第7話
「んしょっ! とうっ!」
夜になって今度はふかふかベッドでジャンプしてみる。これはいい。よく跳べる。天井に手は届かないが、月に近くなった気がする。
「ジャンプでもしないと、やってらんない」
夫人に叩かれたからと、昼ごはんやおやつ・夜ごはんが抜かれることはなかった。叩かれてご飯抜きにならないなど孤児院ではあり得なかったことだ。そうそう、今日はおやつまで出た。すごかった。サクサクホロホロの何かだった。何か分からないうちに口の中に消えた。
夫人に叩かれた左手を月にかざす。全く痛くなかったので腫れてもいない。
「プリシラは右利きだって」
代用品は左利きさえ許されない。やっぱり私はどこにいても愛されない。
しばらくピョンピョンとジャンプしてからシュタッと下りて、昨日のように窓辺に近付く。しばらく月を眺めて……ふと思いついた。
「結婚してから逃げてもいいかも」
だって、侯爵からはなりかわって結婚しろとしか言われてない。
結婚したらなんとかコルセットのお家に住むんだよね? だって侯爵家はえっと、プリシラの兄が継ぐんだから。
そうしたら逃げやすいかも。この国で結婚できるのは確か十六歳から。あと三年くらいあるから将来のための準備もできる。
文字だって読めるようになるし、お貴族のマナーだって身に付くかもしれない。そうしたら今ここから逃げるよりもずっとマシだ。お金だってちょこちょこ何とかして貯めて。あの趣味の悪いドレス売っちゃダメかな。どうやって売るんだろ。とりあえずリボン何個か取っちゃいたい。調べないと。
「ふふっ。なんだか楽しくなってきた」
ほんの少し希望が見えた。期待ではない、希望。
冬に薄着で外に叩き出されるのよりも、ご飯を抜かれるのよりも、鞭で打たれるのよりも、そして娼館に売られるよりも。最後だけは経験してないけど、これらより怖いことってなくない? 夫人の暴力だって職員に比べたらヘナチョコだもん。
「もう何も怖くないわ、なんちって」
ちょっとだけ聞きかじった歌を口ずさんだ。より気分が上向きになる。
愛されないのなんて生まれてこのかた、いつものことじゃない。何を新しい環境になって少しばかり期待しちゃってたのか。
十三歳で階段から落ちて死んじゃったプリシラは可哀想だし申し訳ないけど、結婚後に逃げ出すと決まれば全力でプリシラをやってやろうじゃないか。結婚式直後に逃げ出すとか物語みたいじゃない?
「待ってろよ! グレン……コルセット?」
婚約者の名前が合っているか分からないが、月に手を伸ばしてそれが目標であるかのように空を掴んだ。
***
プリシラの婚約者グレン・フォルセットの家、つまりフォルセット公爵邸では家族会議が開かれていた。
「プリシラ嬢が階段から落ちて怪我をしたので療養するそうだ。記憶が混濁しているようだが命に別状はないらしい」
「そんな……これから婚約を解消しようとしていたのに」
「これでは時期が悪すぎるな」
「今解消したら『娘が怪我をした途端婚約を解消された』とあの侯爵夫妻は騒ぎ立てるでしょう」
「重い病気などではないのに解消したとなれば……外聞が悪いのはこちらだ。痛くもない腹を探られるかもしれん」
エルンスト侯爵家から届いた手紙を前に苦悩するフォルセット公爵夫妻。一番若い青年がすっと手を伸ばしてその手紙を取った。
「夫を助けてくれた恩があるから婚約を結んだけれど、もう金銭援助は相当したからねぇ」
先代フォルセット公爵夫人であるカルラ・フォルセットが口を開いた。先代公爵である彼女の夫は去年他界している。
「でも、今解消したら慰謝料だ何だと吹っ掛けてきそうだね。うちの評判にも悪いし、あることないこと言われてグレンの次の婚約にでも差し障ったら……」
カルラの視線の先には、エルンスト侯爵家からの手紙を握りつぶす黒髪の青年。
「グレン、プリシラ嬢との婚約はしばらく様子見で続ける」
「……分かりました」
フォルセット公爵の言葉にグレンは顔を顰めながらも頷いた。
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