第二章 エルンスト侯爵家の3番
第1話
今日から王都のエルンスト侯爵邸に移される。
あれから約十一カ月。侍女長と夫人の教育によって文字は相当読み書きできるようになった。男性とは踊っていないけどダンスも楽しかった。筋がいいって褒めてもらえたし! 人生で褒めてもらったことって髪の毛と顔立ちくらいだから嬉しい。初めて母親譲りじゃないところを褒めてもらえた。
お貴族のマナーができているのかがよく分からない。だって、夫人と侍女長の語るプリシラが違うから。夫人は「可愛くて何でもできる」としか言わないし。それ以上聞いてしまうと泣くから……。
「プリシラお嬢様は貴族の令嬢にしてはマナーがかなり遅れている方です。よくこぼしながら食べておられましたし、お菓子が好きでお野菜は召し上がりません」
淡々と侍女長サリーは言う。
壁紙が破れていたり、カーペットにシミがあったりしたので恐らく侍女長の言っていることが正しいのだろう。何よりドレスの趣味が悪いから信ぴょう性がある。ここは譲れない。
でも、お菓子が好きなのはよく分かる。私、十三年間お菓子食べたことなかったけどあんなに美味しいものがこの世界に存在するなんて知らなかったもん。
プリシラのマナーが大して良くないおかげで、私の付け焼刃のマナーでもなんとかなりそうだ。
そして一番難しいのは我儘な演技だ。
いくらプリシラと私が瓜二つとはいえ、階段から落ちて頭打って別人のような性格になっていたら疑われると夫人が主張するのでプリシラの性格をなるべく真似るように言われた。
ガタンと馬車が止まる。
ややあってから扉が開いて手が差し出された。その手を掴んで踏み台を踏んでゆっくり下りる。孤児院の時はこんなにゆっくり動いていたらどやされたけど、素早く動くとドレスの裾踏んじゃうのよね……リボン何個か取ったけどもうちょっと取っても良かったかも。重い。リボンは売れるかもしれないし。
王都の侯爵邸は領地のそれよりもこじんまりとしていた。でも、十二分に大きい。
本当に借金あるのかなと疑うが、本当にあるらしい。葉巻臭いエルンスト侯爵が事業に失敗して負ったのだという。
ぼーっと侯爵邸を見上げていると、二階に人影が見えた。使用人は出迎えに勢ぞろいしている。一体誰だろうか。
銀色の髪の若い男の人だ。あれがプリシラのお兄様レイナード・エルンスト次期侯爵だろうか。
目が合ったかどうかも分からないくらいで彼はすっと窓辺からいなくなってしまった。侍女長サリーによると彼とプリシラの仲は残念ながら良くないらしい。残念、私はみんなのおねーちゃんだったからお兄ちゃんに憧れていたのにな。
でも、あのお兄様は私がプリシラではなくよく似た別人の孤児と知っているわけだし……どうやって接したものか。考えること多いな。
プリシラの部屋に案内されて頭が痛くなった。
ここでは、ベッドやら壁紙やらも大体ピンクの大変乙女チックなお部屋であった。
馬車の移動で疲れていたので、イスに腰掛けてプリシラがよくやっていたという肘をついて顔を乗せぼんやりするポーズをやっておく。
「あっ!」
小さな悲鳴が上がって何事かと見遣ると、部屋の入口で侍女が紅茶をこぼしてしまっていた。
「もっ! 申し訳ございません!」
うわぁ、この人すっごい怯えてる。私みたいな小娘相手なのに。
プリシラってほんとに使用人を叩いてたんだなぁ、この怯え方は。孤児院で暴力を受けてしまった子供たちの反応とよく似ている。
でも、私は人を叩くのは嫌だなぁ。痛いもん。どのくらい痛いか身をもって知ってるもん。そんな風に悩んでいるとうっかり口から大きめのため息が漏れていた。
「ひっ! す、すぐ片付けます!」
プリシラ、どんだけのことをやれば使用人をこんなに怯えさせられるの……?
「お嬢様はお疲れなのだから早く片付けなさい。私がお茶をお出しするから」
「は、っはい」
侍女長サリーが来てくれて助かった。彼女は片付け終わった使用人を部屋から出て行かせると私に向かって微笑む。
この十一カ月で侍女長サリーとはかなり仲良くなった、と思う。夫人は普段は優しいけれど、急に「お前はプリシラじゃない!」と怒り出すこともあって対応が難しい。私、顔色読むのはうまいと思うのだけれど。
「お嬢様、明日はフォルセット公爵家に訪問すると旦那様から伝言です」
「はぁ。そう、分かったわ」
誰に聞かれているか分からないので素っ気なく答えると、サリーは小さく親指を上げる。プリシラっぽかったようだ。私はいまだに「お嬢様」と呼ばれるとムズムズする。
どうしようもなく困ったら、プリシラは階段から落ちているので必殺技「頭が痛い!」を使えばいいが、そう何度も使えないのがネックだ。何度も使うと健康状態を理由に婚約解消されるかもしれないからだ。
「明日のドレスを選んでおきましょう」
そう言って開けられたクローゼットには、またもや趣味の悪いドレスがかかっていて頭痛がした。
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