人に任せられるとでも?」

 警官は息を飲む。が、すぐ冷静になり、手錠を取り出した。

 そう、ナガラには今、立派な逮捕理由ができてしまったのだ。

「公務執行妨害で逮捕する」

 よくドラマなんかで聞く言葉だ。

 犯罪者は基本的に逮捕令状がないと捕まえられない。だが、現行犯は別。現行犯の場合はその場で即座に逮捕できる。

 そんな現行犯の逮捕理由の中でよくあるのが、公務執行妨害だ。警察の調査に対する反抗、抵抗などを行った場合の罪状である。ナガラはまさしく、それを行ってしまったのだ。

 だが、ナガラの手を捕まえようとした警官の手が、空を切る。それどころか、手錠が手の中からなくなっていた。

 突然の予期しない現象に警官が戸惑う。手錠の行方を追い求め、視線をさまよわせると、その鈍色はナガラがカッターに通して振り回していた。

 さして面白くもなさそうにくるくる回る手錠を見つめるナガラ。

 警官はすぐに取り返そうと動くが、ナガラはひょいひょいと半身で避けていく。

 余裕の表情のナガラは避けながら問う。

「公務執行妨害ってさ、法律とかで決められてるんでしょ?」

「それがどうした?」

「僕には効かないよ?」

 警官がぽかんとした表情でナガラを見つめる。その隙をナガラは見逃さない。

 カッターを右手から左手に流れるように持ちかえ、右で拳を固める。固めた拳を迷いなく思い切り顎目掛けて放つ。

 ナガラのアッパーは警官にクリーンヒットし、警官が飛ばされる。

 ナガラはけらけら笑って言う。

「何せ僕は人間じゃないからねぇ」

 立ち上がった警官は意味がわからない、というようにナガラを睨み据えた。


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