第2話

「母はもともとヒステリー気味で、溺愛していたプリシラが階段から落ちてさらに面倒くさいことになっている。ああいうのはまともに相手にするな」


 プリシラの兄、つまりあの夫人が生んだ一番最初の子供であるはずのレイナード・エルンストは冷たい諦めたような声で夫人のことを口にした。


 こんなに冷たい表情と声で実の母親のことを語る子供がいるんだ。

 私が母親のことを語れと言われたらこうなるかもしれないけど、この人は両親が揃っていて、綺麗な服を着ることができて、カビたパンを食べなくて良くて、暴力は……夫人の様子を見るによく分からないけど捨てられてもないのに親に対してこんな感じなんだ。


「真剣に相手をするとこっちが発狂するから」

「あ、はい。分かりました。レイナード様」


 部屋には誰もいないのでそう口にする。彼も私のなりかわりを知っているうちの一人だから。それにほぼ初対面だ。この王都の屋敷に来てから挨拶したことはない。ずっとお互い会わないような生活をしていた。侯爵ともほとんど会わない。夫人とは食事でも続いている勉強の時でも会う。今日の夫人はおかしかった。


 すると、彼は半眼になり気持ち悪そうな目で私を見つめた。


「妹の顔でレイナード様と呼ばれるのは……とても気持ち悪い」

「すみません」

「いや……とりあえず人目がなくてもレイナード様はやめてくれ」

「はい、お兄様」

「それもそれで……改めて言われると気持ち悪いな」


 何がどうあっても気持ち悪いらしい。彼はまじまじと私を上から下まで見た。


「本当によく似てる」

「ありがとう、ございます??」


 私の戸惑った反応に彼は笑った。

 私の髪は家の中にいるときも侍女長が綺麗に結ってくれているが、彼の男性のわりに長いであろう銀色の髪は無造作に肩の下まで下ろされている。細いから長身でなければ女性と間違えてしまいそうだ。

 グレンは不機嫌そうな無表情だが、この人は諦めたような無表情。それでも、笑うととても綺麗な人だ。侯爵のようにヒゲは絶対に生やさないで欲しい。


「外見だけなら本当にあの妹が生き返ったのかと思うくらい似てる。おかしな気分だ。でも、君は決定的に妹じゃない。謙遜でもなんでもなく、妹は性格がとても悪いから」


 実の兄にここまで言わせるプリシラってどうなのだろう。


「お兄様とは仲が悪いと聞いていました」

「そうだね。やれ引きこもりの兄だの、ケチだの、根暗だなんだの散々言われて後はずっと無視だしね。さすがにそういう妹と積極的に交流を持とうとするほど僕もできた人間じゃないんでね」

「……引きこもりなんですか?」

「僕はこの侯爵家を継ぐから、金策でいろいろ悩んでるだけ。借金の話は聞いただろう」

「はい」

「借金があると頭の中の八割使って借金のことばかり考えてる。君があのアホなドレスをさらに欲しがるようなバカじゃなくて良かった」


 アホなドレスでバカときた。良かった、あのドレスが普通じゃなくて。いやもちろん誕生日パーティーの時の他の令嬢のドレスを見ればプリシラの趣味が普通じゃないのは分かったけれども。あの時はエビとチョコーレとケーキのほうが大事だったのよ!


「服は繕って着るものですし、あんな動きにくい趣味の悪い服はちょっと……」


 リボンは防御力高いけどね。


「君が普通の感覚の持ち主で良かった。これを見て何か思う?」


 彼は胸元のキラキラとしたものを見せた。四葉のクローバーのような形に宝石が配置されている。小ぶりなブローチだろうか。


「クローバーですね」

「まぁそうだね」

「えと、値段を当てろということですか? それはさすがにまだ分からないです。もちろん真贋も」

「妹ならすぐにこれを欲しがる。身内にはより遠慮しないし、バカみたいにキラキラしたものが好きだから。実質バカだったけど」


 遠慮という言葉は使用人に物を投げるような令嬢の頭の中にあるんだろうか。怖くて聞きたくない。そしてバカが二回。


「男物ではないんですか?」

「ピンブローチだけど、つけようと思えば女性でもいけるんじゃないか」

「あの、他のご令嬢にはそんなおねだり……しなくていいですよね?」

「あぁ、令嬢相手にそこまでのワガママは言ってない。『あんたみたいなブスがグレン様に近寄らないで』とは令嬢に言っていたのは聞いたことがある」


 良かった。誕生日パーティーでは少し大人しすぎたかと思っていた。でも、ブスかぁ……言えるかな……。いや、無理……無理。


「細かい癖はよくプリシラに寄せられている。外見とその癖があれば大体大丈夫なんじゃないか。プリシラは友達もいないし、まぁ気楽に。プリシラの評判は残念ながら良くないから、頭を打って今更取り繕ったところでなんともならないし多少変なことしても気が狂ったと思われなければ大丈夫」


 慰められているのだろうか、これは。

 というかそんな三歳みたいな情緒でよく婚約者がいるよね、プリシラって。お貴族様は本当に不思議だ。


「まぁ適当に頑張って。父が孤児からそっくりなのを見つけたって言い出した時はもう家は終わりだと思ったけど」


 あ、やっぱり侯爵の案だったんだ。夫人はプリシラの死を受け入れていないようだから違うもんね。


「プリシラと婚約するなんてグレンは前世でよほど罪深いことでもしたのかと思ってたよ。でも、君なら案外大丈夫かも」


 慰められているのか、何なのか。兄から見たプリシラもかなり酷いというのはよく分かった。


「僕は借金さえこれ以上増やさなかったらなんでもいいから。気が向いたらさっきみたいに助けられるけど、基本的に会わないからね」


 プリシラじゃないとバレたらかなりマズイと思うんだけど。お金とか婚約者の家から要求されないよね? そうなったらさすがの私でもプリシラのドレスから取り除いたリボン売ったお金くらいでなんとかなるなんて思ってないからね?


 グレンが今16歳で、お兄様は18歳。18歳ってもっと楽しいのかと思ってた。


「あの、お兄様は夫人のことが好きではないんですか」

「理解できないものを好きになるのは難しいだろうね」


 プリシラの兄はなんというか、無気力な人だった。若いのに夢に満ち溢れていない。


「まぁ、頑張ってね」


 伏し目がちで諦めたように口にされる言葉。頑張ってという言葉にはとても思えない。


 家族ってもっと明るくて幸せで温かいと思ってた。一緒にいるだけで幸せなんだと。でも、侯爵家は家族で大きな家に住めてもみんな全然幸せそうじゃないんだね。

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