第23話 キョウト・デス・スクワッド

 元亀元(1570)年7月1日。

 織田信長が正式に山城守を受け入れ、此処ここに天文18(1549)年の細川春元以来、21年振りに山城守が復活する。

 と、同時に亜蓮も近衛大将への就任が決定した。

 瓦版かわらばんでは、大々的に報じられる。


『【山城守、近衛大将に其々それぞれ、織田信長と神宮寺亜蓮が就任】』


 と。

「……すごい」

 浮舟うきふねは瓦版を読んで呟く。

 只管ひたすら出世街道を直走ひたはしる上司の活躍が、瓦版が詳しく報道されていた。

 

『———近衛大将に就任した神宮寺氏は、金ケ崎合戦で活躍し、更に宇治でも暴漢を返り討ちにした過去を持つ。

 更には『英雄色を好む』ということわざがあるように。

 短期間で2人の美女をめとった。

 その上、連れ子も溺愛できあいしているようで、関係者によれば非常に子煩悩であるという』


「すごい」

 再度呟くと、その瓦版を持って、亜蓮の下に駆けていく。

「わかとの!」

「どった?」

 亜蓮は、大宮から肩もみされ、右近がれた宇治茶を飲んでいた。

 肩もみ以外は自分で出来るのだが、仕事を作らないと侍女が失職してしまう為、仕方の無いことなのだ。

「かわらばんに、わかとののきじができます」

「おー、そうか。じゃあ、保存してて。後で家族にも見せるから」

「はい!」

「良い仕事したな? ありがとう」

「ありがとうございます♪」

 頭を撫でられ、上機嫌に浮舟は微笑む。

 右近が肩もみを止めた。

如何どうですか?」

「ああ、ありがとう。いやされたよ」

 事あるごとに感謝を述べる亜蓮。

 うも多用するのは、彼が尊敬している偉人の1人で松下電器の創業者・松下幸之助(1894~1989)氏の名言の一つ、


『「ありがとう」。

 言う方は何気なくても言われた方は嬉しい。

「ありがとう」をもっと素直に言い合おう』


 が由来だ。

 言われた浮舟や右近も心地いい。

 過ごしやすい環境で2人は、安堵あんどする。

「若殿」

 幸姫が大宮と共に来た。

「朝食が出来ました。今日は大宮が作りました」

「分かった。献立こんだては?」

 大宮が答える。

「・ご飯

 ・味噌汁みそしる

 ・焼き魚

 ・豆腐

 です」

「良いね。じゃあ、皆も食べよ」

「「「「はい」」」」

 4人は、空腹だったのか大きく首肯しゅこうした。

 

 今日は、お市が居ない。

 二条古城に茶々とお初を連れて、山城守就任のお祝いの為に信長に会いに行っているからだ。

 なので、屋敷に居る成人は、亜蓮と井伊直虎のみである。

 朝の鍛錬たんれんを終えた虎松も食事会に加わる。

「今日も美味しそうですね」

「大宮が作ったんだって」

「そうですか。大宮さん、ありがとうね」

「はい♪」

 虎松にも感謝され、大宮は笑顔になる。

 本来は、一斉に「頂きます」した方が良いのだろうが、神宮寺家は其処そこまで堅苦かたくるしくない。

 各々の時機タイミングで摂って良いのだ。

「おかわり!」

「はいはい」

 浮舟はご飯のお代わりを望み、御櫃おひつの近くに居た右近が、2杯目を継ぐ。

 亜蓮は感心する。

「浮舟はよく食べるな」

「はい。たべざかりなので」

 9歳で食べ盛りなのは、思春期の心象イメージがある為、亜蓮には違和感を覚えた。

 ただ、食わないより食べれた方が良いのは事実だ。

「右近、何合ある?」

「残り5合くらいですね」

「浮舟、まだ食べる?」

「これでまんぷくなので、だいじょーぶです」

「分かった。右近、もう炊かなくて良いよ」

「了解です」

 井伊直虎が居たら、もう少し炊いていた可能性もあるが、生憎あいにく彼は寺子屋だ。

 朝早くお握りと味噌汁を食べて登校していった。

 時間帯が合えば一緒に朝食を囲むことも出来るのだが、虎松の場合は登校後、寺子屋で剣道の練習をしているそうなので、態々わざわざそれを止めさせる理由が無い。

 頑張っている我が子の邪魔をしないのが、亜蓮の教育観である。

「そういえば、夕顔とおぼろは?」

「は。今日は体調不良で休みです」

 大宮が答えた。

「そうか。見舞みまいに行った方が良い?」

「軽い風邪と思われます故、大丈夫かと」

「了解。皆も体調不良なら、どんどん休んでね」

「「「はい!」」」

 ご飯を食べつつ、3人は気持ちの良い返事をするのであった。


 寺子屋では、

・柔道

・剣道

・弓道

・相撲

・空手道

・合気道

薙刀なぎなた

 の主に七つの武道を教え、座学では高僧こうそうによる説法等が採用されている。

 黒板には、


『懸情流水 受恩刻石』

 

 と書かれている。

「虎松」

 高僧が指名した。

「これを読んでみて」

「情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし」

御名答ごめいとう

 わぁっと、教室は歓声がとどろく。

 難解な仏教の経典きょうてんの授業で、直政は無双状態だ。

 余談だが、この言葉の正式な出典は不明とされる(*1)。

 それでも現代日本で広まっているのは、ほど日本人の琴線きんせんに響く言葉なのだろう。

「流石だな。よく勉強している」

「ありがとうございます」

 褒められ、虎松は笑顔を振りまく。

 9歳でこの言葉を知っているのは、令和でも中々なかなか少ないだろう。

「誰から教わった?」

義父上ちちうえからです」

「ああ、今話題の近衛大将か」

「はい!」

 教室内は更にく。

「天下の近衛大将か」

「すっごい! すごい!」

「近衛大将は、経典にも精通しているのか」

 京の平和を維持している亜蓮の存在は、京に住む者達にとって英雄ヒーローようなものだ。

 亜蓮が洛中の警備を始めた途端、一気に、

・強盗

・暴行

・殺人

 等の凶悪犯罪が激減したのだ。

 うも徹底しているのは、亜蓮がフィリピンのDDSダバオ・デス・スクワッドを模範にしたからだ。

 DDSダバオ・デス・スクワッドは、フィリピンのミンダナオ島ダバオ市で活動する自警団で、法律違反者と麻薬密売人の殺人(私刑)を行っている(*2)。

 その経歴は以下の通り。


・2004年8月2日時点で関与した殺人事件は、52件(*3)

・は2005年の最初の3ヶ月に、72件の犯行(*4)


 ダバオ市は元々治安が悪かった為、それを問題視した市民が自警団を組織し、活動に至ったのだ。

 当然、多くの人権団体は反発したが、DDSダバオ・デス・スクワッド御蔭おかげで、ダバオ市の治安は劇的に改善された。

 司法を通さない殺人は、超法規的措置と言えるが、それでも治安が良くなったのは評価せざるを得ないだろう。

 亜蓮も治安が悪い場所には、騎馬隊を送り込み、犯罪者を見付け次第、殺害するDDSダバオ・デス・スクワッドスタイルを採り、治安の改善に一役買っていた。

 犯罪者は殺害され、犯罪者予備軍は殺害を恐れ、洛中を離れていく。

 まさに一石二鳥だ。

 その政策の担当者である亜蓮は、まさに京の人々にとって英雄ヒーローなのである。

 父親を褒められ、虎松の鼻も高い。

「えへへへ」

 義父の御蔭おかげもあって、虎松は寺子屋で人気者の地位を確立しているのであった。


[参考文献・出典]

*1:Hiroshi SAKAI note 2019年11月24日

*2:ウィキペディア

*3:ミンダナオ・タイムズ紙

*4:インターナショナル・ヘラルド・トリビューン

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