第23話 神とは

 すん、と嗅いだわけでもないが、何かお香のような香りがする。……いや、お香なんて嗅いだことがない。例えるなら……そう、線香の匂い。

 最近では線香にもラベンダーやら何やら匂いがついているようだが、一般的な線香の匂いだ。火の着いた先が灰色になり、焼け落ちるときの緩く空気に巻かれて漂う、煙の匂い。

 暗い、視界というものがない空間だからか、嗅覚が鋭敏に働く。仄かに柔らかな香りもする。石鹸とお香の間のような香り。一言で言うなら、女性のような香りだ。甘過ぎず、優しい香り。少し落ち着ける気がした。

 それよりも近くに少し、汗の臭いがした。といっても、鼻をつくような不快な臭いではなく、こう言っては変だが、ほどよい汗臭さだ。

 密着しているのだろうか。肌を介してか、布越しかで伝わってくる体温がとても温かく感じられる。

 人の体温。なんとなく懐かしくて、安心できて、私は何の警戒もなく、その中に抱かれていた。

 ゆらゆらと優しく揺られる。移動しているのだろうか。浮遊感と、前進するような空気の揺らめきが感じられる。

 ……運ばれている?


 気づいて私ははっと目を覚ます。そして最初に見たのは相変わらず血色のいいリウの姿。ぱちりと目が合い、そして顔が思いの外近くにあって、私は若干引いてしまう。

 が、引くと背中をしっかり支えられ、寄せられる。それに付随する浮遊感。自分の体を見れば、足は地についておらず、つまるところ、私は……リウに抱き上げられていたのである。

 生前、私のいた国なんかでは、「乙女なら誰でも一度は願うはず! イケメンにお姫様抱っこされること」なんてフレーズが出回っていたが、これはつまりそれだろう。リウは面立ちが整っているし、体格も悪くない。女子全般に持て囃されるかはさておき、イケメンと称しても文句はあまり出ないだろう。

 で、それにお姫様抱っこされているわけだが……望んでいない。

「……歩ける」

 ぱちりと合った目に対し、無愛想にそう告げると、リウは素直に私を下ろした。いやに優しい手つきだ。何なのだろうか、この人は。

 いちいち優しい。私とは知り合ったばかりだというのに。唇を重ねたときもそうだ。舌を噛んでやったというのに、抵抗も、責めることもなく、少し悲しげな表情だけ残して……胸が苦しくなる。私はこの人を想っているわけじゃないのに。

「……ところで、どこに向かっているの?」

 けれど、そんな疑問を自分で舌に乗せることはできず、私の口から出たのはそんななんでもない言葉だった。これから行く場所になんて、ちっとも興味が湧きやしないのに。

 それでもリウは律儀に答えを口にする。

「この天界道と、人間道、畜生道を統括する神、シェン様のところです」

「シェン、ね……」

 シェンとはどこかの国で神という意味だったはずだ。妙な名前である。

 六道輪廻世界のうちの三道も治めているのであれば、輪廻世界の神と称しても過言ではないだろう。

 他三道が誰に治められているのか気になるところだが、今の私には関係ない。……言ってしまえば、そのシェンとやらにも興味はないが、一度は妙な過激派宗教団体の一員を殺めたこともある身だ。彼らが崇めていた「神」とやらの本性を暴くのも一興だろう。

 故に私はリウについていくことを選んだ。






 この選択を間違いだったとは決して思っていない。


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