第17話 長門未来ですが、何か?
倒れ伏すリウの姿に私はただただ固まっていた。固まるしかなかった。
私は今、何をした?
見慣れすぎた赤が私を彩っている。
手には馴染んだカッター。リウに取り上げられたばかりなのに、なんであるの?
──ミライ姉が望んだからだよ。
耳元でナガラが囁いた気がした。ぞくりと悪寒が背筋に走る。
何故私は刃物を望んだ? 人を殺す凶器を。
「殺したかったんじゃない?」
ナガラは笑う。
「だってミライ姉は人でなしだもの」
ぐるぐると頭の中が回転する。必要もないのに、記憶を引っ掻き回して、捨てたはずのものを、引っ張り出す。
その残骸には、"長門家"と書かれていた。
警察を壊滅させて、"血の一年"を刻む前に私はある場所へ真っ先に向かった。
"KEEP OUT"の黄色いテープが張り巡らされた一軒家。私に一番関係なくて、関係の深い一家の住処だ。
"長門"と刻まれた表札。よくある筆書きの書体は無機質でとても憎たらしかった。
私は無遠慮に黄色いテープを剥いで中に入っていく。文句を言うやつなんていない。そういうやつはさっき全部排除してきた。仮に新たに出てきたとしても、また同じように排除すればいい。
引き千切ったテープを捨て置き、私は玄関へと突き進む。脇に血まみれの犬小屋があった。そういえば、飼っていた犬も惨殺されたと聞いた。犯人は犬に恨みでもあったんだろうか。
やけに綺麗にされている。やはり警察の捜査が入ったからだろうか。いいよね。死んだ後にちゃんと始末してくれる人がいいって、羨ましい。
血痕だけが残るその家に対し、不謹慎なことを考えていた。
私は本当なら私がいるはずだった家を歩き回った。そこは平々凡々とした家族の影が凝り固まった空間。家族でお揃いの茶碗、箸。それぞれの部屋にはお揃いの札。嫌がらせのように、私以外の面々が写った写真が大量に。みんな笑顔笑顔笑顔。
みんなみんな、羨ましいくらい健康的な黒髪で、恨めしいくらい幸せそうな黒い目で。
見ているだけで赤黒い感情が込み上げてきたんだ。
憎い憎い憎い憎い憎い。
気がついたら、片っ端から引き裂いていた。
器も皿も、"家族"というものの影が見える物体は全部壊した。かなりがしゃんがしゃんと騒音が酷かったにちがいない。
隣のおばさんが家を覗きにやってきた。
「なっ、あなた、誰?」
「貴女こそ誰?」
憮然とした調子で訊くとその人は憤慨した。
「先に訊いたのはこっちよ! あんた一体長門さん家で何やってるの!?」
「長門未来ですが、何か?」
名乗って、精一杯の笑みを浮かべると、ひっと小さく悲鳴を上げられた。名乗れと言ったのはそっちだろうに、失礼な人だ。
一歩、また一歩と近づくたびに悲鳴を上げる。いい加減五月蝿くて、私は苛立ちも顕に訊ねた。
「何がそんなに恐ろしいんですか? 長門家の人間が"長門さんの家"にいるのがそんなにおかしいですか?」
「ち、ちが、手、手……」
示されて自分の手を見下ろす。手には市販のカッターナイフ。おや、よくよく見ると血まみれだ。さっき食器類を割ったときにでも切ったのだろう。
で、それが何だというのだろうか?
「手? カッターですか? 工作用のカッターくらい、誰でも持つでしょう。これがどこかおかしいですか? まあ、人によってはおかしな用途に使ったりするかもしれませんけど」
びくびくするばかりの化粧の濃いおばさんは見ているだけで苛々した。ファンデーションの臭いだろうか。粉臭い。
充分血色がいいくせに、私の血の気のない白い肌から見たら随分と人間らしい肌をしているのに、わざわざ化粧で覆い、見てくれを気にする。滑稽で、腹が立つ。どんな贅沢だよ。私は肌が白いのを気持ち悪がられたんだぞ。何故あんたらはわざわざ白く見せようとする? 私が白いのを気持ち悪いと罵ったその口でファンデーションで白く見える肌は美しいというのか。
不自然なその白の方がよっぽど吐き気がするよ。
「……そうだね。貴女が怖がるのも、わからないわけじゃない。だって、カッターは必ずしも工作のためだけに使われるものではありませんものね。そう、例えば」
ざんっ
「こんな風に」
「イィィィッ!!」
鼻の頭をちょっと掠めただけで随分と五月蝿いものだ。今度は耳障りな音が聞こえないように首でも掻き切るべきか。
壊れた頭で私は無情に刃を翻した。
正真正銘、長門未来が本物の"通り魔"となった最初の殺人。
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