第15話 束縛は切り裂けばいい

 刃を手にして、私は立っていた。

 なんとなく、夢だと思う。何故か私の体は何本もの見覚えのある管に繋がれていたから。

 点滴、検査具。鎖のような強靭さはないけれど、ゆったりとしかし完全に私を束縛する拘束具。

 生かすための処置だと生きていた頃の担当医は言っていた。けれど生きている実感など微塵も湧かなかったことをよく覚えている。

 点滴や検査の間は自由に動けないのだ。点滴は動くと痛むし、そもそも動けないのを動けるようにするための点滴だから終わるまで動けないのも道理。検査具は体の動きを鈍らせる薬を打ち、装着するものだから、抵抗の余地など、最初から残されていないのだ。

 私はあの頃、哀れな実験動物マリオネットだった。そのことを思い出す。身を苛んだ痛みと共に。

 けれど、大丈夫。わかるのだ。これが夢だと。何故なら私はもうあの世界に生きていない。仮に生きているとしても、私は"血の一年"のうちであの医者も殺した。私を阻む者、束縛する者は容赦なく排除した。

 一体世界のいくつの警察機構を麻痺させただろうか。本当に、一年でよくもまあ。

 私は幸いなことに記憶力がよく、最悪なことに記憶力がいい。殺した人間の数を数えながら殺し方まで語れるよ。合間合間でナガラと話した下らない話だって、詳細に思い出せる。

 ……ナガラ。私の全てを狂わせた冷酷無慈悲の殺人鬼。残忍無邪気な通り魔だ。


「いっそ"本物"になっちゃえばいい」


 そう言って私にカッターナイフを渡した私の分身。いや、半身? それとも鏡像体ドッペルゲンガーってやつか。どれにしたって空恐ろしい、共犯者にして、私を殺した人。

 ああ、なんでナガラのことなんて思い出すんだろう。私あいつ、嫌いなのに。……そうだ。こんな管に繋がれているから憂鬱になるんだ。

 ならばそんなもの、切り裂けばいい。

 思考が定まった瞬間。私の手には先程まではなかったはずの、やけに手馴染みのいいカッター。手馴染みがいいのは当たり前だ。生前の私の相棒である。

 ぶん

 腕を乱暴に振るう。ぶちぶちと管は抜け、あるいは切れた。

 痛くない、痛くない。暗示のように呟く。管の刺さっていた腕からはどろりとした透明な液体が流れていた。点滴だろう。その中に赤黒いものが混じっている。だがここは夢。痛くなんかない。

 本当に痛くはないのだけれど、切れば切るほど管は増えていく。管は私の体をさらおうとぐんぐん伸びて、私の手を、足を、頭を拘束していく。まとわりつく。

 なんだ、これは。

 奇妙な焦燥が私を包む。足掻きを無駄だと嘲笑うように増えていく管。一体どこからこんなに伸びてくるのか。

 根源を断った方がいい。そう判断して、私はぐっと管の一つを引っ張る。管を辿って歩く。他の管の拘束は緩んだ。まるで私がそうするのを待っていたように。

 それもそうだろう。管は皆、同じ方向に繋がっていたのだから。

 辿って、辿り着いたそこには。


 生きている感じがしないほど血の気のない白い肌。

 十代半ば独特の中性的な顔。推察される年齢と不釣り合いな白い髪。

 色素の薄い灰色の瞳。

 ああ、ドッペルゲンガーか。

「……ナガラ」

 私はそのドッペルゲンガーの名前を口にした。


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