第20話 京の10人

先程さきほどは、助けて下さりありがとうございました」

 烏帽子えぼしを被った公家が、大きく頭を下げる。

近衛前久このえさきひさと言います。この恩は一生忘れません」

 深々と頭を下げた。

 亜蓮と井伊直虎が居るのは、御所の敷地内にる、前久の屋敷。

 史実では、永禄11(1568)年に足利義昭によって追放された身だが、彼の権威が低下している今、密かに帰洛きらくしているのは公然の秘密である。

「どうぞ」

「「ありがとうございます」」

 出されたお茶を、2人は一気に飲む。

 御所には殆ど入ったことが無い為、2人とも緊張しているのだ。

 飲み干した後、直虎が尋ねた。

御公家様おくげさまが襲われるのは、初めて見ましたよ」

「そうですね。私も初めてです。ほど治安が悪化しているのでしょう……井伊様は、織田信長上総守と面識は?」

「いえ、ありません。私の上司は、蔵人佐くらんどのすけ(※徳川家康の仮名けみょうの一つ)ですので」

「神宮寺様は?」

「義兄になりますね」

「では、伝言を頼みたいのですが、よろしいでしょうか?」

「大丈夫ですが、遵守じゅんしゅされるのは、上総守次第かと」

「分かっています。伝言の方は、『御所も山城国(現・京都府南部)の国主———山城守になって頂きたい』というものです」

「……大きな話ですね」

 最後の山城守は、細川京兆家ほそかわけいちょうけ17代目当主・細川晴元(1514~1563)である。

 彼は享禄5/天文元(1532)年に山城国守護になるも、天文18(1549)年の江口合戦で三好長慶(1522~1564 戦勝後、三好政権樹立)等に敗れ、以後、その地位は空位になっていた。

 正式に信長が山城守に就任すれば、21年振りの復活である。

「朝廷は上総守に期待しているんですね?」

「そうですね。次の開府かいふ担当者に相応しいかと考えています」

 朝廷が期待しているのは、日本の平和と安定、そして国民の豊かな暮らしだ。

 その3点を叶えるには、現状、信長が最も適当なのである。

「それと神宮寺様」

「は」

「貴方には、近衛大将を推挙すいきょしたい」

「!」

 直虎が驚く。

「近衛大将は、すで御二人おふたり居るのでは?」

 現在、近衛大将は左に公卿くぎょう今出川晴季いまでがわはるすえ菊亭晴季きくていはるすえとも 1539~1617)。

 右に公卿・九条兼孝くじょう かねたか(摂関家九条家第17代目当主 1553~1636)の2人が、現任者だ。

 前久は、苦笑した。

「そうですが、御二人とも。『大将』の名を冠する以上、武将が適任者かと思われます」

「……成程なるほど

 直虎は考える。

 山城守に信長、近衛大将に亜蓮という二段構えは、朝廷が織田を次期政権担当者として、よりえたい思惑が見えるだろう。

 亜蓮が挙手した。

「質問しても?」

「どうぞ」

「……近衛様は、朝廷内部でどのような立ち位置なので?」

「と、申しますと?」

「将軍に追放された、といていますが、御話おはなしく限り、結構な影響力があるんですか?」

「当然ですよ」

 前久は笑う。

「我が家は、人臣じんしんで最も皇位こういに近い家ですからね」

 近衛家(陽明家とも)は、人臣で最も天皇に近い地位にある家とされる(*1)(*2)。

 その家で最も著名な人物は、昭和前期に首相を務めた近衛文麿(1891~1945 在:1937~1939 1940~1941)(*2)が挙げられるだろう。

 そんな名家なので、当然、宰相さいしょうような役割を担ってもおかしくはない。

「将軍から追放されても、武士よりも名家で歴史がある我が家に敵うことはありませんよ」

「ですが、先程さきほどは襲われてましたね?」

「そうですね。運が悪かったです」

 ガハハハッと、前久は豪快に笑う。

「ですが、貴方あなたに救われました。これも天命かと」

 そう言うと、前久は手を叩く。

 直後、ふすまが開いた。

「「!」」

 2人の目に飛び込んできたのは、10人の女性であった。

 顔立ちから小中高生だろうか。

 微笑みながら前久は、説明を始める。

「右から、

・桐(18)

・藤(17)

あおい(16)

・明石(15)

空蝉うつせみ(14)

夕顔ゆうがお(13)

おぼろ(12)

大宮おおみや(11)

右近うこん(10)

浮舟うきふね(9)

 です」

「! ……『源氏物語』ですか?」

「神宮寺殿、正解です」

 前久は、10人の頭を順番にでつつ、続ける。

「この子達は戦災孤児で、私が女官として育てています。名前の由来は、私が愛読書としている『源氏物語』の女性から名付けました」

「戦災孤児……」

 直虎が10人を見る。

 全員、目に光が無い。

 戦乱の世の中なので、戦災孤児は沢山居る。

 彼等は戦乱で家や家族を失った結果、大別して、

・路上生活者

・盗賊

・奴隷

・殺人被害者

 のいずれかになる場合が多い。

 その為、前久に引き取られ、女官として育てられている彼女達は、非常に幸運と言えるだろう。

「噂によれば、神宮寺様は侍大将さむらいだいしょうでありながら、女官が不足しているとか?」

「そうですね……」

 現状、女官は侍女である幸姫1人だ。

 侍大将としては、流石に少な過ぎる。

「何なら女官候補の中から、愛人でも―――」

「その必要はありません」

 爽やかに否定すると、亜蓮は直虎の肩を抱き寄せる。

「正妻に市、側室に直虎が居ますからね。現状、愛人は必要ありません」

「若殿♡」

 とろけた表情で、直虎は微笑む。

 よだれを垂らしそうなくらいに。

「そうですか。ですが、いずれ大人数になるかと思いますが」

「はい?」

「何でもありません」

 穏やかな笑みを浮かべた前久は、10人を眺めながら言う。

「ですが、助けて下さった恩にむくいる為にも、この10人は、貴家きかに送り込みます」

「決定事項ですか?」

「決定事項です」

 ごり押しに亜蓮は、困り果てる。

「直虎、如何どうする?」

「侍女は足りていないですし、幸の負担軽減の為にも迎えた方がよろしいかと」

「そう?」

 亜蓮も幸姫の負担を考えたら、新規採用は妥当だとうだろう。

 10人は現在、御所で女官をしている為、侍女としては即戦力にもる。

「じゃあ、そのように進めようか?」

「そうですね」

 直虎の考えを即採用する亜蓮。

 自分の意見と一致したのもあるが、それでも即断即決は、神宮寺家のおさとして当然のことだろう。

「では、近衛様、10人を連れ帰ってもよろしいでしょうか?」

「お願いします」

 前久は深々とお辞儀する。

 が、その顔は、ニヤリとわらっていたのは言うまでもない。


 屋敷に帰宅した2人は早速、幸姫に10人を紹介する。

「幸、新人だ」

「え?」

 あまりの多さに幸姫は固まる。

「……多くないですか?」

「現時点で、業務過多ぎょうむかただよ。負担軽減の為には、これくらいの人員は、必要だ」

しかし―――」

「これからは、教育頼んだよ」

「え~……」

 バリバリ働きたかった幸姫としては、残念なしらせだ。

 ただ、多忙だったのは事実なので嬉しい気持ちもある。

「わか、との」

 たどたどしく浮舟が言う。

「おかた、もみ、ま、しょう、か?」

「ありがとう」

 浮舟は亜蓮の肩を揉みだす。

「いたく、ありませんか?」

「大丈夫。気持ちいいよ。ありがとう」

 笑顔でお礼を述べると、浮舟は微笑む。

 転職先が武士の家の為、緊張していたようだが、亜蓮の柔和にゅうわな笑みで緩和したようだ。

 9人も安堵あんどした様子で、仕事を探し出す。

「「「「「「「「「幸様、何をしたらいいですか?」」」」」」」」」

「そうですね。では、炊事洗濯すいじせんたくを教えます」

「「「「「「「「「ありがとうございます」」」」」」」」」

 うして、神宮寺家に新たな顔触れが誕生するのであった。


[参考文献・出典]

*1:杉森久英 『近衛文麿』                 河出書房新社 

  1987年

*2:大久保利謙『日本の肖像 旧皇族・華族秘蔵アルバム〈第9巻〉』毎日新聞社

  1990年

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る