第11話 ──シュエ
ここはシェン様の作ったぼく用の住居だ。
作った、といっても、ここ天界は"思考"によって成り立つ世界であるから、肉体労働の必要はない。シェン様がぼくの記憶にある家を再現してくださった。
天界に来た当初、"思考"によって成り立つ、というこの世界の仕組みに慣れるまで苦戦した。"思考"──つまり"想像"しなければ、どれだけ歩いても目的地には辿り着けないし、新しいものを作り出すこともできない。それを理解するのに時間がかかった。
今でもこの世界の特性に馴染んだとは言いがたい。ものを想像だけで作り出すことは未だにできない。ただ、場所の移動はできるようになった。
あの、ミライという少女を見つけたときもそうだ。彼女のことはシェン様から知らされ、探しに行った。そのときは彼女の姿を想像するだけですぐ近くに辿り着けた。
言ってしまうと、それ以外のことはほとんどできない。シェン様から与えられた"業を見る力"も自分では制御できない。
シェン様は、そのように作られた力なのだから、制御できないのも無理はない、と言ってくださるが、それでもぼくは自分が不甲斐ない。
初めて触れたときのあの少女の表情と咄嗟の拒絶。あれを見ると、胸が苦しくなる。
誰しも、知られたくない過去の一つや二つはある。天界に来たばかりの頃のぼくだってそうだった。
「リウ、あなたが悪いのよ……」
「あなたが、御上に手を上げなければ」
「この矢を射ずに済んだのに!!」
よぎった記憶に胸を押さえる。握りしめた手は少し、震えていた。
ぼくの中にある後悔の一つ。弟妹や帝と同じくらい、殺したくなかった人物がいる。けれど、自ら手を下した人が、いる。
その後悔を、ぼくは偽善だと思っていた。
これだけ殺しておいて、帝まで殺し、弟妹も救えなかったぼくが、彼女を救えなかったことを後悔するなんて、ただの偽善で、自己満足にすぎないのだ、と。
彼女は、弓の名手だった。
女ではあったが、体格は男に引けを取らず、性格も真っ直ぐで男勝りなところがあった。
彼女も弟妹たちと路頭に迷っていたところを帝に救われたのだという。
「わたしはシュエ。よろしく」
「リウです」
境遇が同じ、ということで、彼女──シュエとはすぐ打ち解けた。勤めがないときは互いの家族のことやよくある苦労話など、他愛のないことを話して過ごしていた。
「リウ、槍教えてよ」
「いいですよ。代わりにシュエ、弓を教えてもらってもいいですか?」
「おう、どーんと来い!」
気軽にそんな風に言葉を交わして、互いの武器について学び合ったこともあった。結局、最後まで使うことはなかったけれど。
ぼくたちはそれぞれの立場で、役目を全うしていた。国の領土を狙う敵を追い払ったり、逆にこちらから奇襲をかけたり。ぼくは前線で戦果を上げ、シュエは後方で国を守った。
戦場から戻って、互いの武勲を称え合い、弟妹たちの元へ帰る──そんな日々がずっと続くと思っていた。
「ねぇ、リウ」
「どうしました? シュエ」
「人を殺すのって、どんな感覚?」
ある日、シュエが不意にそんなことを問いかけてきた。ぼくはその意図を図りかね、首を傾げた。
「あ、いや、あのね、その……辛く、ないのかなって。リウは槍で、自分の目の前で人を殺すわけじゃない? 目の前で人を殺したって実感とか、やっぱりあるのかなって、ちょっと気になったの」
「人を殺した実感、ですか」
難しい質問だった。それまで考えたこともなかったから。ぼくはいつも、ただ必死で戦果を上げようとしていただけだから。
人を殺している。確かに、槍を振るうぼくの目の前では、戦果に比例して、多くの敵が死んでいった。言葉にすると他人事のようだが、確かに命を奪ったのはぼくだ。殺しているのは、ぼくだ。
「きみは、辛いの?」
ぼくはすぐには答えられず、問い返した。すると彼女は少し間を置いてから告げる。
「正直、よくわからない。わたしは目の前で人が死ぬのを見ているわけじゃないから。弓って、遠くのものを射るものだからね。敵に命中したって、なんとなく手応えはわかっても、実感はないの。城壁の上から射つんだけどね、そこからだと、人って豆粒くらいにしか見えないのよ。だから、矢が当たっても、豆粒の一つが動かなくなるだけ。それが人だって認識、抱いてないの。おかしいかな?」
「いいえ。ぼくも、今の今まで考えたこともありませんでした。そう──ぼく、人を殺しているんですね」
言われて初めて気づくくらい、実感がなかった。あまりにも当たり前のようにやっていたことだから。
当たり前に、ぼくは人の血を浴びて生きてきた。
当たり前だというこの感覚がおかしいのかな? ──そう思いながらぼくはぼんやりと彼女の横顔を見つめていた。
その顔がどこか悲しげだったのを、今でもよく覚えている。
「どうしたんです? 突然」
「うーん、なんとなく、ね。リウならわかるかなと思っただけ」
「すみません、ご期待に添えず」
「いいって別に」
シュエは笑って流していたけれど、今にして思えば、これが引き金だったのだろうか。ぼくの死までの道のりの。
ぼくは突然、逆賊として追われる身となった。当然、身に覚えはないのだが、敵を討ったある日の帰りに、突如「謀叛の疑いあり」と追い立てられた。ぼくは近くの崖のふちまで追われ、至近距離で射られた矢を避けるために崖の下へ落ちた。
幸い、下はそこそこ深い川で、矢にも当たらずに済んだ。しかし、そこまではほんの序章にすぎなかった。
混乱しながら国に帰ると、弟妹たちが処刑されるというお触れが回っていた。「逆賊の家族を生かしておくわけにはいかぬ」と。
ぼくは走った。謂れのない罪で、弟妹たちが死ぬのだけは耐えられない。ならば自分が処刑される方がよっぽどましだ。せめて家族に罪はないのだから、とお触れを出した帝に直接乞いに行った。
「謀叛の疑いで追われている、リウです。弟妹たちの解放を乞いに来ました」
門兵に正直に話す。
「ふん、殊勝な心がけだな」
門兵はぼくを鼻で笑い、ついて来い、と城内へ入れてくれた。
意外なことにぼくはあっさり帝のいる場所まで通された。帝がいたのは処刑場。弟妹たちが処刑台の上に並べられていた。
「ほう、来たか」
険しい顔つきで帝がぼくを見下ろす。蔑みの色が漂っていた。ぼくの罪状がどうなっているかは知らないが、あれだけ世話になった帝の信頼を大いに損なっていることは確かだろう。
ぼくは足掻くつもりは毛頭なかった。ただ、家族さえ救えればそれでよかった。
「我が君に乞いたきことございますゆえ、ここまで参りました」
「言うてみよ」
「我が身はどうなってもかまいません。ですがどうか、弟妹たちだけは殺さないでください」
「ふむ」
帝が考え込む。けれど、横槍が入った。
「我が君よ、こんな逆賊の若造などの戯言に惑わされてはなりませぬ。せめて家族の命だけは、などと、なんと浅はかなことか」
一回りも二回りも年上の軍師だった。戦場でその姿を見たことはない。しかし、あちらはぼくのことを知っているようだ。明らかにぼくに向ける視線が周囲の者より色濃い侮蔑を含んでいる。
こいつが今回のことを仕組んだのかもしれない。そんな考えがよぎったが、それを口にすることはなかった。余計なことを口走れば、ぼくの言葉は何一つ聞き入れられなくなる。それは避けたかった。
せめて、弟妹たちの身の安全が確保されるまでは。
けれど、場には暗雲が立ち込め、それが払われる様子はなかった。
「我が君、信じてほしいなどとは言いません。けれど、彼らには何も責はないのです。だから、せめて」
「それほどに乞うか。家族の命を」
帝の冷たい声が降り注ぐ。ぼくは迷わず「はい」と答えた。
「己が身を賭してまで、救いたいか」
「はい」
地にひれ伏し、願う。
しかし。
「ならば、殺れ」
何の感情も含まず放たれた一言。それを合図に、ずしゃりという音がした。
聞き慣れた音だった。それもそうだ。人が死んでいく音なのだから──人が殺される音なのだから。
顔を上げると、処刑台の上で、一人一人、槍で貫かれた弟妹たちの姿。誰一人、苦鳴すら上げず、上げる間もなく、逝ってしまった。
「わ、が……きみ?」
それが帝の先の一言により施行されたものであることは容易に想像がついた。しかし、理解が追いつかない。理解するのを頭が拒絶していた。
自分たちを拾ってくれた帝。それが、躊躇いなく、弟妹たちを切って捨てた。
ぼくにとって、何より大切なものだと、知っているはずなのに。
シッテイルハズナノニ……
直後
ぼくの中で何かが壊れた。
それからの行動ははっきりとは覚えていない。ぼくを捕らえていた兵の手から槍を奪い、邪魔なものは排除した。ぼくが切り払ったそれが、人であることすら忘れていた。自分が何であるかすら、忘れていたかもしれない。ただ真っ直ぐ、弟妹を奪った者の元へ向かった。
周りはぼくの暴挙を見、「謀叛だ!」「本当に謀叛が起こった!」と騒ぎ立てていた。ぼくの脳裏に「嘘から出た真」という言葉がよぎる。少し笑えた。けれど、もう止まれない。
もう、どうなろうとかまわない。自分は、大切な何かを失った。もしかしたら、とっくに失っていたのかもしれないが、完全に壊れたのを自覚した。
だから、どれだけ道連れにしようと、もう、どうでもいい。
壊れた頭で立ち塞がる者を伸していく。悉く、息の音を止めていく。背後から無数の矢が放たれた。振り向きざまに槍で叩き落とす。けれど、全ては落としきれず、肩に、足に、腹に、痛みが走る。それが鬱陶しくて、ぼくは城壁の方へ駆け出した。
壊れたぼくの行動はもはや人間業ではなかった。ほぼ垂直な城壁を駆け上がり、弓兵を刺し殺し、叩き落とし、壊していった。
その中に、シュエがいた。
シュエは言った。
「リウ、あなたが悪いのよ。あなたが御上に手を上げなければ」
彼女は震える手でぼくに弓を引いていた。
どんなに震えていようと、この至近距離で、彼女の腕前で、外す要素などありはしない。
けれど、彼女はなかなか矢を放とうとしない。だからぼくは、躊躇わず壊れた頭で槍の穂先を彼女に向ける。
そのとき、彼女が叫んだ。
「この矢を射ることはなかったのに!!」
涙混じりのその声にはっとしても、全てが遅かった。
ぼくの槍は彼女の胸を貫き、彼女の矢もぼくの胸を射抜いた。
彼女はそのまま絶命し、ぼくは矢の勢いのまま、城壁から落ちる。
本当なら死んでいてもおかしくないぼくは、生きていた。壊れた心は痛みを感じず、真っ直ぐ、矛先を帝の方へ。血まみれの切っ先が、帝を殺す。
そのついでに命乞いをし始めた見下げ果てた軍師を切り払い、槍はその役目を終えた。
そんな生涯を辿り、死を迎えた果て、目を覚ましたのが、今いるこの世界、天界だった。
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