第11話 虎松の躍動

 元亀元(1570)年5月25日。

 亜蓮は、織田信長が用意した屋敷で初夜を過ごしていた。

 結婚披露宴をしたい所だが、各地から武将を集めると、そこが手薄になり敵に付け入る隙を与えかねない為、今回は無い。

「亜蓮様♡」

 49日も過ぎていないのだが、お市は激しく乱れている。

 浅井長政を亡くしたショックを亜蓮で癒しているようだ。

 亜蓮も亜蓮で、《天下一の美女》(*1)と夫婦になれるのは、非常に嬉しいことである。

 出会ってから1カ月も経っていないスピード婚であるが、お互いの愛情は本物だ。

(前夫を忘れる為か)

 激しく乱れているのは、浅井長政が影響しているものと思われている。

 金ヶ崎合戦で長政が信長を裏切った際、お市は浅井家を追放されることも、してや斬られることも無かった。

 お市自身も離れることも無かった。

 彼女が裏切りを密告しても尚、夫婦は相思相愛だったのだ。

 そんな鴛鴦おしどり夫婦だが、亜蓮の登場により、引き裂かれ、長政は殿しんがりを務めていた羽柴秀吉の反転攻勢により、逆に討たれた。

 その心の傷トラウマが色濃い時に、現れた亜蓮にその恋心は燃え上がっているのだろう。

 前夫との思い出を忘れ、新たな人生を歩む為に。

「亜蓮様♡」

 何度も何度も愛しい人の名前を口にする。

 亜蓮もそれに応え、一層いっそう攻め立てるのであった。


 攻められる中、お市はあえぎつつ考えていた。

 目の前の夫との未来のことを。

 当初、復讐の物語として亜蓮との間に出来た子供を殺害後、自害して果てる想定であった。

 しかし、宇治で救われて以来、じょうが生まれたのか、段々と復讐心が薄れている。

(私は……)

 正直、も良い。

 何度も体を重ねる度に彼の体に自分のそれが馴染んでいくことが分かる。

(私は……)

 快楽の波に耐え切れず、復讐心が徐々に薄れていく。

(私は……)

 抱かれながら自問自答する。

 これで良いのか?

 と。

 このままで良いのか?

 と。

 何度も何度も、快楽の渦に巻き込まれながら。


 翌日。

 亜蓮は、目覚める。

「……ん?」

 直後、腕に違和感を覚えた。

 見ると、お市が眠った状態でしがみついている。

 寝ながら号泣しているのは、浅井長政との夢を見ているからだ。

「《新九郎》(※1)様……」

 亜蓮の腕にしがみつきながら、前夫の名前を口にした。

(……此奴こいつ……)

 昨晩あれほど、自分の名前を呼んでいた癖に、今は前夫に夢中だ。

 当然、新郎としては頂けない。

 嫉妬に狂った亜蓮は、お市の耳朶じだを甘噛み。

 ハッとし、お市は目覚めた。

「あ、亜蓮様?」 

「《備前守》(※2)との思い出にひたるのは良いが、昨日の今日は流石に見過ごせんな」

「え……え?」

 無自覚らしく、お市は混乱する。

「私……何を?」

「気にするな。悪いのは嫉妬に狂う俺の方だから」

 笑顔でそう言うと、亜蓮は犬歯けんしを剥き出しにする。

 そして、舌なめずり。

 亜蓮がこんな状態なのは、朝立ちが原因だ。

「市、今の君の夫は俺だよ。それだけは忘れないでくれ」

 笑顔でそう言うと、亜蓮はお市に襲い掛かるのであった。


『お早う御座ございます』

 朝食の時間に幸姫が来て、障子を開けた。

 瞬間、むわっと、男女の匂いが幸姫の鼻を突く。

(ああ、初夜だったんだ)

 そこで幸姫は気づくも、それを表に出すことは無い。

 亜蓮は、横たえるお市に腕枕しながら、逆の手を振って応える。

「お早う。朝食?」

「はい。お持ちしましょうか?」

「ああ、頼む。この状態だからね」

「は」

 幸姫は下がる。

(お市様の寝顔、幸せそうだったなぁ……羨ましい)

 亜蓮に激しく愛されたのだろう。

 寝顔も笑っていたのが、その何よりの証左しょうさだ。

(私もお市様並に愛されたいな)

 愛するよりも愛されたい。

 それが幸姫の考え方だ。

 特に世は戦国時代。

 侍は、何時いつ死ぬか分からない不安定な時代なのだ。

 気にするのも当然の話だろう。

 廊下に出ると、井伊直虎とバッタリ。

「あ、こう?」

「次郎法師(※3)様?」

「神宮寺殿は、御部屋おへやに?」

「はい。いらっしゃいます」

「ありがとう」

 直虎は、幼子おさなごの直政の手を引いて、部屋に向かう。

「失礼します」

 直虎が到着した時には、既に亜蓮はお市から離れ、寝間着ねまきから和装に着替えようとしていた。

 上半身裸の亜蓮を見て、即座に直虎は謝る。

「し、失礼しました―――」

 障子を締めようとするとも、

「大丈夫だよ」

 亜蓮は微笑んでフォローする。

「井伊直虎?」

「は、はい」

「昨日、家康公から聴いてる。頼むね、護衛」

「はい!」

 物腰の柔らかさに直虎は、安堵する。

 護衛対象者が怖い人で無かったのは、吉報だ。

「……」

 直虎の背後から虎松が覗き込む。

「おお、虎松?」

 こくりと、虎松は頷く。

 昨日は、はしゃいでいたのだが、今日は人見知り状態のようだ。

「初めまして。神宮寺亜蓮だ。よろしく」

 亜蓮は、半裸のまま挨拶する。

 金剛力士像を連想させるような、筋肉に直虎は人知れず興奮する。

(凄い……)

 その間、愛息は緊張しながら挨拶を行う。

「虎……松です。よろしくお願いします」

「よろしく」

 笑顔で亜蓮は上を着る。

「直虎、この子はすじが良いな」

「え?」

「将来、猛将もうしょうになるよ」

 断言され、直虎と虎松の母子おやこは、目を丸くする。

「本当ですか?」

「うん。家康公を支える四天王になるよ」

 虎松の将来———井伊直政は、歴史的には徳川家康を支えた名将中の名将である。


徳川二十八神将とくがわにじゅうはちしんしょう

・徳川十六神将

・徳川四天王

・徳川三傑


 に含まれているのが、その証拠だ。

「あ、ありがとうございます!」

 虎松は平服した。

 幼い彼にとって相手は、お市等を助けたスーパースターである。

 そんな人に激賞されたら、誰だって心を掴まれるのは当然のことだろう。

「虎松、おいで」

「はい!」

 膝に誘われ、虎松は笑顔で座る。

 亜蓮はその小さな体を抱擁すると、

「君は将来的に凄い武将になるけど、ちゃんと養母のことも守るんだよ?」

「はい!」

 どんどん虎松は、亜蓮に夢中になっていく。

「神宮寺様!」

「うん?」

 人見知りが解かれた虎松は、猛攻に移る。

「母上をめとって下さいませんか?」

「え?」

 直虎は固まった。

「急な話だな?」

 亜蓮は苦笑いだ。

 直政は続ける。

「母上は1人で寂しがっています。神宮寺様と再婚すれば、また幸せになるかと―――」

「ちょっと、虎松」

 直虎は恥ずかしがるが、虎松は止めない。

「母上は体躯たいくも性格もろく(現・給料)も出自しゅつじも良いです」

「出自?」

「ご存知無いですか? 我が家の起源は、藤原北家ふじわらほっけ後裔こうえいなんですよ」

 井伊氏は藤原北家の後裔(系譜上では藤原良門の息子である藤原利世の子孫とされる)として、江戸時代の家系図(*2)で、公式に称している。

 しかし、優良な系図史料(*3)において藤原利世という人物が見当たらない為、藤原北家の後裔否定説もる(*4)。

 なので、歴史学的には井伊氏が藤原北家の後裔か如何どうかは分かっていないのが現状だ。

 9歳児の紹介プレゼンに亜蓮は、感心する。

「母親想いだな?」

「大好きなので」

「良いことだ」

 亜蓮は微笑むと、その頭を撫でる。

「気持ちは嬉しいが、そういう話は次郎法師の意見も聞かないとね」

「神宮寺様は良いんですか?」

「前向きに検討させてくれ。流石にすぐには答えれないよ」

「分かりました」

 勝手に話が進められ、直虎は、

「え? え? え?」

 おろおろするばかりであった。 


[参考文献・出典]

※1:浅井長政の別名

※2:浅井長政の通称

※3:井伊直虎の通称

*1:『祖父物語』

*2:『寛永諸家系図伝』

*3:『尊卑分脈』等

*4: 宝賀寿男「遠江井伊氏の系譜」『古樹紀之房間』2017年

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