第10話 虎松の羨望

 亜蓮がお市を救った話は、すぐに岐阜城(1201年 築城)の織田信長にまで伝わる。

「感謝だな」

 安堵し、書状を直した。

 報せを聴いた時、信長はお市を酷く心配していた。

 何しろ、彼の兄弟姉妹は元亀元(1570)年時点で死者が既に居る。

 信長以外の11人の兄弟の中では、


・信時(? ~1556)

・信行(1536~1558)


 と2人が早逝しており、更に史実通りにいけば、今年中にも以下の2人が亡くなる だ。


・信治(1544~1570) ※正確には元亀元(1570)年9月20日(太陽暦:10月19日)

・信興(? ~1570)  ※同上          11月21日(同:12月28日)


 こうした状況から、信長はお市を相当気にかけているのであった。

又左またざ、襲撃者は朝倉の残党で違いないな?」

「はい。現在、領内で再び残党狩りを開始しました」

「見付け次第、釜茹でにしろ。そして遺体はからすに食わせろ」

「は」

 前田利家は、下がっていく。 

 《第六天の魔王》を自称する信長であるが、妹のことに関しては、心配性だ。

「半兵衛」

「は」

 竹中重治———通称、竹中半兵衛が歩み寄る。

 史実では、天正7(1579)年に35歳で病死する天才軍師なのだが、元亀元(1570)

年現在はまだ健康だ。

「うぬの考えが知りたい」

「はい」

「あの者と市を結婚させたいんだが……上手くいくと思うか?」

「報告では、両者はお互いに好意的なご様子なので上手くいくかと。ただ、浅井長政備前守ような同じてつを踏まない様にする必要があるかと」

「そうだな。それが肝要かんようだ」

「吉法師(※1)殿」

「なんだ? 竹千代(※2)?」

 身長159cm、体重70㎏。

 肩幅が広くずんぐりむっくりの肥満体(*1)の家康が、挙手した。

「神宮寺殿の護衛に《次郎法師》を推薦したいのですが」

 次郎法師は、平成28(2017)年の大河ドラマの主人公にもなった戦国時代で、恐らく21世紀の日本最も有名な女性の城主である。

 遠江井伊谷(現・静岡県浜松市北区引佐町)の領主で、 井伊氏19代当主・直親なおちか(1536(*2)~1563)と婚約し、《井伊の赤鬼》と呼ばれ、同20代当主・直政(1561~1602)の養母である彼女は現在、時間が空いている状態だ。

「彼女か……傷は癒えているのか?」

 直虎の婚約者・直親は、7年前の年末である1563(旧暦では永禄5(1562)年)に政争の最中、掛川かげがわ城城主・朝比奈泰朝あさひなやすとも(? ~?)の襲撃を受け、27歳の若さで殺害された(*3)。

 そして、去年の永禄12(1569)年。

 直親の冤罪えんざいが証明され、反対に彼をおとしいれた井伊家の家老・小野道好おのみちよし(*2)(*4)が、井伊谷城いいのやじょう(現・静岡県浜松市浜名区引佐町 浜松市指定史跡(*5) )東方の井伊谷川付近にある、井伊家の仕置き場(現・処刑場)とされる蟹淵がにぶち(*6)にて獄門となった(*7)。

 7年前に婚約者を無実の罪で殺害され、昨年、その復讐ふくしゅうを果たせたのだ。

 直虎には、非常に長い戦いであった。

 この間、休職中であったが、護衛の任務は実戦とは違って楽である為、復帰戦としては適当かもしれない。

「はい」

「分かった。そうしろ」

 信長からの許可が出て、家康は内心わらう。

(これでよし)


 その日の夜。

 直虎は、家康から命令を受けた。

「明日より神宮寺の護衛をして欲しい」

「分かりました」

 直虎の膝の上に居た9歳の虎松(※3)が振り返る。

「母上、出張なの?」

「そうだね」

「僕も行きたい」

大殿おおとの?」

 虎松を抱き締めつつ、直虎は相談する。

「連れて行きなさい。神宮寺殿は、女官のこうに接する様子を見る限り、子供を邪険じゃけんにしない御方おかただ」

 家康の名言の一つに、


『私は片田舎の生まれで何も珍しい物は持っていません。

 しかし、私の為なら命を惜しまない者が500騎ほど居ります。

 これこそ家康の第一の宝だと思っています』(*8)


 というのがある。

 上司がこのような考えの持ち主だからこそ、徳川家は風通しが良い組織であった。

 家康はしゃがんで、虎松の頭を撫でる。

「これは勘だが、神宮寺殿は次代を担う新進気鋭の逸材いつざいになり得る者だ。子供にも優しいから、虎松、彼を直親の代わりとして頼りなさい」

「分かりました! 大殿おおとの!」

 虎松は力強く頷く。

 父は直親なのだが、2人の話を聴く限り、亜蓮は相当なさむらいようだ。

「母上」

「うん?」

「その方と会いたい」

いずれ会えると思うよ」

「そう?」

 両目を輝かせる虎松。

 実父・直親が亡くなった時、彼は僅か2歳であった。

 なので、父親の記憶は、殆ど無い。

 この数年間は、夫を亡くしたショックで休職状態にあった為、虎松はに憧れていた。

「その方が養父ようふになって下さらないかなぁ」

「「……」」

 その言葉に直虎と家康は、顔を見合わせるのであった。


 元亀元(1570)年、5月20日。

 亜蓮は、婚姻こんいんの提案を信長から受ける。

如何どうかね? 市は?」

「ありがたい話ですね」

 亜蓮は頷く。

 彼に抱き着いているのは、お市。

 先日の宇治の件以来、完全にメロメロ状態だ。

「では、結婚してくれるかね?」

「はい。是非」

「大好きですわ♡」

 結婚が決まり、お市は頬ずりをかます。

 提案した癖に信長はく。

躊躇ためらわないんだな?」

「天下第一番の御生おなま付(現・天下一の美人)との結婚に躊躇ちゅうちょは無いかと」

「……清々すがすがしいくらい正直者しょうじきものだな」

 このレベルだと、逆に関心するほどだろう。

 信長は、この態度に好感を覚える。

「野心は無いのか?」

「衣食住と三大欲求が満たされれば他は、何も要りませんね」

「……そうか」

 瞳を見る限り、本当に野心が無いようだ。

 それでも信長は、『石橋を叩いて渡る』姿勢スタンスを忘れない。

(お市に監視役させるか)

 普段の様子からも、亜蓮は権力欲は無さそうだが、浅井長政の例があるように。

 何が契機けいきで背信行為に走るのかは分からない。

 今回は、幸運にも2人は両想いだった為、それに乗っかる形で政略結婚を進めた形である。

「それで神宮寺殿、姉妹の件だが」

「はい」

「養父になってもらえるか?」

「勿論です」

 お市には、茶々とお初が居る(お江は1573年生まれなので、1570年時点では未誕生)。

 実父・浅井長政が亡くなってからは、母・お市の愛情しか受けられなくなった。

「それは良かった」

 再婚後の連れ子は虐待や育児放棄に遭う事例がある為、信長としてはそこが気がかりだったのだが、亜蓮が受け入れてくれたのは、吉報だ。

「では、姉妹も頼むぞ?」

「承知しました」

「亜蓮様♡」

「ごふ」

 お市に押し倒され、亜蓮はしこたま頭部を床に叩きつける。

「痛いよ」

御免ごめんなさいですわ」

 謝るお市だが、抱擁したまま離さない。

 信長がささやく。

「(亜蓮、姉妹の件もうだが、子作りも頑張れよ?)」

 余計なお節介であるが、信長なりの配慮もあるのだろう。

 亜蓮はお市から猛烈な接吻キスを浴びつつ、頷く。

「勿論です。義兄上あにうえ


[参考文献・出典・注釈]

※1:吉法師=織田信長の幼名

※2:竹千代=徳川家康の幼名

※3:虎松 =井伊直政の幼名

*1:『日本史有名人の身体測定』 篠田 達明 KADOKAWA

*2:『井伊年譜』

*3: 千葉篤志「相次ぐ一族・家臣の死と、直虎登場の背景とは?」

   編・歴史と文化の研究所『井伊一族のすべて』洋泉社 2017年

*4:『寛政重修諸家譜』

*5:浜松市 HP

*6: NHKウイークリーステラ NHKサービスセンター 12/15号 2017年

*7: 中日新聞                        2017年4月8日

*8:徳川家康公ゆかりの地 出世の街 浜松 HP 一部改定

*9:『祖父物語』

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