第22話 歯車
ふう、と息を吐く。
ぼくは、ミライを抱き上げていた。刃を向けられたことには驚いたけれど、ここは天界。"想像"の世界である。"想像"さえ上手くいけば、傷は容易く消える。
そんな不死の世界。老いた自分というのを想像できなければ、不老にもなるだろう。
……ミライには、色々と教えなければならないようだ。それはもちろん、ここは六道輪廻の人間道とは別世界なのだから、勝手が違って当たり前だ。人間道に連なる道とはいえ。
また、床に寝かせる。その顔色はとてもいいと言えるものではない。シェン様によく似た面差しだが、ミライは何か焦っているというか、生き急いているように見えるのだ。
──この世界では、死ぬこともないというのに。
ミライを床に就かせながら、ふと疑問がよぎる。
彼女が夢現に呟いていた"ナガラ"とは誰だろう? 状況から察するに、人間であるようだが……少なくとも、シェン様に掬われた人間ではない。
シェン様が掬ったのは、ナガトミライという、この哀れな少女のみ。
……そういえば、彼女の最期というのは"見て"いない。この"業を見る力"はその人物の人生全てを見抜くようなものではないのだ。シェン様であれば、その限りではないのだろうが、生憎とぼくはシェン様とは違う。
久しく感じていなかった"憎い"という感情に、心が蝕まれ始めていた。ミライを苦しめる"ナガラ"という存在に。
ミライは生前に充分すぎるほどの業を負ったのだから、今更苦しめる必要もないだろうに、というのと、
ミライの中に存在できるという、その価値への嫉妬がぼくにはあった。
まあ、ぼくはナガラという人物を知らない。夢現にも出るような名だ。生前のミライとは縁浅からぬ仲だったのだろう。天界で出会って、ただ過去を見ただけのぼくでは到底及ばない。
……そのことを悔しいと思ってしまうのは、やはりおかしいことだろうか。
ぼくはミライにシュエを重ねている。シェン様も重ねている。儚さがあまりにも似ているのだ。
守りたいと思わず思ってしまうほどに。
とはいえ、先程のあれは失敗だった。舌を噛まれてしまったし、ミライは余程嫌だったにちがいない。
ぼくも自分の成したことが信じられないくらいだ。傷も癒えて、痛みも残っていないが、あれは罪だった。衝動とはいえ、何故唇に触れてしまったのか。苦笑が零れる。
「また、眠ってしまいましたね……」
ミライに衣をかけながら、呟く。この天界にはぼくとミライ以外人がいない。度々来客──シェン様が憐れんだ魂が来ることがあるが、彼らは長居はしない。"業を見る力"に翻弄され、癒されるべき魂が削られるからだ。大抵、とんでもない罪人をシェン様は拾うから、スー様がシェン様に激昂しながら、地獄道に連れていくのだ。
そんな光景を見るたび、ぼくの顔には苦笑いが浮かんでくる。スー様も気苦労の多い方だと思う。シェン様は優しい方だが、ぼくやミライのような大罪人を拾うような奔放な面を持ち合わせる。故に、本来地獄に流れるはずの魂がふと天界に拾われていたりするのだ。初めてぼくがスー様にお会いしたときはスー様は大変お怒りの様子で、シェン様にああだこうだと仰っていた。シェン様はというと、何食わぬ顔で「私が拾ったのですから私のものです」などと幼子のような論理で対抗し、スー様を言い負かしていた。
むっとしながら帰っていくスー様の背中を見ながら、シェン様とスー様は姉弟のようだな、と感じた。後日、それが事実であると知る。
あまり、退屈というのを覚えたことはないのだ。シェン様の身の周りの世話をしているから……
「そうだ」
まだ、ミライをシェン様に会わせていなかった。
もしかしたらあの方に会うことで、何か変化があるかもしれない。
このときリウは一ミリとて、その後の出来事を想定していなかった。
ミライが"同じ顔"にいかに嫌悪を抱いているかなんて……想像もしなかったのだ。
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