第39話 さよならの言葉

 まさかとは思うが。

「セツ、思い出したのか?」

 ただの直感であるが、光に包まれ、体が透けるなんて、幽霊もののストーリーではありがちな展開ではないか。例えば、地縛霊が願いから解き放たれ、昇天していくような。

 今のセツがちょうど、そんな感じだった。

 セツは少し切なげに笑ってから、はい、と控えめな声を出した。


「わたし、思い出しました。

 ──わたしがお姉ちゃんに殺されたこと」

 思い出してもまだ、彼女はわたしを"お姉ちゃん"と呼ぶのか。普通、自分を殺した相手なんて、嫌悪感が湧きそうなものだが。

 セツの浮かべる表情、私に向ける表情は、信じられないくらいに穏やかなものだった。

 セツは幼くも清らかな声で語る。


「わたしは、両親に愛されてはいなかった。

 わたしにはね、年子の妹がいたんです。両親は妹にかかりきりで、わたしなんかちっとも見向きもしてくれなくなりました。

 わたしは両親に従順になれば、もっとかまってもらえるかなぁって思ったんです。幼心に。ちゃんと言うことを聞く、"いい子"になれば、両親はわたしのこと、蔑ろにしなくなるのかなぁって、考えたんです。

 だから妹の世話をしました。押し付けられたとは思っていません。家事の手伝いをしました。次第にそれは手伝いではなく、ほぼ全部わたしがやるようになりました。これも、押し付けられたとは思っていません。わたしが"いい子"になるために、"いい子"であるために、必要なことだと思ったからです。

 ……でも、両親はわたしに振り向いてはくれませんでした。まあ、何故かはわかっています。わたしはある日、悪いことをして、"悪い子"になってしまったんです。"悪い子"になってしまったから、両親はわたしを雑に扱うようになりました。当然の措置だと思います。あれは、わたしが悪かったんです。

 ある日、風邪を引いた妹の看病を親に任されたんです。よくあることでしたから、わたしは迷うことなく引き受けました。

 ……そこでわたしは、取り返しのつかない、大失敗をしてしまったんです。






 なんと、あろうことか妹の看病中に、疲れてしまって、寝てしまったんですよ」


 まるでそれが大罪であるかのようにセツは語るが、私には仕方のないことに思えてならない。

 幼い子どもが、毎日のように妹の世話や家事を任されて、疲れないわけがない。子どもは風の子なんて言葉があるが、子どもは実際風のようにいくら吹き荒れても疲れを感じないような存在ではないのだ。その日一日を働き抜くだけで、辛くて仕方なかったのではないだろうか。セツが気づかないようにしているだけで。

 だが、そんな意見を差し込む間もなく、セツは続ける。


「わたしが居眠りをしたばっかりに……妹の体調の変調に気づかず、妹は風邪を悪化させ、わたしが目覚めたときにはもう……息を引き取っていました」


 そういえば、セツの家にいたのはセツと両親だけだった。セツを迷わず人質に取ったのも、セツ以外子どもがいなかったからだ。

 話に出てくる妹に会った覚えがないな、と思ったら、亡くなっていたのか。

 子どもの風邪は甘く見てはいけないと聞く。そこから肺炎に発展して死亡という流れは容易に思いつく。残念なことに、肺炎とは人間の病死原因トップスリーに飾られている一つだ。

 けれど、今の話を聞く限り、セツが失態と思っているそれは、仕方のなかったことじゃないのか?

 だが──


『娘はどうなってもいいです。どうか、命だけは』


 あの命乞いから察するに、セツの家庭内での扱いは相当ひどいものだったのだろう。妹の死を皮切りに、更にひどくなったのではないかと容易に予想できるくらいだ。

 滔々とセツは続ける。


「両親は"悪い子"のわたしに当然見向きもしませんでした。わたしは孤独でしたが、自業自得というやつです。そうやって受け入れていました。

 ですから、突如現れたあなたは、救世主のように感じられたのです」

 救世主? 私が? 殺人鬼だというのに。

 尚もセツは続ける。

「"悪い子"はこの世にいちゃいけないんです。だからきっと、両親にとってはいなくなってもいい存在でした。唯一よすがにしてきた両親が、わたしを捨て去るというのなら、わたしがそれに逆らう道理はありません。──この期に及んで、わたしは"いい子"であろうとしました。だから死を受け入れたのです。




 ただ──」


 そこまで朗々と語っていたセツが言い淀む。


「薄れゆく意識の中で、お姉ちゃんがお父さんとお母さんに切りつけているのを見て、心のどこかで……ほっとしたんです」

 セツが苦く笑う。


「譬少しでも、わたしは両親を恨んでいたのでしょうね。やっぱりわたしは"悪い子"です」




 やるせない気持ちに苛まれる。何か声をかけたかったが、生まれてもいない赤子を屠った身としては、何も言えなかった。

 ただ、全てを喋りきったのだろうセツは、いっそう存在が薄まり、光になりかけていた。猶予の時間はもう終わりということか。


「もう、お別れか」

「そうみたいですね。……ああそうだ。お姉ちゃんに伝えたかったことが一つあるんです」

 口早になんだ、と問う。するとセツの口をついて出たのは、意外な言葉だった。




「親にかまってもらえなかったわたしにとって、お姉ちゃんは初めて温もりをくれた人でした。どうか、向こう岸で幸がありますように」

 地獄よりひどいという場所に行くのだが、まあ、受け取っておこう。






 セツは最後に放った一言は、空気に溶けて消えたが、しっかり私の耳に届いた。










 ありがとう、と。


 まさか、自分が感謝される日が来るなんてな、と餓鬼の死骸で穢れた川に数個の塞の石を投げ入れ、浄化する。

 私は、足を一歩川に踏み入れた。




 これで地獄ともセツともさよならだ。






 だが、さよならの言葉が感謝でも、たまにはこんなんでいいんじゃないか、と、私は天を仰いだ。




 第一の道 地獄道 完




 さあ行こう。地獄の最果てへと。


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