第33話 血の池地獄
もう剣はない。どうやら麓まで落ちたらしい。針山地獄が終わった。
しかし、これは……
水位は溺れるほど高いというわけではない。私の腰の高さくらいで、底に足がつく。
立ち上がり、自分の手を見、思わず顔をしかめた。そこにあるのは怪我なのか何なのかわからなくなるほど血にまみれた手。服で拭おうかとも思ったが、服までもが同じ赤だった。
とても見慣れた赤だ。生前のことを思い出す。これくらい血にまみれたのはいつ以来だろうか。
釜茹でのときのような意地の悪い設定はなく、すぐこの真っ赤な池の縁に着いた。縁に腰掛けて、プールの子どものように足をぱしゃぱしゃとやっても何かのギミックが発動することはなく、その池はただただ赤いだけだった。気味の悪い池だが、少しは寛げそうだ。
何せ釜茹で地獄からこっち休む暇なんてなかったのだ。休んだら死んでいる。……いや、先程の針山のように死なないように体を矯正されるのかもしれないが、生前──人間道にいた時代の記憶が、死ぬかもしれないと危機感を抱かせる。それで一時も心が休まらなかった。
まあ、地獄の目的に安らぎなどありはしないのだろうが。
そう考えるとこの場所は稀少だ。恐らく地獄の中であるはずなのに、寛いでも何も支障がない。いや、気づいていないだけかもしれないが、それにしたって何もない。
あるのは目の前の血でできた赤い池。……ああ、なんとなく思い出した。
ここはおそらく血の池地獄というやつだ。見ると針山地獄から血が注いできている。さてはて、ここには一体何人の血が混ざっているのだろうか。とりあえず私の血もここに流れ着いたことは間違いないだろう。
けれどそれ以外、何事もない。血がたらたらと流れていくだけ。水位はそんなに急に変わらない。これまでの次から次へと変わりゆく地獄絵図に慣れてしまったのか、この場所が非常に緩やかに感じる。
「地獄に一休みできる場所があるなんてね」
血の池地獄。響きはなんともおぞましいが、実際のところ、そんなに害悪のない場所なのか。なんだか拍子抜けしてしまった。それとも、単にこれまでが衝撃の連続すぎたのか。……なくはないところだ。
咎めるやつもいないことだし、ここまで何を頑張ったとは言わないが、ひとまずなんとか乗り越えてきたのだ。誰に文句を言われても、一休みくらいさせてもらおう。
そうと決めると、途端に睡魔が襲ってくる。天界道では睡眠というより気絶が多かったから、眠りという概念が存在するのか怪しいと思っていたが、眠ろうと思えば眠れるものらしい。変な場所だ、地獄って。
ひとまず束の間でも休息を楽しむとしようではないか、と目を閉じる。生前より、血にまみれる機会が多かったためか、血の匂いが傍らにある方がなんだか安心する。……というと、私もだいぶ気のおかしな人間だ。今更な話だが。
他に生き物の気配もないし、すぐそこは針山地獄だから、何か出てくるとかもないだろう……そんなことを溶けていく意識の中で思い、眠りに落ちた。
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