第37話 地獄にあって地獄でない道
「ひとまず、お姉ちゃんに聞きたいことがあります」
「何?」
物思いに耽っていた私をセツの言葉が引き戻す。ここで質問とはなんだろう。記憶の手掛かりとか言われたら、どう答えたらいいだろう。
しかしそんな悩みはする必要がなかった。
「お姉ちゃんは、釜茹で地獄と火の海地獄、雪山地獄に針山地獄と血の池地獄を全部踏破したんですよね」
地獄巡りを踏破というか。元殺人鬼をお姉ちゃん呼ばわりもどうかと思うが、まあ本人は知らないので何も言うまい。
確かに、全部通ったため踏破と言えるだろう。血の池地獄はセツの助けがなかったらどうなっていたかわからないが。とりあえず頷く。
「それで解放されないなら、向こう岸に行くしかありません」
「ふむ」
「わざわざ来た道を戻りたくもないでしょう?」
確かに、それは御免被りたい。人がぼたぼた落ちてくる釜も、炎の海も、凍てつく山も、再生してぎちぎち言う体も、増水する池ももう御免だ。
だが。
「まさか川で溺れるとか」
「大丈夫です。この川はわたしでも入れるくらい浅いです」
どうだろう。罪の深さによって変わるかもしれないじゃないか。
いやいや、こんなひねた考え方をしてばかりでは前に進めない。
「それで、川を渡ると何かあるの」
「ええと、確か……"地獄にあって地獄でない道"でしたっけ」
なんだその意味深な発言は。
獄卒さんから聞いたんですけど、と続きを切り出すセツ。いや、獄卒と仲いいな、お前。
「この川の向こうには、地獄で罪を悔い改められなかった悪人が集い、"飢え"を与えられるのだとか。飢えたその人たちは醜い悪鬼と化し……よくないものとして、川向こうに閉じ込められます」
"飢えた悪鬼"ねぇ……。咄嗟に"餓鬼道"というのが思い浮かんだ私は、だいぶ六道輪廻に馴染んできたのだろうか。
川はさしずめ"道"を隔てる境界線といったところか。
セツが続ける。
「この塞の川原の石積みは、向こう岸からよくないものが地獄に戻ってこないようにするための防波堤になるんですって。こんな小さな石に、そんな力があるなんて。俄には信じがたいことです」
セツが石をしげしげと見つめる。確かにパワーストーンのような魔除け石と違い、セツが積む石はそれこそ川原にありそうな"ただの石"と称するに相応しい石だ。
でもまあ、あちら側に行くような輩なんてろくなやつじゃない。要は「地獄道で手を尽くしましたがお手上げです」みたいなもんだろう。地獄が魔除けをするのもわかる。
それに何の変哲もない石に見えるが、きっと何かしらの力はあるのだろう。私たちが感じないだけで。塵も積もれば山となるというから、石を積むのはまあ、そういうことだろう。
「お姉ちゃん……向こう側に行ったら、お姉ちゃんもよくないものになっちゃうんでしょうか……」
何故かこの子涙まで浮かべているぞ。地獄で解放されなかった極悪人をよくもそうまで思いやれるものだ。
「あっちの道には地獄ですら心が浄化されなかった極悪人が行くんでしょう? なら、私も立派な極悪人だよ。心配いらないさ」
「でも……お姉ちゃんからはなんだか、懐かしい匂いがするんです。だから、離れたくないです」
懐かしい、とな?
まさか、人質状態とはいえ、羽交い締めとはいえ、一種の抱きしめた状態であったから、セツは温もりを感じたとでも言うのだろうか。
私から? 笑えない冗談だ。
あのとき私は既に人間から逸脱していたというのに。
それともやはり、セツはそれにすら温もりを感じるほど、温もりに飢えていた?
まあ、我が子より我が身が可愛かったような両親だからな、と笑い飛ばそうと思っていると、
「憎い憎い憎い憎いっ」
「死ね死ね死ね死ねっ」
おやおや。聞いたことがある声がするじゃないか。
セツの記憶にも触れたのか、セツがびくんと肩を跳ねさせる。ただ怖かっただけかもしれないが、記憶に触れたとしても仕方ないだろう。
それはセツの両親の声だったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます