第15話 父の愛と子の憧れ

 徳川家康からの提案を受けた井伊直虎は、その日の朝に早速、亜蓮に報告する。

「……如何どうでしょうか?」

 恐る恐る尋ねた。

 亜蓮の反応は、軽い。

「嬉しいね」

 こうも軽いのは、亜蓮が純粋に面食いだからだ。

 お市と結婚後は毎晩、同衾どうきんし、交わっているのがその証拠である。

 直虎と話す間もお市とべったりなのは、直前まで愛し合っていたのだろう。

「市は如何どう思う?」

「嬉しいですわね。家族が増えるのは」

 正妻・お市の許可が出た為、亜蓮は決断する。

「直虎、我が家へようこそ」

「はい♡」

 お市に続いて、直虎の嫁入りが決まった。

義父上ちちうえ~♪」

 直後、ふすまが開き、直政が飛び込んできた。

 亜蓮に抱き着くと、頬ずり。

「おお、虎松?」

「宜しくお願い致します!」

「元気だな」

 亜蓮は微笑んで、虎松の頭を撫でる。

「なら、私も」

 お市も負けじと幸姫に視線を送る。

こう

「は」

 幸姫は一旦下がり、しばらくして2人の赤子を抱っこして帰って来た。

「おお、茶々とお初?」

「はいです!」

 幸姫は頷き、2人を亜蓮に見せる。

「「?」」

 姉妹は初めて見る継父ままちちに興味津々だ。

 しかしたら実父・浅井長政の記憶が殆ど無い為、亜蓮を実父と誤認しているかもしれない。

 これで亜蓮は、


・長男:井伊直政(9)

・長女:茶々  (1)

・次女:お初  (0)


 の三児の義父となった。

「茶々、初めまして。亜蓮だよ」

 幸姫から譲り受けて、亜蓮は茶々を抱っこする。

「ん、ん」

 分かっているのかいないのか、茶々は笑顔で手を伸ばす。

「うんうん」

 亜蓮も笑顔で応じ、彼女が頬に触れるのを許す。

「うー……」

 お初は亜蓮に興味無さげで、お市に不満を示した。

「ああ、お腹いたのね」

 幸姫が確認する。

乳母うばを呼んできましょうか?」

「大丈夫よ。私がするから」

「は」

 お市は胸を出すと、亜蓮からお初を渡され、彼女に母乳を与え始めた。

 その間、亜蓮は直政と茶々を優しく抱き締める。

「よろしくな? 我が家へ」

「はい!」

「んん」

 義理の兄妹きょうだいは、笑顔で頷くのであった。


義父上ちちうえ、肩揉みましょうか?」

「ありがたいけど、それは幸の仕事だよ」

「では、お茶を持って―――」

「それも幸の仕事」

「う~ん……」

 やることが無い為、虎松は唇を噛み締める。

義父上ちちうえ……何をしたらいいです?」

家事全般かじぜんぱん侍女じじょの仕事だから幸に任せて、虎松は武士らしく鍛錬たんれんに励むのが筋かな」

「鍛錬ですか……」

 虎松は、木刀を掴む。

「……手合わせしても?」

愛息あいそくをボコボコにしたくないなぁ」

 嫌々ながらも亜蓮も木刀を手にする。

 なんだかんだで付き合ってくれるらしい。

「本気で来て下さい!」

「……骨折しても知らないよ?」

「本望です!」

 こうもやる気満々なのは、虎松が父の愛情を知らない為だ。

 父・直親なおちかは、彼が2歳の時に討ち死にした。

 その為、殆ど記憶が無い。

 だからこそ、こういうことに付き合ってくれる父親を心底欲していたのだ。

 一方、直虎は、

「き、気を付けてね……」

 オロオロするばかり。

 亜蓮の戦闘力の高さは宇治の一件で目撃している為、流石に手加減してくれるだろうが、それでも怖いのは事実だ。

「分かっています! 義父上ちちうえ御覚悟おかくご!」

「へいへい」

 亜蓮は笑顔で手招きした。


「く……」

 ボコボコにされた虎松は、唇を噛み締める。

 猪突猛進ちょとつもうしんで向かったのだが、全て寸前で避けられ、逆に手刀を頭や肩、顎に食らったのだ。

「もう少し手加減されては?」

「あれでも手加減したよ。子供が親を超すのは、相応の時間と努力が必要だよ」

「あは♡」

 頬に接吻され、直虎は顔を赤くする。

 お市が姉妹に母乳を与えつつ、尋ねた。

「あれでも手加減なんですか?」

「そうだよ。本気だと首の骨、折っちゃうからね」

「……」

「幸、虎松に治療を」

「は」

 幸姫は、直政の治療を始める。

「……打撲だぼくとたんこぶですね」

 消毒液を傷口に塗り、包帯も巻く幸姫だが、

「……」

 チラチラと虎松を見てしまう。

 それもそのはず、彼は、


『容顔美麗にして、心優にやさしければ、家康卿親しく寵愛し給い』(*1)(*2)


 とイケメンだったことがうかがえる。

 当然、男色だんしょくが盛んな時代な分、そういう関係になりやすく、


『万千代(直政)、近年家康の御座を直す』(*3 ※「御座を直す」は、主君のとぎの相手をする隠語)


 とあるから家康とそのような関係であったとされている。

 実際、家康も自邸の庭近くに直政の家居を作らせて折々通っていた(*4)(*5)為、やはり両者はそのような関係だったのだろう。

 幸姫は11歳。

 そろそろ初恋があってもおかしくない年頃だ。

(駄目。この子じゃなくてあっち)

 邪念を振るい、幸姫は当初からの標的ターゲットである、亜蓮を見る。

「神宮寺様、もう少し手加減して下さい。薬だって無限じゃないんですよ?」

「済まん」

 幸姫に苦言をていされ、亜蓮は素直に謝る。

「これで終わりました」

「ありがとう。こう

 礼を述べた後、虎松は亜蓮の膝に座る。

義父上ちちうえの強さ、分かりました。今後も御指導ごしどうして頂きたいです」

「心意気は買うが、学業もね?」

「寺子屋ですか?」

「うん。君は有能な武将になるが、少し気が早い時がある。それが改善出来れば、更に腕が立つ武将になれるよ」

 虎松の評価は、各資料で提示されている。


・天正14(1586)年当時の名声

『ほまれ日本ひのもとはばか威光無疑うたがいなし』(*6)


・政治的手腕は非常に優れていた為、箕輪みのわ城(現・群馬県高崎市)城主の頃は、城下の民衆から慕われていた(*7)。


・鍋島勝茂「天下無双、英雄勇士、百世の鑑とすべき武夫なり」(*8)


・榊原康政

「大御所(家康)の御心中を知るものは、直政と我計りなり」

「自分が直政に先立って死ぬようなことがあれば、必ず直政も病になるだろう。また直政が先立てば、自分の死も遠くない」

 と語り、直政が従軍するとあれば、康政は安心し、康政が従軍するとあれば直政は安堵したという(*9)(*10)。


・生前の直政の働きは、家康が幕府を開くにあたっての1番の功労者であると江戸幕府編修の系譜集(*4)(*11)に記録されている。


・小田原征伐時、唯一城内に攻め入り、400人の北条方を討ち取り、

「万事にぬきんで合戦し、天下に誉を得後代に名を残せり」(*12)

 ……


 このような資料から、如何いかに彼が有能な武将であったかが分かるだろう。

 無論、有能だけでなく、欠点とおぼしき部分もあり、


①勇み足

 小田原征伐時、秀吉陣営の手薄なのを伺い知り、家康に、

「いい機会ですから秀吉を討ち取りましょう」

 と進言したが、

「その時に非ず」

 と戒められたという(*13)。


②厳しい軍規により、相次ぐ出奔しゅっぽん

 近藤秀用こんどうひでもち(1547~1631 遠江井伊谷藩藩主)

 木俣守勝きまたもりかつ(1555~1610 彦根藩井伊氏家老)

 庵原朝昌いはらともまさ(1556~1640 井伊氏家老)


 等がれに当たるだろう。

 亜蓮は愛息の頭を撫でつつ、

「学業も頑張り。そうしたらいずれ、俺を抜くことが出来るさ」

「……はい! 頑張ります!」

 亜蓮にやる気を焚き付けられ、虎松は激しく頭を振って頷いた。

 まるで、ライブの最前列でヘッドバンキングするファンのように。


[参考文献・出典]

*1:『甫庵太閤記』

*2:『塩尻』

*3:『甲陽軍鑑』

*4:『徳川実紀』

*5:『天元実紀』

*6:『甲陽軍鑑抜書後集』

*7:なかむらたつお「井伊直政」『歴史群像シリーズ22 徳川四天王』

   学習研究社 1991年

*8:『葉隠』

*9:『武備神木抄』

*10:『名将言行録』

*11:『寛政重修諸家譜』

*12:『北条五代記』

*13:『常山紀談』

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