第31話 親バカ将軍

「ち、ち」

「そうだよ」

「ち、ち」

「うんうん」

 蝉が激しく鳴く元亀元(1570)年8月3日。

 亜蓮は、船岡山城の縁側で長女・茶々と次女・お初を抱っこしていた。

 茶々は1歳、お初は0歳。

 共に実父・浅井長政の記憶がほぼ無い。

 その為、目の前に居る亜蓮を実父と思い込んでいた。

 娘を前に亜蓮は、デレデレである。

「可愛いなぁ。2人は」

 両者に血縁関係は無いのだが、亜蓮は実子同様に可愛がっていた。

「お菓子、食べるか?」

「う」

「お、かし」

 まだ幼い姉妹は、言葉がたどたどしい。

 それでも亜蓮は、積極的に意思疎通コミュニケーションを図っていた。

「はい、外郎ういろうだよ」

「「おー」」

 2人の視線は、外郎に集まる。

 亜蓮は、包丁を使って小さく切り、はしで更に小さく切り分け、2人の口元に運ぶ。

「「……」」

 2人は無口だが、笑顔で食す。

 どうやら気に入ってくれたようだ。

 育児を見ていたお市が尋ねる。

「どうして、外郎なの?」

「口ん中で溶けやすいかな、と思って」

「ああ、窒息防止の為?」

「そうそう」

「子煩悩ね?」

「俺の娘たちだからね」

 えっへんと亜蓮は、胸を張る。

 何度も言うが、姉妹と亜蓮に血縁関係は無い。

 それでも実子のように優しく接している点を見ると、彼がいかに姉妹を大事に想っているかが分かるだろう。

「育児は、乳母うばに任せないの?」

「そうすることもできるけど、できるだけ育児は自分でしたいのよね」

「どうして?」

「子供の1番可愛い時機を、乳母に独占されたくないから」

「……」

「ああー」

「ううー」

 姉妹は外郎ういろうを気に入ったようで、お代わりを要求する。

「良かったよ。気に入ってくれて」

「「だー♡」」

 笑顔の姉妹は、亜蓮に抱き着き、頬ずりを行う。

 実父・長政の記憶が殆ど無い分、目の前に居る亜蓮をやはり実父と見ているようだ。

「2人は、戦国一の美人姉妹に育てるからなぁ」

 亜蓮の謎な自信にお市も思わず吹き出す。

 日本一のイケメン武将と日本一の美女との間に生まれた姉妹は、当然、その遺伝子を受け継いでいる為、将来は今でいう所のスーパーモデル級の顔面偏差値なことが予想される。

 なので、亜蓮が一々いちいち手を出さなくても勝手に育つ可能性もあるのだが、介入したいのは親としての想いだろう。

仇敵きゅうてきなんだけどなぁ)

 亜蓮は、愛する夫を間接的に討ち取った憎き相手である。

 しかし、夜の相性もさることながら、育児する姿を見ても、とても仇敵には思い難い。

(完全に削がれてしまったかもしれない)

 復讐する機会を心にしまい、お市は夫の育児を優しく見守るのであった。


 武家社会では男性は戦場に出て、女性は内を守る価値観が確立している。

 その為、亜蓮のように育児や家事に積極的な武将は、少数派だ。

「ち、ち」

「もう、お昼寝の時間か?」

「う、ん」

 茶々が頷くと、亜蓮は蚊帳かやを準備し、その内側に布団をいた。

 幸姫が渋い顔になる。

「もう、私がしますのに」

「まぁまぁ休んどき。暑いから」

「旦那様もお昼寝されるんですか?」

「そうだね。茶々の寝顔見たいし」

「いつも見ているじゃないですか?」

「いつ見たっていいじゃない。父娘おやこなんだから」

「それは……そうですが」

 茶々は、布団の上にいしながら進入していく。

「這い這い、上手だねぇ」

「えへへへへ♡」

 褒められ、茶々は喜ぶ。

「茶々は、笑ったら美人が際立つね」

「お市様似ですね」

「そうだな。幸も寝る?」

 幸姫は笑って否定する。

「寝たいのも山々やまやまですが、お初様の御襁褓おむつえなきゃいけないので」

「ああ、そうなの。残念」

「一緒に寝たかったのですか?」

「幸の寝顔、見たかったんだよ」

 途端、幸姫は真面目な顔になる。

「若しかして旦那様、私のこと口説くどいていますか?」

「口説くなら元服後だな。流石に子供を口説く趣味は無いよ」

 呵々大笑かかたいしょうしながら、亜蓮は茶々の隣に寝転ぶ。

「ち、ち?」

「うん」

「あ~い~」

 茶々は、亜蓮の顔に触れる。

「ち、ち?」

「近い?」

「うん」

「可愛くてついな?」

 亜蓮は、少し空間を作る。

 1歳児にして、茶々は亜蓮の重い想いに気付いたようだ。

「あ~う~」(訳:気を付けて)

「ごめんて」

 愛娘まなむすめに嫌われたくない亜蓮は、只管ひたすら平身低頭だ。

(若しかして、家長は旦那様ではなく、茶々様?)

 幸姫は、割と本気でそんなことを考えるのであった。


 世界で初めて棒状蚊取り線香が誕生したのは、明治23(1890)年のことである(*1)。

 その為、元亀元(1570)年には存在しない。

 同年時点では、

よもぎの葉

かやの木

・杉や松の青葉

 などを火にくべて、いぶした煙で蚊を追い払う蚊遣かや(*2)が一般的だろう。

 茶々を寝かしつけた後、亜蓮は念の為、近くの部屋で蚊遣り火を行う。

 独特な匂いが鼻孔を突くものの、我が子の安全を考えたら安いものだ。

「うー」

 匂いに気付いたお初が、乳母車の中で、ぐずりだした。

「おお、大丈夫か?」

 即座に抱き上げ、その背中を優しく叩く。

 幸い、すぐにぐずるのを止め、お初は笑顔を見せた。

「うー♡」

「お早う。お初、お昼寝できた?」

「だー?」(訳:あんまり?)

「そうか。じゃあ、少し散歩しようか」

 無理矢理に寝かさず、亜蓮は、お初を抱っこしたまま歩き出す。

 思ったほど蚊はそれほど飛んでいない。

 しかし、暑い。

「暑いねぇ」

「あー」

 お初は、眩しさから目をぱちくり。

 外では暑い中、家臣団が木刀を振り下ろしていた。

「「「いちさん……」」」

 暑い為、外には出ず、亜蓮は縁側に座った。

「……」

 お初の視線は、家臣団に注がれる。

 0歳児なので、彼らがやっていることはまだ理解できていない段階だろう。

「お初は、武士が好き?」

「うー?」

 まだ武士を理解していないようだ。

 史実では、お初の夫は、若狭国わかさのくに(現・福井県の大部分)小浜藩初代藩主・京極高次きょうごくたかつぐ(1563~1609)である。

 2人の結婚生活は、天正15(1587)年から高次が死去する慶長14(1609)年の22年間に及んだ。

 2人の夫婦関係での有名な逸話としては、後に同国同藩2代目藩主・忠高ただたか(1593~1637)の出生だろう。

 忠高の母は、高次の侍女・於崎だった。

 その為、父の高次は、お初の機嫌対策の為に懐妊を秘匿し、出産後は、母子を家臣に匿わせたという(*2)。

 その家臣の家の由緒書 《ゆいしょがき》によれば、お初が嫉妬により忠高殺害を図った為、彼女の機嫌が和らぐ文禄4(1595)年まで家臣が匿ったという(*3)。

 しかし、これは家臣側の認識である為、お初側の資料が現時点で見付かっていない。

 なので、どこまで事実かは不明だ。

 それでも、お初の妹のお江(1573~1626)が嫉妬深いとされる資料が存在する為、同じ姉妹である以上、2人は似ていた可能性もあるだろう。

「気が早いけど、お初はどんな人と結婚するかねぇ」

「だー?」

 親となった以上、お初の結婚相手を考えるのも亜蓮の務めだ。

「茶々もそうだけど、幸せな人生を送って欲しいな」

 世は戦国時代。

 更に令和と比べると、女性の地位がまだまだ低い時代だ。

 場合によっては、お市のように夫を戦場で亡くす場合も考えられる。

「うー?」

 親の心、子知らず。

 無邪気にお初は、ただただ笑うばかりだ。

「……」

 その近くのふすま越しにお市は、耳を澄ませていた。

 2人の会話を聴いていたのだ。

 そして、お初に似た笑顔を亜蓮に向けるのであった。


[参考文献・出典]

*1:金鳥 HP

*2:Wikipedia

*3:西島太郎『松江藩の基礎的研究 : 城下町の形成と京極氏・松平氏』岩田書院 2015年

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